ノクターンノベルズを読んでる

最近というわけでもなくて、ここ二~三年くらいのことなんだけど、なろうではなくてノクターンノベルズを主に読んでる。 なろうでなくてノクタなのは、まあもちろん健全な理由もあるけれども、どちらかというと読みたい作品を絞りやすいということのほうが大きい気がする。それはそれとして、こういうのを読んで面白かったという話をする。

リンクは気が向いたらはるけどとりあえずググってくれ。

ダンジョン暮らしの元勇者

エロトラップダンジョンの主になって侵入者をえっちな目に合わせて撃退したり篭絡したりする話。

いわゆる「魔王と勇者」モノでもあり、英雄譚のその後系の話でもあり、元勇者が自分の居場所を見出して成長する話としても面白いし、元勇者と彼を狙う死角とのバトルも熱くてよい。

まだまだ続いていて今後が楽しみ。

人食いダンジョンへようこそ!

これもダンジョンマスターもの、と思いきや、「ダンジョン」の解釈が話の進行にあわせて拡大されていくところが今作のキモというか、うまいギミックだと感じる。

もちろんダンジョンマスターとダンジョン攻略者の駆け引きが面白さの本質になっているので、舞台が変わっても本質的にはダンジョンマスターものだと言える。えっち部分についてはヒロインを魔物娘堕ちさせる堕ちもので、単にえっち部分だけでなくストーリーの根幹にもかかわってくるんだけど、それはそれとして、そういうシチュエーションが好きな人にはたまらないのではなかろうかという気がする。ぼくは好き。

完結済み。

ちょっと暗めの終わり方をしているものの、この作品全体にただよう雰囲気は最後まで一貫していて、これこそがこの物語の結末としてあるべき姿だとも思っている。思ってはいるけれども……うう……まあ、読んだらわかるので読んでみてほしい。

ギャング・オブ・ユウシャ

ポーションがぶ飲みで強くなるやさぐれ勇者が違法なポーションを作る借金まみれの天才錬金術師の少女と出会って、違法ポーションでキメセクしたらめちゃくちゃよかったしこれもしかしてバカ売れするのでは? これ売りさばいたらどん底からのし上がれるんじゃないの? という話。

錬金術師の少女とのポーションキメセクをはじめとした濃厚なえっちシーンもよいんだけど、各章、達成困難なミッションに挑むのも、ある種のダンジョンアタックっぽくてよい。主人公以外にも特殊な能力に目覚めた勇者の称号持ちたちが登場するんだけど、彼らの超人的な能力バトルもなかなか熱い。

完結済み。ダークヒーローものながら、ちゃんとダークヒーローのままで、さわやかなエンディングを迎えて非常によい読後感があった。

上二作品もそうだけど、ノクタはこういうエロ前提のダークヒーローものの良作があってとてもよいですね。

悪役令嬢をバッドエンドさせて嫁にする計画

乙女ゲームの悪役に転生する系の話。なろうではよくみるアーキタイプなんだけど、ノクタだとちょっと珍しい。基本的にはゲーム世界に転生してゲーム知識を生かしてうまくやる系、とみせかけてぜんぜんうまくいかない話。話はテンポよく、軽妙な読み味ながら、伏線の張り方が巧みで、終盤にかけていろんなことが収束していくのが気持ちよいし、ヒロインがまた凶悪なまでにカワイイしえっちでとてもよい。

読み終わったときの満足感でいうと本一冊分くらいはあるんだけど、実際には番外編込みで六万字なので文庫本の半分くらいしかなくてびっくりした。それくらい手軽に読めて満足できるのでオススメ度が高い。

もちろん完結済み。

生意気な妹が清楚ビッチな友達を連れて来た

生意気な妹が連れて来た清楚ビッチな友達に性的にいじめられる兄の話。生意気な妹が連れて来た清楚ビッチな友達に性的にいじめられたいでしょ……。タイトル以上のことはないんだけど、タイトルのとおりのことをやってくれるだけで息子は感涙にびゅーびゅーむせび泣くでしょうよ(実際号泣した(最悪

更新が停滞している感じではあるものの、清楚ビッチな友達と寝るところまでは書かれているのでそこまで読んで満足することはできる。

ただこの後は妹と寝て、それから妹との 3P とかぜったいあるはずなので、そこまで書いて完結してほしい。息子からの切実なお願いである。

エンジニアの語源

engine という言葉は内燃機関以前から存在する語であり、もちろん engineer という種類の人も(綴りはこの限りではないが)、内燃機関以前に存在していたようである。攻城兵器を engine と呼んでいたようなので、これを扱う人が engineer だったらしく、今でも engineer には工兵の意味がある。もっと遡るとたとえば馬車とか水車を作ったりする人も engineer だと思うのだが、こっちは出典がないのでぼくの妄想の可能性がある。

IT 系のエンジニアにたいして「IT エンジニア」でなく単に「エンジニア」というと眉をひそめる人は少なからずいるようだ。こんにちの engine の印象が内燃機関である以上、内燃機関に触れることのないアプリケーションプログラマや Web プログラマまでもがエンジニアであることに違和感を覚える人についてその感覚はわからないでもないのだけど、もともと engineer が内燃機関にかかわる技術者を指さなかったのだから、IT エンジニアがなんの修飾語もなしに単にエンジニアと名乗るのが適切でないなら、たとえば自動車の整備をする人もまた同じように自分たちを指して単にエンジニアと名乗るのは適切でないことになるのではなかろうか。

原義に近いところにいるのはたぶん建築技術者で、次が工兵だと思うが、元の語の意味をもとに話をするなら建築技術以外のエンジニアはみな単にエンジニアと名乗ることは適切でないことになるのではないか。

まあでも、エンジニアをシステムエンジニアと言い換えたところで、依然として「仕組みを作る人」でしかなく、なんの仕組みを作るねんという疑問があるんだけど、システムについてはコンピュータシステム以外のシステムのことは考慮する必要はないのだろうか。情報エンジニアとかも情報産業は何もいわゆるコンピュータサイエンスに限らないと思うのだが、それはいいのだろうか。

せいぜい 200 年そこらしか歴史がない内燃機関を扱う人だけがエンジニアというわけではないので、なんとかエンジニアのなんとかの部分を取った単なるエンジニアを、内燃機関を扱う人に限定するのはあんまり妥当ではないよなあということを思っている。


この話の本質はまぎらわしいからやめろということだというのはもちろん理解している。理解しているが、まぎらわしいからやめろという話を、言葉の用法の正しさにすりかえるのは適切ではなかろう、と思う。

ということが言いたかった。

黄色い四角い箱

愛知や岐阜のほうでは「横着である様」をさして「横着い」という。もちろん「横着な」が正しかろうとは思うのだが、では「黄色い」とか「四角い」はどうだろう。

「黄色い」も「四角い」も辞書を引けば載っている。「黄色な」とか「四角な」とかはかえって言わない。 「緑色い」とか「三角い」とかは言わないので、言いやすさが尺度としてあるのだろうと想像できるし、「緋色い」とか「五角い」とも言わないので、語としての需要も関係ありそうだとわかる。使わない語は言いやすさにかかわらずそのようには言わない。

「ショボい」「デブい」のようにオノマトペも形容詞化する。最近だと「チャラい」とかもある。

「酷い」はもともと「非道い」である。

面倒であることを「めんどい」と言うようになってきた。

とするとそのうち「丈夫い」とか「贅沢い」みたいなのも市民権を得るのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

いまはもう言わないが「ナウい」というのがあった。これもあんまり使わなくなりつつあるが、「まぶい」も「まぶ」が形容詞化したものである。

「エロい」や「グロい」はもはや市民権を得た。 外来語の日本語化についてはもうちょっと事情が違うところもあるのでこの辺にしておくが、その概念を提示する機会が充分にあって、日本語として声に出しやすいものはそのような形になっていく、ような傾向がある、くらいのことは言えそうである。

最後までクリアできたゲームのこと面白くなかったっていうのやめろ

やや強気なタイトルではありますが、最後までクリアできたゲームのことを面白くなかったと評するのは妥当ではないなということを随分前から思っています。前から思っていたのはゲームではなく小説の話なんですけど。最後まで読める小説はその時点で一定以上面白いと思っています。面白くない小説を最後まで読むな。これに尽きるのですが、ゲームもそうであり、面白くなかったところでやめてしまったほうがよろしい。

でも実際には面白くないという感情を抱いたまま最後までプレイできるゲームというのもあります。なんなんでしょうね。面白くないことはないと思うんですが。面白くないのに最後までプレイさせることができる要素、プレイのモチベーションを維持させるもの、まあたとえばエンディングが見たいとかがそうかもしれません、この後面白くなるのではないかという期待感とかもそうかもしれません。 でもそれはその時点で面白くないと感じても、実は多少なりとも楽しめてはいるわけです。少なくとも先を気にさせること自体は退屈ではないとぼくは考える。そうすると、期待してゲームを続けた結果が期待を超えられなかったことをさして面白くなかった、ということになる。 これって妥当ですか?ということを思っています。いやだって苦痛だったり退屈だったりしたらもうそこでやめてしまったほうがよいですよ。

たとえば10時間でクリアできるゲームがあったとして、10時間プレイしてクリアしたけど、面白くなかった、となるのがめちゃくちゃ不思議。少なくとも10時間は遊んでますよね。10時間ってとんでもない時間だと思うんですよね。 10時間あったら、文庫本3〜4冊読めるし、アニメ2クール分見られるし、映画なら4〜5本みられるわけですよ。漫画だったらものにもよりますけど10〜20冊くらい読めるじゃないですか。つまんないゲームなんかやめましょう。本読もう。アニメとか映画見よう。ってなるじゃないですか。まあでもそうではなくて、欲している体験がゲームである以上、他の娯楽では補うことはできないし、結局ゲームするしかない。

つまり、10時間分の体験を指して面白くなかったと呼ぶのはやや乱暴なのではなかろうか、ということになります。どっかに何か10時間分遊ばせるものがあったわけでしょ。

とはいえ、別に感想とか好きに言えばいいとは思うんだけど、これがレビューの体とかだったら、もうレビューするのやめろ、と言いたい気持ちになったりはします。もうその人の期待度との齟齬だけでしょ、そのレビューに書かれてる面白くないは。その人当人だけの感情の話になってしまって、もはや何の役にも立たない情報だし、なんなら目の毒まである。

ああ、でも、レビューでボロクソに書きたいという気持ちだけで最後までやったけどやっぱり面白くなかったよ、みたいな話は、わりとというか、けっこう見かける……もうね……そういうモチベーションでゲームするのやめよう……時間がもったいないし、誰も得しないですよ……。


で、こんなタイトルつけておいてなんですが、この記事は後ほど自分でカウンター記事を書く予定です。

現代日本と異文化交流について

けものフレンズは人間と人間の姿になった動物の交流を描いている点で異文化コミュニケーションものだと見ることができなくはないんだけど、あれはどちらかというと SF 的なおもしろさなので、ちょっと今回は置いておく。

2017 Q1 アニメが終わって Q2 がはじまってるんだけど、Q1 には小林さんちのメイドラゴン亜人ちゃんは語りたいというふたつの現代日本を舞台に異世界ファンタジーの住人を題材にしたやつをやってて、狼と香辛料からこっち異文化コミュニケーションものにめちゃくちゃ弱いぼくとしてはどっちも見た結果情報を処理しきれなくて頭がおかしくなりそうだったんだけど得たものは感覚としてだいじなので書き留めておきたいと思ったので書く。

まずメイドラゴン。

メイドラゴンは基本的にはファンタジーあるあるパロディを現代でやったとかそういう感じの作品なので、現代日本と異世界ファンタジー住人の認識のズレとかそういうものからくるおかしみを楽しむ作品、というのが全体的にはそう。殺伐とした竜たちが現代日本で平穏な日常を送ることに尊さを感じる、みたいなところが本質的なよさで、それが特に現れているのが第七話。テコ入れ回とか銘打っているが、夏のビッグサイトにはそれこそ人種を越えた相互理解が確かにあり、トールもこの回を通じて「ここにいていいんだ!」っていう実感を得ていると思う。 価値観の違いみたいなところはわりとあっさりめに描かれているものの、生きる時間のスケールの違いについてはあんまり触れてなくて、それは見ないふりをして日常を送っているということでもある。小林さんはトールがいなくなるまで気付いてなかったっぽいんだけど。エンディングテーマの一節にもあるんだけど、とても永い時間を過ごしてきたドラゴンたちにとって人間の生きる時間はちっぽけにすぎなくとも、それでもそんな何気ない日常こそ尊い、ということを、中盤に至るまではただ日常を描くだけでじんわり表現していて、そのへんはなんとも京アニらしくてよかった*1


次に亜人ちゃん。

亜人ちゃんのほうは、のっけからわりと深刻なところに足を突っ込んでいく。亜人に軽い気持ちで関わろうとしてはいけませんよことをあらかじめ示しつつ、いざひかりと語らう場面では亜人と人間の価値観の違いについて実にあっけらかんと描いている。このへんのコントロールはとてもよく、深刻になりすぎず、かといって軽くなりすぎず、ちょうどよく考えながら楽しめる。 亜人たちの性質とそこに由来する価値観の違いをエピソードとして丁寧に描いていて、いわゆるモンスター娘ものだとは思うんだけど、現代日本で亜人が生きていくとこんなふう、というところの想像がとても豊かでよい。たとえば亜人の女子高生が自分たちのこと亜人って呼ぶのはかわいくないよね、デミちゃんっていうのは実に生っぽい。常に地に足付いた感じがあるので、普段軽めのギャグ寄りでストーリーを展開してても、シリアスに振ったときに浮ついたりしないし、むしろ普段がコメディタッチなのでシリアスに振ったときの感情の振れ幅が出る、とも言える。 亜人の子たちがみんな生き生きしてて元気になる作品だった。


で、思うんだけど現代日本で異文化コミュニケーションものというのはこれまでだと異世界からやってきたファンタジーの登場人物が現代の常識にうといので変な行動をする、という流れがまあ言ってみれば既定路線としてある。あるんだけど、たとえば亜人が当たり前にいる日常、となってくると、亜人たちには亜人たちの現代の常識が存在してしかるべきで、そのへんを異物として扱わない作品という意味で行くと亜人ちゃんは怪作といって差し支えない。

特に結論とかはない、でも異文化コミュニケーションもの好きなので書きたいなという気持ちになった*2。 こちらからは以上です。

*1:京アニは最終回前になっていきなり感情値を乱高下させることに定評がある[要出典]

*2:気持ちになるだけ

「しちや」が「ひちや」になる理由

日本語の「し」は、国際音声記号では英語の sh に見られる [ʃ] ではなく [ɕ] で表される。と書いてもよくわからないと思うが、[ʃ] は歯茎の後ろの方に舌を当てて音を出し、[ɕ] は歯茎と硬口蓋(歯茎の後ろらへん)に舌を当てて音を出す。それが実際にどう違うかは試しにそのように発声してみるとよい。と思って意識的にそのように発声してみようとしてもたぶんむずかしいと思われる。

で、簡単なやり方としては、[ʃ] のほうは「ウ」の口で、[ɕ] のほうは「イ」の口にすると発声しやすい。そのような口にして舌が口のどこに当たっているのか意識してみよう。[ʃ] のほうが歯茎により近いところに舌を当てやすく、「イ」のほうが硬口蓋から離すのがむずかしい。人間の口は「イ」を発声しようとすると自然と舌が硬口蓋付近に移動するようにできている。

ところで、「ひ」を発声しようとするとどうだろう。舌の位置はどのあたりにあるだろう。歯茎についていないのがわかるだろうか。歯茎につけようとすると、音が「ひ」ではなくなる。「し」になるのだ。

「し」と「ひ」の違いはここにある。「し」は「歯茎硬口蓋音」で、「ひ」は「硬口蓋音」である。歯茎に触れるかどうかによって音が変わるのだ。で、「い」の音はより硬口蓋に近い位置のほうが発声しやすいので、硬口蓋より後ろや前で発声する子音の多くは、「い」の音のときに硬口蓋音に変わりがちである。 「しちや」が「ひちや」になるのはそのせいである。 これは完全に想像なんだけど、「しゃっくり」は「ヒック」という擬音が元になっているであろうに「しゃっくり」と呼ぶのは、「ひゃ」を硬口蓋よりも前の位置で発声することになって歯茎音の「しゃ」に変わったのではないか、とか考えたりする。いずれにせよ「ひゃっくり」であったり「しゃっくり」であったりするのには、この「歯茎硬口蓋音」と「硬口蓋音」が非常に近いところで発声されることによる。

もっとわかりやすい例をあげるならば、サ行の中で「シ」だけが [s] でなく [ɕ] になるのがそれである。この現象を硬口蓋化、あるいは単に口蓋化と呼んだりするが、軟口蓋化という現象が存在するので硬口蓋化と呼ぶのが好ましいと個人的に思っている。たとえば日本語のカ行の音は軟口蓋音だが、「キ」は「カ」よりも硬口蓋に近いところで発音するので硬口蓋化が起きているといえる。試しに「カ」と「キ」を発声して聴き比べてみるとよい。「カ」のほうが舌が喉に近いところについているのがわかるはずだ。 同じことがタ行やナ行、ハ行についても言える。特に「ハ」と「ヒ」だと明確に異なるのがわかるだろう。 「ハ」は声門を使う音なので、舌を硬口蓋に当てないで発音する。しかし「ハ」の口では「ヒ」の音を出すのは非常にむずかしい。「ヒ」を発音しようとすると自然と舌が硬口蓋に近付くはずである。「ヒ」は [ç] で硬口蓋音となり、「ハ」は [h] で声門音となる。まったく異なる音だが、日本語の音素としては同じ /h/ で表現される。音素で音を考えがちだけど、意外と音素の中で音が違うことは多い。

このような硬口蓋化は日本語以外でも起きていて、英語だと cheeze [ˈt͡ʃiːz] などがそうである。たとえばドイツ語だと Käse [ˈkɛːzə] だが、これらはラテン語の caseus [ˈkaː.se.ʊs] に由来する。英語にはゲルマン祖語を経て入ってきたが、古英語以前に [k] が [t͡ʃ] に硬口蓋化したと考えられている。「カ」行の音が「チ」になるのが直感的に納得しづらい人がいるかもしれないが、日本語でも「キミ」のことを「チミ」と言ったりするし、実際「キ」の音を長く伸ばしながらゆっくり「チ」の音に変えていくのを試してみると、キとチが思っているよりはずっと近い音だということがわかるだろう。

という感じで言語の発音の話は実際に自分で発声してみるといろいろなことがわかって面白い。調音方法とか調べるとより理解が深くなって言語に対する面白さみたいなものを再発見できるので試してみるといいですよという話。