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英語を使うときの方が日本語のそれよりも気を楽にしていいのかもしれない

github で英語を書く機会があったのでふと思ったことなんだけど、この英語あってるか間違ってるかとか心配してもしなくてもあってるか間違ってるかにはまったく関係ない。あってるつもりのときほど間違えてるし、間違えてるかもと過剰に心配したところで伝わるときは問題なく伝わる。

これは雑に英語を書いてよいという意味ではなく、間違えてるかもしれないということを相手に伝える必要はないのでプアイングリッシュソーリーみたいなことを付け加えなくてもいいし、間違えてたら指摘してくれるのでそのときに訂正すればよい、訂正すれば間違えたことは問題にならない。彼らはわりと間違いに寛容だし、思ったことははっきり言うのであと腐れがない、気を遣わせてしまったかなとか気に病まなくてもよい。

日本語で話すときはそうもいかない。日本語は思っている以上に気を遣う。でもそれと同じ感覚で英語を使うのは違う気がする。日本語ネイティブの感覚で英語話者の気持ちをくもうとするの妥当ではないよね。気を遣うのは自分がそのへんわかるようになってからで充分やろ、と思った。

わからんことはしょうがない。向こうの人もそれはわかってくれる、とおもう。もちろん前提として間違えないようにしようと心がけているべきではあるんだけども。マインドの話として、慎重になりすぎなくても大丈夫そうですよ、という。