現代日本と異文化交流について

けものフレンズは人間と人間の姿になった動物の交流を描いている点で異文化コミュニケーションものだと見ることができなくはないんだけど、あれはどちらかというと SF 的なおもしろさなので、ちょっと今回は置いておく。

2017 Q1 アニメが終わって Q2 がはじまってるんだけど、Q1 には小林さんちのメイドラゴン亜人ちゃんは語りたいというふたつの現代日本を舞台に異世界ファンタジーの住人を題材にしたやつをやってて、狼と香辛料からこっち異文化コミュニケーションものにめちゃくちゃ弱いぼくとしてはどっちも見た結果情報を処理しきれなくて頭がおかしくなりそうだったんだけど得たものは感覚としてだいじなので書き留めておきたいと思ったので書く。

まずメイドラゴン。

メイドラゴンは基本的にはファンタジーあるあるパロディを現代でやったとかそういう感じの作品なので、現代日本と異世界ファンタジー住人の認識のズレとかそういうものからくるおかしみを楽しむ作品、というのが全体的にはそう。殺伐とした竜たちが現代日本で平穏な日常を送ることに尊さを感じる、みたいなところが本質的なよさで、それが特に現れているのが第七話。テコ入れ回とか銘打っているが、夏のビッグサイトにはそれこそ人種を越えた相互理解が確かにあり、トールもこの回を通じて「ここにいていいんだ!」っていう実感を得ていると思う。 価値観の違いみたいなところはわりとあっさりめに描かれているものの、生きる時間のスケールの違いについてはあんまり触れてなくて、それは見ないふりをして日常を送っているということでもある。小林さんはトールがいなくなるまで気付いてなかったっぽいんだけど。エンディングテーマの一節にもあるんだけど、とても永い時間を過ごしてきたドラゴンたちにとって人間の生きる時間はちっぽけにすぎなくとも、それでもそんな何気ない日常こそ尊い、ということを、中盤に至るまではただ日常を描くだけでじんわり表現していて、そのへんはなんとも京アニらしくてよかった*1


次に亜人ちゃん。

亜人ちゃんのほうは、のっけからわりと深刻なところに足を突っ込んでいく。亜人に軽い気持ちで関わろうとしてはいけませんよことをあらかじめ示しつつ、いざひかりと語らう場面では亜人と人間の価値観の違いについて実にあっけらかんと描いている。このへんのコントロールはとてもよく、深刻になりすぎず、かといって軽くなりすぎず、ちょうどよく考えながら楽しめる。 亜人たちの性質とそこに由来する価値観の違いをエピソードとして丁寧に描いていて、いわゆるモンスター娘ものだとは思うんだけど、現代日本で亜人が生きていくとこんなふう、というところの想像がとても豊かでよい。たとえば亜人の女子高生が自分たちのこと亜人って呼ぶのはかわいくないよね、デミちゃんっていうのは実に生っぽい。常に地に足付いた感じがあるので、普段軽めのギャグ寄りでストーリーを展開してても、シリアスに振ったときに浮ついたりしないし、むしろ普段がコメディタッチなのでシリアスに振ったときの感情の振れ幅が出る、とも言える。 亜人の子たちがみんな生き生きしてて元気になる作品だった。


で、思うんだけど現代日本で異文化コミュニケーションものというのはこれまでだと異世界からやってきたファンタジーの登場人物が現代の常識にうといので変な行動をする、という流れがまあ言ってみれば既定路線としてある。あるんだけど、たとえば亜人が当たり前にいる日常、となってくると、亜人たちには亜人たちの現代の常識が存在してしかるべきで、そのへんを異物として扱わない作品という意味で行くと亜人ちゃんは怪作といって差し支えない。

特に結論とかはない、でも異文化コミュニケーションもの好きなので書きたいなという気持ちになった*2。 こちらからは以上です。

*1:京アニは最終回前になっていきなり感情値を乱高下させることに定評がある[要出典]

*2:気持ちになるだけ