トラベリングオーガスト2017行ってきたので千桃について振り返ってみるという記事を2017年中に公開しておかないといけなかったのでする

ナビゲーターとして仙台さんがサプライズ出演されていて、合間合間に宮国朱璃の独白という形でナレーションがあるのですがこれが本当に素晴らしかった。今回は(前回ユースティア未プレイでユースティアの演奏を聞いたのとは違って)千桃をプレイ済みだったので、もう千桃の物語を通して朱璃というキャラクターの内面を知っているわけで、その上で、朱璃と一緒にオーガストの過去作をめぐる旅をする、しかも仙台さんのやさしいナレーションつきでですよ。なんていうかなんていったらいいのかぼくはもう語彙が消失してしまっているので完全にダメ。

あたらしく作品が出てくることによって過去作の割合が減ってしまうのはやや寂しい気持ちもありますが、FORTUNE ARTERIAL は前回わりとたっぷりやってますし、逆に前回なかったけよりな以前の作品の BGM をやってくれたのはよかったと思っています。個人的には大図書館の BGM やってほしいなーと思ったりもするんですが、あれはオーケストラよりバンドアンサンブルのほうが相性いいかもしれないなーということを思ったりします。そういえばきょねんのオーガストライブ2016で各作品のBGMのメドレーがあったんですけど、大図書館は特にゴキゲンな感じでよかったです。


千桃はなんかレビューみると割と期待にそぐわなかったという声を見かけます。ぼくはめちゃくちゃ好きですし、2016年の中では傑出した作品の一つだと思っています。 ほかのヒロインの扱いに対する不満に関してはなんとなくわかる気もして、これは朱璃のための物語なんだろうと思います。


ちょっと古い作品を引き合いに出すと、たとえばS.M.Lのカーニバルは、完全に学と理紗の物語で、詠美が報復されるのはともかくとしても、ほかのサブヒロインに関してはシーンに必然性とかなくて、商業上の理由でそうなっているだけでしかない。そうすると、分岐のこと忘れてメインのルートだけ考えたときにシナリオの完成度どうかっていったら、枝分かれした別になくてもいいサブヒロインのシーンの存在によってまったく損なわれることないですよね、と思っています。カーニバルはちょっと極端な例だとは思いますが、ぼくは各ヒロインがメインのルートにおける役割考えると誰も不要なキャラはいなくてそれぞれがそれぞれの役割を発揮し、個性を表現して、みんな魅力的に描かれてたと思うんですよね。


ぼくはたとえば FORTUNE ARTERIAL は総じて好きなゲームなんですが、悠木姉妹ルートについては別に物語上の必然性はあんまりないなということを思っていて、にもかかわらずそこを経由しないとトゥルールートが解禁されないことについてはやや不満を感じています。悠木姉妹がヒロインとして魅力的でないかというとそれはそんなことなくてちゃんとかわいいし、メインルートにおいての存在感もちゃんとしっかりありますが、どうしても個別ルートについてはそんなに重要な感じではない。主人公の過去の話に噛んでたりはするのでまったく重要でないことはないんですけど。ひょっとすると FORTUNE ARTERIAL はユースティアみたいにメインルートから枝分かれする形式のほうが馴染んだのかもしれないなーということを思っています。


で、千桃は朱璃のための物語だという話なんですが、それはもうめちゃくちゃ贅沢な話です。グラフィックも演出もBGMも抜群によく、シナリオのボリュームも充分にあって、しかもプレイしてみるとテンポよく物語が進んでいくので、いい意味でもう終わってしまうんだなあ寂しいなあという気持ちにさえなる。でも他のヒロインのルートはたぶんですけどどこまでいってもおまけ以上にはなりえないと思っています。確かにこれだけ贅沢な作品の中で、各ヒロイン個別ルートの中で各ヒロイン特有の問題を用意してそれを解決する、パラレルなルート分岐をするいわゆるふつうのエロゲと同じことやっていいのかどうかというと、それって FORTUNE ARTERIAL のときにぼくが悠木姉妹ルートに感じたのと同じようなこと回避できないんじゃないのか、と思ってしまう。

たとえばユースティアもトゥルーエンドを見た後の個別ルートというのはちょっと薄ら寒いところあるんですよね。この一見幸福に見える結末って本当に幸福な結末なのか? もちろんぼくはそれ込みでトゥルールートの価値を感じているんですが。


好みの話だけをいうと、ユースティアの息が詰まるような空気感とか緊張感とか、個別ルートに入らなかったその後のヒロインたちの強かさとか、ああいうのはぼくが特に好きなものなので、ユースティアに比べると千桃は全体的に爽やかな話ですね、という印象で、ユースティアほど強い衝撃は受けなかったんですが、たとえば主人公とメインヒロインのやり取りに関しては千桃のほうが好きだったりしますし、それぞれの作品にそれぞれの作品固有のよさがあって、それを抜きにして比較してもしょうがないことだなあということも思います。

完全に期待を除外してまっさらな気持ちで作品にのぞむということはとてもむずかしいことだとは思うんですが、作品によって目指すものが違う以上は、他の作品がどうだったということは思考の埒外におくようにしたほうが作品を楽しみやすいよね、というのがぼくの考えで、作品を楽しむために受け手側の工夫が必須とまでは言わずとも、いらないってこともないだろう、と思っています。