flowerwitch

flowerwitch クリアしました。

ドット絵がよく動く横スクロール探索アクションゲームです。

探索型だけどメトロイドとかキャッスルヴァニアとかとはちょっと趣が違って、探索が進むことで探索範囲が広がる感じのでなくて、ボスを倒すと次のエリアが解禁される、エリアを順繰りに攻略していくという感じになっています。倒さなくていいボスは一体だけで、あと横道がちょっとあるくらいで基本的にはステージクリア型に近いプレイ感覚ですね。あたらしい魔法やステータスアップアイテムが落ちてるので各エリア内での探索要素はしっかりあります。

クリアしてみればクリアできてよかったねという感じだけど、それはそれとしてこれは擁護できないよという要素が少なからずありました。自分でアクションゲーム作るときに考えさせられる部分が大きかったのでこのゲームの不満点とか書き起こしておきます。

続きを読む

FE風花雪月

買いました。

FEシリーズ最近のはエコーズしかやってないので比較対象として妥当かどうかわからんのだけど、士官学校でのプレイフィールはそれまでのFEとはガラッと変わってる気がする。テンポとか。
それが悪いというわけではなくて、新鮮だとは思うんだけど、生徒の育成とか考えることがいきなり多いので、とりあえず一周目はなんも考えずに適当にやってみて二周目から考えてやればいいんじゃないかなーという感じのもののような気がする。三クラスあって生徒みんな個性的だから別クラスもやりたくなるし。
なので、最初からあれこれ考えられそうな雰囲気を出さずに適当にやらせてほしいと思ってしまうんだけど、まあそれは贅沢かもわからんね。

この感じ、確かに一周80時間とかそういうレベルのゲームっぽい感じはある。ただ、画面見てるだけの時間はそこそこあり、80時間フルに楽しい時間ってことはなさそうだなーという気もする。まあそれはふつうの RPG でも同じことが言えるし、そもそも SRPG がそういうジャンルなので、そこに不満はあんまりない。時間取ってがんばってやろか、という。
時間作りたくなる楽しさはいまのところちゃんとある。キャラクターこれだけ人数いて男の子も女の子もみんなちゃんとかわいいので先生ががんばって教えてあげたいという気持ちになるし、どうせこれから悲惨な目にあうんやろ?(ゾクゾク)という感じもあり、とても楽しみ。
キャラクターのプロフィールの来歴欄にひどいこと書いてあったりするので見てるだけでも楽しい。そういうゲームだぞというわかりがある。

マストドンはツイッターのかわりにならないと思ってたけどかわりにならないほうがいいのでは

ツイッターを使うのはけっきょくみんながツイッターを使ってるから離れられないよねという話があり、それはめちゃくちゃわかるしそうだよなー、でもマストドンに統一される世界なんて来ないよなーと思ってた。

これは自分が間違っていた。来なくてよかったんだ、そんな世界は。

ツイッターはたくさん人がいる。ツイートを読む人がたくさんいるということでもあるし、ツイートをする人がたくさんいるということでもある。

ツイートをする人がたくさんいても、結局のところ目につくツイートだけがフィルタリングされていく。流れてくる文章全部拾って脳に入れてるなんてことはなくて、目につきやすいものが読まれやすい。そういうツイッターに最適化されたツイートがよりRTされやすくなるので、同じツイートが複数人の手を経て繰り返しRTされてくる。

こういうキャッチーなツイートには功罪あり、たとえばセンセーショナルな書き口で細部の考証が雑だったりして、考証が雑……!みたいな気持ちを抑えながら繰り返し見る羽目になり、疲れる。実際のところ多人数の目に留まるには雑なほうがよく、ツッコミどころがあるくらいのほうが目立つ。結果なにが起きるかというとそういうある種の引っかかりのあるツイートが流れてきやすい。これ疲れるんだよね。

マストドンみたいなユーザが少ないところ、良くも悪くも内輪ノリの文化で、ツイッターのユーザが少なかった頃の空気に近い。他人を出し抜いて目立とうとできなくはないんだけど、衆目を集めることを目的にするユーザはマストドンのようなユーザの少ないところには集まってこない。え、平和やんけ!

ユーザが少ないほうがよかったということがわかる。

ツイッターに疲れたらマストドンに行きましょう。

もちろんユーザが増えたらツイッターと同じようなことが起きるかもしれないんだけど、前述のとおり、マストドンに統一される世界なんて絶対に来ないので安心していい。マストドンの強みはここにこそある。

個人的にはツイッターはもはやコミュニケーションのプラットフォームではなくなったので、別の用途で使うほうがよいなという感じになってきてる。

ぼくは friends.nico が気に入ってたんだけどなくなるということだったので中の人が個人で立ち上げた best-firends.chat にいます。そんなにアクティブじゃないと思うけど気軽に絡んでくれるとうれしい。

異世界召喚ものが異世界移住ものになったのはいつ頃からなのか

わからんのでこれ以上なんもないんだけど、たとえば20世紀の異世界召喚ものはだいたい異世界に行って帰ってくる話になっていたと思う。

甲竜伝説ヴィルガストでは主人公は元の世界に帰り、ヒロインは異世界に残るという選択をしている。このへんの時代感だと、異世界に残るか、それとも帰るか、二択があって、どちらを選ぶのかという葛藤が描かれるのはよくあることだったような気がする。

ゼロの使い魔も、しばらくは異世界で生活を続けることになるものの、元の世界へ帰る可能性が得られたところで才人は強い郷愁の念を抱く。元に世界に帰ることが脳裏をよぎりながらも、ルイズとこの世界を放っておくこともできないよね、という葛藤が描かれる。

召喚ものは召喚であるがゆえに、異世界に残るか、それとも帰るか、ということがどうしてもつきまとう。よかれ悪しかれ。 異世界生活を死ぬまで堪能する作品があってもよかろう、そういう方向性においては異世界に残るか、帰るかの葛藤というのはわずらわしい要素になる。ので、いっそ最初から帰れない状況になってればよいのでは?というのが、転生を選ぶ動機のひとつになってたりするんじゃないかなあと思う。もちろん、そればかりとはかぎらず、たとえば転生は基本的に「人生やり直し」ものなので、第二の人生はもっとうまくやるのだというリプレイものの変種と見ることもでき、そうであるなら転生を書く動機は「人生やり直し」を書きたいからということになる。いろんなモチベーションがあるだろう。それはさておいて、帰る方法がなければ諦めもつくので異世界に定住させることを受け入れさせやすい、というのは実際便利だと思っている。

ゼロ年代異世界召喚ものだと永遠のアセリアの話を忘れてはいけなくて、これは異世界に召喚された後、元の世界に帰りもしないし異世界に定住するわけでもなく、エターナルなる永遠の存在になって、次元を渡り歩きながらエターナル同士の戦いに身を投じていくというものになっている。
エターナル・チャンピオンシリーズ未読なのでよく知らんのだけど、多元宇宙を渡りながら永遠に戦い続けるみたいなモチーフはたぶんエターナル・チャンピオンシリーズが後世の作品に影響を与えていると思っていて、マジック・ザ・ギャザリングもそうだし、なろうにもそのへんの影響を受けた作品があるわけだけど、異世界ものが多元宇宙もののサブジャンルなのでそういう展開の作品が作れるよというのはアセリアに限らずそうねという。

盾の勇者の尚文はそのうちに元の世界に帰るつもりでいるし、なろうの異世界召喚ものだと転生ものと違って元の世界に帰る選択肢がちらついてる作品も少なからずあって、このへんは召喚という題材だからかなあと思う。

転生でなく召喚ものでしかも帰る方法が失われてるわけでも別にないんだけど居心地いいから帰らないよというパターンの作品もあって、そういう割り切りができ、そういう割り切った作品が受け入れられる土壌がある、ということは好ましいと思っていて、異世界転生だからどうとか召喚だからどうとか転移だからどうとかっていうことにあんまりとらわれすぎずに自分の好むものを書いて自分の好むものを読んでということでエコシステムが形成されていくことを受け入れるとまあわりと楽しいねと思う。

特に結論とかはない。

劇場映画「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」を観た

原作未読。TVアニメしか観てないんだけどちゃんと原作読みたいと思った。TVアニメは13話でヒロイン5人の掘り下げをやるというわりと忙しい展開ながらもコンパクトに構成していて、要所は丁寧に描かれていて見応えがあった。

劇場映画「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」は、そこまでの流れをすべて踏まえた上で、ひっくり返しながら、観終わった後にさわやかな気持ちになるいい映画だった。映像だからこそできるリフレインの演出などはこの作品のテーマにきわめてよくマッチしているし、最後の「宿題」からのシークエンスは実に印象的でよかった。

TVアニメ観てても思ったんだけど、鴨志田一氏、さくら荘のあとアニメの脚本を書くようになったからか、台詞回しが以前に増して洗練されている気がする。原作未読なのではっきりしたことは言えないんだけど。

それしてもえ〜なんでこれ原作読んでなかったんだっけってなる。タイトルが「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」のオマージュなのであつかう題材はもちろんそういう題材になるわけで、そういうのはぼくはぜったいに好きやんけ。まあでもおそすぎることはないので今からでも読む。

エロゲがこの十数年の間ユーザを獲得し続けられなかったこと

エロゲの衰退って今に始まったことではなくて、ぼくがエロゲプレイできる歳になったときがピークでそこから先ずっと売上減少し続けてます。
具体的に言うと2005年から2010年にかけて50%売上減ってます。むしろ2010年から2015年は横ばい気味です。なのでこの2005年から2010年時点の話をしないとダメで、2010年代のユーザーのニーズにマッチしていないからエロゲが売れてない、とかっていうのはやや的はずれな話になってしまう。

http://www.sofurin.org/img/1992-2016results.jpg

ソフ倫のレポート。ソフ倫以外の機関を通してるゲームもあったけどおおむねこうだったと見ていいんじゃないかと思います。

2005年から2006年にかけての売上減はいまいちピンと来ないんですが、2003年とか2005年までって

こういう時代ですよ。この頃が強すぎたのが2006年に落ち着いたと見てもそれはそんなに不思議なことではない。ちなみに2006年のベストセラーは戦国ランスだったと記憶しています。ぼくのまわりもわりとみんな戦国ランスやってた。
それでも2005年から20%近く減ってるので、この時点で結構ユーザーが離脱してるんですけど、これ仮説なんですけど2003年に18歳だったユーザーはこの頃就活したり卒論やったりでゲームどころではなかった可能性があります。いやでもまわりはみんな普通にやってたな……。
東方とひぐらしがじわじわブームになりはじめたのが2004~5年頃です。
2006年にニコニコ動画がはじまって、東方、初音ミクim@sの時代が来ます。ここがターニングポイントだったのではないかと思ってる。
ハルヒゼロの使い魔のアニメが2006年で、このへんからライトノベルブームが来ます。実験的な作品もライトノベルから発信されるようになっていきますし、エロゲのライターがラノベを書き始めるようになり、やがてゼロ年代が終わります。

ところで俺妹はアニメよりも先に原作がしっかり話題になりましたが、これはバックグラウンドにエロゲがありました。そもそも俺妹の「俺の妹がこんなにかわいいわけがない」というタイトルが「恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐなんとか」を意識してないわけがないし、読者層にエロゲユーザーがいることを意識してたはずなんですよね。作中にアキバblogが出てきたりもする。だからこれくらいの時代は、まだエロゲユーザー人口が減少傾向にあったとはいえ、エロゲをバックグラウンドに持つ受け手が相当数いる時代ではありました。

2010年代の前半、なんだかんだビッグタイトルは出ています。2011年には震災で延期しつつも穢翼のユースティアが発売、でもこの年に一番話題を持っていったコンテンツって、言うまでもなくまどマギだったじゃないですか。このへんで主導権が深夜アニメに移りきった感じがあります。ところでまどマギ虚淵玄脚本なんですけど、虚淵玄のある種の「悪名」が効いていたのも一因だったかなあというとは思っていて、でもそれだけでヒットする作品ではなかったです。シャフトがあり、虚淵玄があり、というのをちゃんと両輪として評価しないとダメでしょう。俺妹がエロゲカルチャーをバックグラウンドに話題になったのとはちょっと話が違う。

2015年、カスタムメイド3D2が発売。2018年に一部互換のある上位版カスタムオーダーメイド3D2が出た今も DLC があたらしく発売されるくらいには息の長いコンテンツになってて、今の時代にマッチした売り方ができてるゲームのひとつだと思っていますが、こういうゲームじゃないと生き残れないくらいには厳しい状況になってきてるのは、実際2015年時点ですでに間違いなかったと思います。
同年に出たサノバウィッチ、めちゃくちゃおもしろかったですし、このゲームでしか味わえない体験をしたと思っていますし、ツイッターに若いユーザーの感想がちらほら見られたことを思うと新規ユーザーも獲得できてたんじゃないですかと思っています。エロゲが売れなくなったのはマンネリ化が原因とか言われてますけど、けっきょくのところ手堅くしっかり面白い学園モノがトップセールスにいたりはするし、それが新規ユーザーを獲得できてたりはする。中高生は学園モノのコンテンツに触れておとなになるのでその延長線上のコンテンツはある程度妥当なんですよね。

最近でも新規ユーザーまったくいないかというとエロゲの感想ツイート見るに割と若い世代はいます。そりゃいるよねという感じ。でもそもそも少子化でめちゃくちゃユーザ減ってるので新規ユーザーが減るのは当たり前ですね。一方古参ユーザーは可処分時間が減っていくので年々離脱していきます。これで維持できるわけがないので、今の時代ユーザー数を減らさずに維持できるコンテンツというのは「常に新規ユーザーを獲得し続けてパイを拡大し続けられるコンテンツ」のことになります。そりゃ無理だよ。

それはそれとして、別に時代の最先端にいなくてもいいじゃんとは思っていて、たとえばなろうだってやってることは紺碧の艦隊からそんなに変わってない作品もたくさんあるんだけど、それでいいじゃん、と思ってる。言うてみんなそんなにコンテンツの最先端に飛びついてますか? 話題になってから触れてませんか? そもそも流行って最先端だから流行ってるわけじゃなくない? とかいろいろ思うことはあり、ところで今でも東方 project は Windows 初期作にあたらしく参入する若いユーザーがいるらしく、コンテンツが盤石であることの強さみたいなものを感じたりします。文化が栄えたり廃れたりすること、時代の先端にいるかどうかには寄らないんじゃないかな。窓口が広く開かれていることの重要性みたいなものは感じるけど。

こちらからは以上です。

ドラクエ2のこと考えてる

なんか勢いで書いたんだけどなんで書いたのか思い出せないけど下書きにあってまとまった量の文章があったので蔵出ししておきます。

ぼくは一番好きなドラクエはと聞かれたら200ミリ秒でドラクエ2と答えるのですが、ドラクエ2ってよくわかんないことがたくさんあるんですよね。
まあドラクエ1もなんですが、ドラクエ1は世界が狭いのでそれほどでもないんです。でも2はそうじゃない。
まず、少なくとも国が5つある。ローレシアムーンブルクサマルトリアラダトームデルコンダル。なのに、ドラクエ2時点で、勇者の末裔として立ち上がったのがローレシア王子ムーンブルク王女サマルトリア王子の三人です。サマルトリアには王女もいますが、だとして、ロトの末裔がこの三王家で、100年ものあいだどうやって血族を維持してきたんでしょう。
初代国王はどこかから王妃または王配となる人物を迎え入れたことになると思います。早逝する可能性があるので子供をひとりずつしか産まないってことはなかろうと思うので、そうすると王子や王女は複数人いたはずです。実際ドラクエ2時点でサマルトリアには二人います。
で、まさか全員三王家内で婚姻させるわけにもいかないので、どこかから人を迎え入れることになるでしょう。王家から出すこともあるでしょう。そうするとロトの血を引く人間というのは、実は三王家以外に存在してもおかしくない……ということになります。
さて、ラダトームデルコンダルという国家は存在していますが、どうやらこれらにはロトの血は入っていないようです。
デルコンダル王家は政治的に繋がりを持つ必要がなかったかもしれませんし、ラダトーム王家はローラ姫の実家なので、血が濃くなりすぎるを避けたかったかもしれません。
ロトの血のバックアップとして、三王家の分家……たとえば公爵家などが存在している、と考えるほうが自然そうです。
ドラクエ2時点でロトの血のバックアップについてなんら示唆がない……たとえ容量が理由だったにせよ、そうである以上は、当代の分家に魔王と戦えるものがいなかった、と考えておくのが妥当です。むしろ勇者が三人揃ったことのほうが奇跡的ではありますが、逆に勇者が三人揃ったことにハーゴンが危機感を抱いてムーンブルクを襲撃したとすれば、一定の説得力があります。

ドラクエ2の後、ローレシアムーンブルクが結婚する、という話が、小説版などに描かれています。ぼくはそれもロマンがあって嫌いではないのですが、現実的にはあまりなさそうだ、と思っています。
三王家内で結婚を繰り返すのは血が濃くなりすぎるリスクがあります。
親の世代で外から血を入れているなら、ムーンブルクの王女と結婚できても不思議はありませんが、だったらサマルトリアの王女のほうがいいでしょう。ムーンブルクの王女ムーンブルク王国を継ぐ必要があるので、ローレシアに嫁入りするわけにはいきません。サマルトリアには跡継ぎがいるので大丈夫です。もっとも、ローレシアの王子を婿に出して、上述の公爵家(仮)の嫡男を王につける……という可能性がないこともないですけど、国民がもとめるのは世界を救った勇者の治世でしょうね。それがうまくいくかはともかく。

ムーンブルクはどこから婿を迎え入れるでしょう。サマルトリアはどこから嫁を迎え入れるでしょう。その候補となる家は、ドラクエ2の開始前から存続している可能性が高いです。ドラクエ1の勇者がアレフガルドの外に旅立つ前からいた土着の民族かもしれませんし、ひょっとするとドラクエ3の勇者一行の末裔かもしれません。そんなことを考えるとワクワクしてしまうのです。