最近考えていること

ブログの流行、SNSの登場によってインターネットは変わる、Web2.0の時代になる……という話は今からもう15年も前のことだが、それが真に果たされたのはスマートフォンの普及によってで、当時のfacebookと、スマートフォン普及後のfacebookは地続きでも遠くの世界だと個人的に感じている。それはtwitterにしてもそうで、とにかくスマートフォンの普及以前と以後で景色がガワっと変わってしまった。

Web2.0以前のインターネットでは、自身の情報発信空間を持つには条件があったりコストがかかったりしており、ある種特権的なものだった。メモ帳ひとつあればISPホスティングサービスで「ホームページ」を作れる……というのはごく一部の人に限られていて、インターネットに加入していても、ISPホスティングサービスにたどり着けない人が大半(そのISPがサービスを提供しているかしていないかにかかわらず)、メモ帳にHTMLを書くという行為も、メモ帳にソースコードを書いてFTPでアップするという初歩的なエンジニアリング作業で、一般人が気軽に行えるかというとそういうものではない。なぜかあの時代のインターネット人はPerlを読み書きし、Windows PCを使っているのにLinuxサーバのパーミッションの概念を理解し、掲示板のスクリプトをアップロードして実行権限を付与するという行為を行ったりできていたが、よく考えなくても異常だった。

ブログの普及によってFTPでファイルをアップロードするという行為を行わなくても誰でも気軽にインターネットに情報を発信できるようになり、著名人がブログをはじめたりしたが、思ってみればこの段階であってもまだぜんぜん趣味人の嗜みの領域で、情報を発信する側よりも受け取る側のほうが多かった。もちろんコメント欄でのやり取りくらいのコミュニケーションはあったが、これだって掲示板やチャットの頃から存在するもので、誰もが発信者という時代ではぜんぜんなかった。

誰もがインターネットで情報を発信するようになったという実感を得たのは、スマートフォンが普及して、誰もがTwitterをやるようになってから、だった。スマートフォンが普及する以前に、たしか2008年だったと思うが、当時の社の勉強会のようなものでTwitterの紹介をしたことがある。まったく薄い反応だった。それなんのためにやるの?という感じだった。「サッカーワールドカップを見ながら知らない人と一緒にリアルタイムに感想を言い合えるんですよ!」ということを説明したがまったくピンとこなかった。知らない人と一緒にリアルタイムに感想を言い合えるということの異常性が伝わらなかった。いや、異常だということは伝わったが、異常なので理解されなかった。そのときのインターネットは、まだ異常なものだった。

ゲームをプレイした感想を「ホームページ」にアップしてあれがよかったこれがよかったという話、たとえば1年2年経ってもできていた。2004年や2005年にCROSS†CHANNELのレビュー記事が個人のサイトやブログにアップされることは普通に起こっていた。SNSは情報の新陳代謝が異様に早く、その瞬間のコンテンツについての話をする。クリアするのに20時間かかるゲームより、5秒で内容がわかるゲームが話題になるようになっていく。それは異常なことだったが、そもそもインターネットで感想を共有するという行為自体が異常だったので、異常なものが次の異常なものに変わったことは、まったく理解されなかった。理解される環境もあったと思うが、当時ぼくがいた社はそういう世界だった。そしてそういう世界のほうが広かった時代だったと思う。

東日本大震災以後、SNSは社会インフラになった。誰もがSNSでコミュニケーションを取るようになった。誰もがインターネットに対して開かれた存在になった。Web2.0がやってきた。そうして思ったのだが、情報発信の機会が平等に与えられるようになっても、情報を行き渡らせることの特権性は変わっていなくて、技術マターだったのが情報発信マターになるという特権の移譲が行われただけ、だったんじゃないかと思う。

インターネットは機会を地理的・時間制約から解き放って、誰もに開いたが、その結果、たとえば地理的優位性によってかろうじて確保できていたものを、他者が金や人的資源で収奪できるようになった。転売はその最たる例だが、転売がここまで拡大したのはインターネット通販の普及によってではなく、インターネット個人売買の普及によって、である。店舗が転売対策のために店舗で販売を行って地理的制約をかけたところで、これは人海戦術によって突破される。そして売り口はインターネットに開かれている! 転売屋の販売経路を遮断しないかぎり、いくら地理的優位性を一般消費者が取り戻したところで、転売屋が優位な状況は変化しないと思っている。

最近ちらっと目にした話題だが、地域ローカルにおいてある分野によく通じていた人間が、インターネット時代には全世界にいる分野のトップレベルの人間と対峙させられることになり、厳しい、というのがあり、これも同様の話に思う。

確かに機会は平等になったが、機会が誰にでもどこにでも開かれているなら、単純に上から順に席が埋まっていき、むしろ階層化が進むんじゃないか、と思う。いや、階層上位にいることができた人間が、下位に降りてくることで、下位の人間が増え、全体的には均一になる、かもしれない。それはおおよその人は普通の人にしかなれない世界で、ぼくは別に普通の人でいいじゃんと思ったりもするが、戦うには厳しい、という感じになっている。

なんでこんなことになっているんだろうな、民主主義ってぼくは20代くらいまでは結局多数決の論理だ、などと思っていたのだが、最近はぜんぜんそうではなく、民主主義って超個人主義なんじゃないかと思うようになってきている。民主主義は別に社会の最大幸福の仕組みでもなんでもなく、強い個人の主権が拡張され続けていく仕組みで、弱い個人は淘汰されて全体化していく。全体化された個人の群れをわれわれはよく目にしている。目にしているよな。学校でも社会でもそこら中にいる。

民主主義で声高に自分の権利を主張する自称マイノリティを見るたび、彼らは特権的階級にいるよなと感じる。多数派が負っている苦しみは多数派にとって当たり前のものなので、多数派の誰かひとりが苦しみの声をあげても、みんな我慢しているんだ!となる。みんなも我慢なんかしなくていいと思うが、最大幸福のために我慢しなければならない場面はある。しかしこれが本当に最大幸福のためか……?という疑問はつくづくある。満員電車に乗らなくても社会が回ることをぼくはもう知っている、みんな朝が辛くても我慢してちゃんと起きてぎゅうぎゅうづめの満員電車に乗って通勤しているんだ、甘えるな、と言われたことについて、やはり納得はできていない。

普通の個人が普通に生きられるようになればいいなと思うが、困難すぎて実現はできない。個人が努力して権利を拡張し、利益を得られる世の中にいて、自分自身も少なからずその恩恵にあずかっているし、今の立ち位置を放棄して社会に奉仕するということもできない。そういう人がほとんどだと思う。

SNSで目にする民主主義的な「活動」の大半は「われわれの苦しみを知れ」で、これの行き着く先は結局超個人主義だと思っているから、うーん、平等ってなんなんだろうな。自由とは……。

特に結論とかはない。

一日遅れで今年もまた一年の無事を祝う

昨日は一日仕事をしたりなんだりでブログを更新するのを完全に忘れていたが、毎月4記事ずつくらい書くようになってから思ったのは、毎日3000字ボリュームの内容があるわけでもなく、数日前に記事を書いていればひねり出さないかぎり書くことがない、という気付きで、日記を続けるのなら400字程度で続けるのがよかろう。紙の日記帳に書くならそれでもまだ多いのではないかとも思う。

昨年からの一年の振り返りとしてはそれなり書くことがある。
幻葬再演を完結させ、サークルとしては明確に終わりのあるゲームをはじめて世に出すことが出来た。サークルを作ってからずいぶんかかってしまったが、よかった。まだ小さいものを出せそうなので夏には出したいと思っている。進捗がないまま5月も終わろうとしているが、まあなんとかやっていきたい。

競馬は一昨年の菊花賞以来継続的に見ている。昨年の2歳秋の重賞の頃から応援しているソダシやユーバーレーベンが今活躍しているのを見るのは嬉しいし、今年もこれから新馬がはじまって、来年のクラシック候補が出てくるかもしれない。楽しみが多い。

コロナ禍で外出機会が減って運動不足気味で、体力は確実に落ちているし、それに起因する体調不良も増えた。真面目に運動するようにしないと来年無事を祝えるかどうか、という危機感はあるが、きょうもこうして雨が降っており、外に出るのは億劫だなあとなる。散歩くらいは続けたい。

ツクールMZのプラグインを作るにあたってTypeScriptの型定義を自分で用意しようとかいろいろやろうとしたが、途中で面倒になって投げ出して10ヶ月、他の人が型定義を用意してくれてたりしてて、それ使えばいいかなと思わなくもないが、importしないと使えなかったりで、これだとあまり便利ではないよなと思ったりするし、厳密でもない。ツクールのプリセットのクラスなどはグローバルに暴露されているので、importしようがしまいが型が存在する。しかしimportして使うとなると、importしていないがツクールにはすでに存在する型とプラグイン内であらたに定義した型が衝突していても、エディタはなんのエラーも返さない。これが望むものだとは思えないから、d.tsファイルとして用意して読み込んだらグローバルに定義されるほうが正しい。

ツクールのプラグイン開発ってJSは使っているもののフロントエンドの知見がそのまま適用できる世界ではないと思っていて、とはいえフロントエンドの知見で改善すべき点も多いなとも思う。ツクールMVのプラグインを書くときは自前のビルドシステムを使っているのだが、それを先日再構築した。Lerna+TypeScriptという構成から、Yarn Workspace+rollup.jsという構成に変えた。rollup.jsはIIFE形式の出力に対応していて、ツクールのプラグインに最適な形だと思う。ESNextの時代だからなんでもかんでもESNextスタイルでやればいいというのは違うと思っている。

ティラノスクリプトプラグインも基本的にはこれと同じ考え方でよいと思う。KAGというオブジェクト内に閉じてはいるが、KAG自体はグローバルに定義されている。プラグインはIIFE形式で書いて、IIFE内に処理を記述して、IIFE内でKAGオブジェクトのプロパティにセットするというのを基本にしたほうがいい。

ティラノスクリプトプラグインもTypeScriptで書けたいが、ティラノスクリプトの型定義は今のところないと思うので、やるとなると自分でやらないといけなくてちょっと気が重い。

JSが書けるとティラノスクリプトもツクールもSRPGスタジオも全部JSでいけると思いきや、ティラノスクリプトの描画はDOM、ツクールはWebGLSRPGスタジオはJSエンジンが違う、というのもあって、JSだから何でもOKという感じはない。ないが、ビルドシステムの考え方は基本的にTypeScriptやESNextで書いてIIFEで吐き出すという流れになるので、ビルドシステムの上では同じように開発できると思う。いまのところSRPGスタジオはあんまり考えていないが、そういうこともできるなと。

作る側の話をしてきたが、遊ぶ側の話も少し触れておきたい。
死神教団は買ってない。死神娼館よりはコンセプトは明確そうだが、体験版をやったかぎりでは、SLGパートは領地貴族をやるほうがたぶん面白いと思う。ガワはキャラっぽさを意識してるんだけどなんかいつもズレてる感じがする。
領地貴族今やってもけっこう面白く、これでもうちょっと作り込みに深みがあればと思うが、開発期間をいたずらに伸ばしてもとも思うし、難しいところがある。
ソフトハウスキャラはもう解散してしまったが、メインプログラマの方はゲーム開発は続けていく、チームを作ってやっていくということとのことで、今後の活動を楽しみにしている。ソフトハウスキャラ以外の形であってもイズムが続いていくことはうれしい。

7センチのぞんびっ娘アイランドは南国ドミニオンっぽい雰囲気のゲームだったが、これはけっこうキャラっぽいイズムを感じていて、エッセンスを理解して作ってるなと思った。夏に出る予定の私を育てなさい!はウィザクラっぽく、体験版を触った感じはけっこうよかったので楽しみにしている。

同人ゲーム界隈でキャラっぽいエッセンスを感じられるゲームが出てくるのはうれしいが、それは俺も作りたいと思っていたし、作っていきたいと思う。

星詠みの神託も楽しみ。

と、ひねり出せば書けることはあるなというくらいのボリュームになったところで今日の話は終わり。

また一年無事に過ごせるようにやっていきたい。

ティラノスクリプトを触っている

吉里吉里2はなんか途中で触るのを断念してしまったが、everettを作って以降KAGの構文に慣れたのもあってか、今ティラノスクリプト触ってみると結構すんなり触れるなあと思ったりした。

KAGと違ってキャラクターまわりのタグが整備済みなので表情差分つきの立ち絵を表示したりするのは結構楽、ただchara_moveでパーツがずれたりすることがあってなんじゃろなと思ったら、moveで拡大縮小するとwidthとheightを同時に指定しないとずれるっぽい。実装の考慮漏れっぽい気がするので直せたら直したいなあと思うんだけど、ティラノスクリプトのマクロまわりはコードが圧縮されていてプラグイン開発にあんまり適してないなあという感じがする。これ未圧縮のやつあるのかな。スタジオは立ち絵の管理ツールとかついてるが、プラグインでごちゃごちゃやるとあんまり使えなさそうな感じになると思う、ので、VSCodeでシナリオ書いてスタジオでテストプレイする、みたいなやり方に落ち着いちゃった。

スタジオのタグヘルパーはeverettのイベントコマンドパレットと似たような機能で、だいたい同じような感じなんだけど、タグヘルパーはパラメータの入力まではサポートしない。まあ基本エディタでごりごり値を書いていけばいいと思うのでそれはそれでいいと思うんだけど、結局タグリファレンス見たりしていてあんまり活用できてない。できればゲーム中の変数とか諸々を引っ張ってきてパラメータ入力に使えるとよかったんだけど。everettでできることができてないとうーむという感じ、まあeverettは条件分岐も変数も使えないからeverettはeverettでしんどいんだけど。

まあでもなんか立ち絵を表示したりメッセージを表示したりする機能は本当によくできていてそういうのがベースのゲームを作るならティラノスクリプトがいいんじゃないかなーという感じ、経営SLGとか育成SLGとか、あとノンフィールドRPGもいいかも、そのへん作るならティラノスクリプトがよさそうな気がする。なんか作る予定があるというわけでもないんだけど。

それ以外のゲームはねえ、それ以外っていうのはリアルタイムに動くやつ、RPGでもRTSでもいいしSTGとかアクションもそうだけど、そういうやつはうーん、メインループが書けないと厳しいかなという感じ。ローグライクはリアルタイムではないのでワンチャンいけるかもだけど、ティラノでがんばるジャンルでもないかなと思う。

ツクールはツクールで作りたいゲームが多い、2DアクションとかRPG作るならやっぱツクールになるし、で、ツクールのゲームで立ち絵管理するとかなったときに、ティラノの知見は活かせそうに思う。実際に触ってみないとわからんところがけっこうあった。参考になるなーと思って触ってる。立ち絵プラグインはMZ用に作り直したいと思ってるし。

特になんか成果物があるわけでもないけど今日はここまで。

モンスター娘の純愛ジャンル

これはdlsiteに限らなければ、モンスター娘ものというジャンル中で純愛ものはそんなに稀有なものでもないというかむしろ王道ジャンルだったりしていて、それこそモンスター娘のいる日常が商業化する前からの流れの一つである。ゼロ年代はたとえばGALZOOアイランドが2005年に出てそれなりにヒットし、どちらかといえばモンスター娘をヒロインにし、モンスター娘とイチャイチャする作品のほうが主流だったと思う。負ける作品がなかったかというとそんなことはなく、サキュバスエストのツクール2000版が出て間もない頃、多数の淫魔に負けて搾り取られるGORというジャンルのゲームがアンダーグラウンドで作られていたし、同じ流れを汲んで魔物娘図鑑もこの頃に出てきた。これがモンスター娘に負ける現在のdlsiteの主流の流れに繋がっているのだが、サキュバスエスト自体には勝ちも負けも両方あるし、テーマは愛だったわけだから、いくつかあった傍流だと思っているし、dlsiteではそれが主流になった、という見方をしている。

モンスター娘のいる日常のほか、ほりとも作品なんかも純愛ものだが、ほりとも氏自身は2010年以前には触手ものがメインで、モンスター娘との純愛ものとしてシッポの話もあるが、テンタクルバージンではシッポが触手にぬたぬたにされる話を描いていたりしており、方向性としてモンスター娘との純愛ものをやっていくようになったのはその二作よりも後の話、2010年代に刊行された作品からである。が、連続的かどうかはともかく、商業ベースではモンスター娘の純愛ものが少数派ということは全然なく、これ以降は、恋愛要素をメインにしない日常作品が描かれるようになり、それらがアニメ化する程度には一般的になっていく。亜人ちゃん、セントールの悩み、メイドラゴンなどを見て、モンスター娘ものの主流がモンスター娘に絞られるジャンルだとはふつう考えないと思う。そうなってるのはdlsiteだけ。

dlsiteはそういう特殊な環境下にあるので、はっきりとモンスター娘の純愛ジャンルは、主流でなく傍流として存在している。木工用ノスタルジィやだぶるす・こあは明確にその方向性をやっていこうとしているのがわかるし、好きなことをやるのが同人だから、そうであってほしいと思うが、今のdlsiteにはあんまり多様性がないよねということを思う。まあそもそも純愛もの自体がもう商業エロゲでさえ衰退しつつあるのだが……まあ和姦には性的倒錯がなくて抜けないみたいな話はそれはそれでわからなくもなく、一旦性癖が指向性を持つとフラットな性癖がから滑りするようになっていくというのは自身でも体験していることだから、嗜好が先鋭化した今のdlsiteではある意味仕方がないところがあったりはするなあと思う。他にプラットフォームもないけどね。FANZAはもっと伸びるかと思ったけど、同人ゲームに限ってはそうでもないし。

なければ自分で作るしかないねえという気持ちで作っているサークルはたくさんあるので、本当にありがたい話やねと思っているし、自分が求めるものはやっぱり自分が作るしかないよなと思っているので、自分も作りたい、やっていこうと思う。

ソースコードとしての Markdown とプレーンテキストフォーマットとしての Markdown は異なるという話

Markdown はもともとはプレーンテキストフォーマットかつ HTML にトランスパイルできるソースコードでもあるという感じの言語として設計されていると思うが、今はむしろ HTML にトランスパイルできるソースコードという用途のほうが強くなっているように思う。プレーンテキストをそのまま読み書きするということをあまりせず、描画された HTML を見る機会の方が圧倒的に多い。このはてなブログにしてもそうである。

ブログの入力画面などに実装された軽量マークアップ言語はもともとがマークアップ言語であることを目的にしていて、Markdown はそのままでも読めるし HTML にも変換できる、というのとはちょっと趣が異なる。Wiki 記法や BBCode などはあきらかにコードであるし、はてな記法もそうだった。

それらが Markdown に置き換えられていったのは、Markdown が読みやすかったからというよりは書きやすかったからということが大きい。Markdownエニグマティックな記法が比較的少なく、普通に入力して普通に書ける。これが利点だったが、反面、表現力は犠牲になっている。定義リストやテーブルは使えないし、脚注などもない。たとえば大抵の Wiki では結局 Wiki 記法がそのまま使われているが、Wiki は図表も使うし目次も脚注も使うから、どうしたって Markdown では足りないし、何より Wiki 内リンクの取り扱いに特化した Wiki 記法が一番 Wiki に適している。

Scrapbox はその点で Wiki 記法と Markdown のいいとこどりをしていて、百科事典でも作るわけじゃなきゃこれで充分だよなというくらいの機能に抑えている。こういう割り切りはこれはこれで正しいと思うが、しかしどこでもこの記法でいいかというと全くそんなことはなくて、たとえば技術書の原稿を書くにはそれなりの表現力が必要になる。

さて、Markdownエニグマティックな記法がないことがいいところだと思うが、たとえばこういうものはどうだろう

![img alternative text](https://example.com/url_for_img)

これは img 要素を表示するためのものだが、! で画像だということが果たして誰がわかるだろうか。
なんならプレーンテキストとしては https://example.com/url_for_img これだけあれば充分で、これが単に URL か画像を表示したいかの区別をつけるのならば、そのようなマークアップをすることが正しかろうと思う。昨今のおおよそのテキストコミュニケーションサービスでは URL が指し示すリソースが画像であれば、自動でインライン展開を行うようになったりしているが、これがプレーンテキストフォーマットで求められる挙動だろう。もっとも Markdown は今から20年近く前のフォーマットなので、そうはいってもというところはある。

テキスト中の改行を\
明示するには  
`\` あるいは `  ` を行末に入力する必要がある

これもまた HTML にトランスパイルできる言語であろうとした結果の歪みと思っていて、おおよそ自然でない記法で改行というごく自然な行為をする必要がある。
もちろん Markdown は欧文しか想定していないので、日本語のように形式段落を日常的に使う言語に適していないのはしょうがない。しょうがないとは思うが、ソースコードとしては、本来意味のない折り返しこそ「次の行はこの行の続きである」ということを明示するべきのように思う。\ という記号は改行のエスケープ、つまり行が続くことを意味するし、ソースコードとしての振る舞いもそうであってほしい。しかしプレーンテキストフォーマットとしては逆で、手動による折り返しのほうを多用するから、折返しでない本当の改行を明示するというほうが利便性がある。なので目に見えない という改行の記法が存在すると思うが、果たしてという感じである。

それから、これは本来の Markdown の抱える問題ではないのだが、Markdown 派生の記法の多くが、エニグマティックな拡張記法を採用している、というのがある。全く Markdown の設計意図を理解していないと思うし、他の軽量マークアップ言語の研究も足りていない。部分的には ReST や AsciiDoc のほうが優れているという記法もあるが、それらを参考にしたとも思えないような、パーサが混乱しなさそうな空いている記号があったのでとりあえず使いました、という感じの、いかにもマークアップをしますという記法が多いのは、じゃあなんで Markdown 使ってんねんという気持ちになったりもする。まあどうして Markdown を使っているかというとそれがデファクトだからなので、Markdown の設計意図がどうこうというのはまったく関係ない話なのだけど。

Markdown を10年以上使っているが、やはり Markdown よりも日本語に適したプレーンテキストフォーマットが必要だなあということはずっと思っている。テキストフォーマットはテキストフォーマットであればいいので、ソースとして使わない限りは別にパーサも書かなくていいし、トランスパイラも書かなくていい。しかしトランスパイルしない環境であれば、別に Markdown でも困らないのだよな、とも思うので、結局特に何かを作ったりはしていない。ただ、Lazri はいいプロジェクトだと思うのでまたどこかでやろうとは思っている。Ruby 製なので TypeScript に移植したりするところからやる必要があり、そこで足踏みをしている。

Danzig のカナ表記

Danzig のカナ表記をダンチヒと書く人も、ピルサドスキーのことをピウスツキとは書かないし、トウルビヨンのことをトゥールビヨン、トウルヌソルのことをトゥールヌソルとは書かないじゃん。Nureyev をヌレエフと書くのも、まあ別にしたければすればいいと思うんだけど、慣用名であるダンジグやヌレイエフだとまずい理由ってなんかあるんだろうか、と思う。

文脈から明らかとはいえ、ダンチヒダンツィヒとダンジグは、より明らかに区別できる。後者は馬の名前として使うことのほうが多い。ヌレエフとヌレイエフにしてもそう。ヌレイエフといえば競走馬の名前だということが明確になる。

今更パワーとパウアと言い換えるべきかどうか、ということも思う。

原語の発音に忠実な表記というやつ、便利か? 合理的か?

という疑いをいつでも持っていたいと思う。私はわかった上であえてダンジグと書くしヌレイエフと書く。

こちらからは以上です。

天皇賞(春)展望

春の天皇賞」なので「春天」でいいんじゃよ、「天皇賞(春)」のことを口に出して「天皇賞カッコ春」とは言わなくて「春の天皇賞」って呼んでるんだからそれを略したら「春天」になるじゃろ。

さておき、その春の天皇賞、今年は頭の抜けた候補がおらず、混戦が予想される上、京都競馬場改修の影響で阪神での開催になる。その阪神の3200mは内回り→外回りの変則的なコースで、こんなコースを経験している馬はほとんどいない、ということもあって非常に予想が困難になっている。何が勝つか本当にわからない、だからこそ今年はめちゃくちゃ面白いと思っている。

三冠馬が翌年に春の天皇賞を目指さないのはナリタブライアン以来で、他にシンザンミスターシービーも回避しているが、これら三頭はすべて怪我などで状態がよくなかったことによる回避で、距離適性を理由に回避するのは初めてではないかと思う。ちょっと寂しさはあるが、阪神の3200mはコントレイルに適した舞台ではないように思うし、陣営の判断にも納得できる。むしろ京都とはいえよく3000mを走りきったなと思う。

京都と阪神の差は、一番は直線の坂のあるなしで、阪神の3200mとなれば直線を2回走る、つまり本来は走りやすい直線で坂を2回下って上がるということをしなければならない。もちろん京都にも坂はあるが、阪神に比べると緩やかだし、坂があるのは第三コーナー手前からの上りと第四コーナーにかけての下りで、直線はほぼ平坦。なので京都は最終直線の末脚勝負になりやすいが、阪神は最後まで走り切るタフさが求められる。そんなわけで、長距離をこなしているかどうかだけでは測れないところがある。もっとも、長距離をこなしているかどうかだけで測れないのは今年に限ったことではなく、例年の京都開催にしてもそうではある。京都の3200mと、中山の3600m(ステイヤーズステークス)、東京の3400m(ダイヤモンドステークス)、阪神の3000m(阪神大賞典)では適する能力がそれぞれ違っている。今年は阪神の3200mだから、阪神大賞典組には特に注目するべきだろう。

前走:阪神大賞典

  • ディープボンド

2着に5馬身差をつけて圧勝、重馬場で特にタフなレースになったと思うが、この馬には合っていたということだろう。
キズナ、母父キングヘイローで血統表だけ見るとあまり長距離向きに思えないが、Lyphard の5×4のクロスがあり、欧州的なスタミナが引き出されているのかもしれない。

  • ユーキャンスマイル

2018年の菊花賞3着、2019年のダイヤモンドステークス1着、2020年の阪神大賞典1着、京都開催の春の天皇賞では5着、4着と、3000m以上のレースで着外になったことがない。今年は阪神開催でこの馬には適した舞台に思う。父キングカメハメハステイヤーは珍しいと思うが、母父ダンスインザダーク菊花賞馬で、こちらの血が強く出ているのかもしれない。母方の血はダンスインザダーク以外は短距離向きに見えるし、血統表だけでは馬の適性なんかわからないよなと実感させられる。

  • ナムラドノヴァン

ユーキャンスマイルと0.1秒差の3着。今年の頭に万葉ステークスを勝ってオープン入り。その後はダイヤモンドステークス4着と、長い距離で堅実な走りをしている。父ディープブリランテ、母父 Kingmambo で一見欧州型×アメリカ型という感じだが、Nureyev の5×4のクロスがあり、二代母の父がデインヒル、三代母の父が Roberto と欧州的な血統構成になっていて、タフなレースには合っていそうに見える。

  • シロニイ

3着からは3と1/2馬身差の4着。その前は3勝クラスの松籟ステークスで4着になっており、今年の春の天皇賞と同じ舞台を経験している。父キングカメハメハ、母シラユキヒメ白毛一族で、ダート馬のように思えるし実際条件戦では重馬場のダートで好走しているが、近走は芝の長いところでのレースが続いており、陣営が適正があると判断したのかなと思う。近親馬にも特にステイヤーらしい馬はいないと思うし、歴史の浅い牝系なのでなんとも判断がつかない。これまでの成績を見てもムラがあるし、ちょっと難しいなと思う。

6着。2020年のダイヤモンドステークスで2着、同年の阪神大賞典で3着だが、近走はなかなかいいところがない。前走も道悪であったことを差し引いても強調できる材料を持たないように思う。二代母の父 Sadler's Wells であり、長い距離向きではある。

7着。菊花賞2着、道悪のAJCCで1着と、実力上位と見られていたが、結果凡走。折り合いがつかなかったことなどが敗因と見られている。良馬場の京都なら期待できるが、阪神は舞台が合っていないかもしれない。
父はエピファネイア、Sadler's Wells の 4×4のクロスがあり、血統的には長い距離をこなせるように見える。

  • ゴースト

心房細動で競走中止。無事で良かったと思うが、無事に走りきっていないことで判断材料がない。その前は万葉ステークス5着。長い距離で結果を出していることからステイヤーには違いないと思うが、上位馬と比べるとやはり実績不足に見える。

前走:日経賞

  • ウインマリリン

2着を半馬身差に抑えて押し切り勝ち。個人的には2500mまでの馬だと思う。今年は主役不在ということもあり、初の牝馬による天皇賞(春)制覇を狙うなら今、ということなのかもしれない。血統的にも近走成績からも特に強調したい点はない。

半馬身差の2着。大きいところで2着続きでなかなか勝ちきれないが、一度も着外になったことのない堅実な走りをしている。が、阪神の3200mで同じように走れるのかどうかは個人的には疑問。母方はアメリカ血統で特にタフなレース向きな感じもしない。

  • ワールドプレミア

2着とはクビ差の3着。上がりはトップタイ。2019年の菊花賞馬で、ここでも実力上位と思うが、はたして阪神の3200mはどうか。母父は Acatenango で血統的な適性はあるように見える。

  • ジャコマル

5着。その前はダイヤモンドステークスで7着。父ダノンシャンティ、母父トニービン。父はマイルから中距離くらいがいい馬だと思うが、母父トニービンはスタミナ系。戦績を見た感じは中距離がベストに見える。

  • オセアグレイト

5着にクビ差の6着。2020年のダイヤモンドステークス3着、同年のステイヤーズステークス1着。父オルフェーヴル。母ブルーダヌーブは父がBahri 、母父が Sadler's Wells で凱旋門賞馬 Sakhee と同じような血統構成を持ち、本馬にもその欧州型の血がよく現れているように思う。ちょっと成績にはムラがあるし、阪神でのレース経験がないのも不安はあるが、長距離重賞を勝つだけの実力はあると思う。

その他

  • ディアスティマ

前走は松籟ステークスを三馬身差の逃げ切り勝ち。内容からいっても重賞で勝ち負けできるレベルだと思う。前哨戦を使わずに本番というのがやや不安ではあるが、今年の天皇賞と同舞台で勝っているという経験がこの馬の最大のポイント。
母はアメリカのGIを3勝した名牝。母方はアメリカ血統で、これだけ見るとステイヤーぽくはないように思えるが、阪神の3200mを逃げ切って勝つということはそれだけのスタミナが実際にあるということだろう。

  • ディバインフォース

前走は3勝クラスのサンシャインステークスで3着。2019年の菊花賞で4着になっている。条件馬で特に強調材料はないが、父は凱旋門賞ワークフォースで、母父ゼンノロブロイ、二代母の父が Alzao と、母方の血はディープインパクトに似た血統構成になっている。中長距離向きの血統をしていると思うが、条件戦では善戦続きでなかなか勝ちきれていないし、ちょっと難しいのではないかと思う。

  • メロディーレーン

前走はオープン特別の大阪ーハンブルクカップで10着。350kg前後というきわめて小さな体の馬。走っているのを見てもひと目でわかるし、向こう正面では他の馬に完全に隠れてまったく姿が見えなくなることさえある。2019年の菊花賞で5着、2020年の阪神大賞典で5着と、長い距離で好走しているが、勝ち負けとなると難しいと感じる。個人的には好きな馬なので応援しているのだが……。
オルフェーヴル、母父 Motivator、二代母の父 Shirley Heights とバッチリ欧州型で、血統的には申し分ない。

前走ダイヤモンドステークスで2着。仕掛けが早かったことを除けば完璧な走りをしているし、舞台が阪神になって直線が短くなるのはこの馬には合っているように思う。父はオルフェーヴル。母はエピファネイアの全妹ロザリンドで、スタミナのある血統。

休養明け。昨年は大阪杯ジャパンカップに出走したが、特にいいところはなく、あまり強調する点がない。


人気はディープボンド、アリストテレスの二強で、次いでワールドプレミアという感じになっている。オセアグレイト、オーソリティなどのオルフェーヴル産駒はあまり人気していないが、舞台には合っていると思う。実績的にはユーキャンスマイル。という感じで見ているが、雨も降っており明日の馬場状態でまたちょっと難しくなりそうだなと思う。

こちらからは以上です。