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食事を見直したことと毎日体重を計測することで週平均で1kgずつ減量できている。

やっていることとしては、いわゆる8時間食事術と呼ばれるやつがメイン。一日の食事を8時間内に収める、というやつで、シンプルに1日2食かつ食事間隔が短いので2回めの食事量が自然と制限されるほか、食べてない間に血液中の糖と脂が減り、血管と血液の状態が改善され、食べていない16時間の間に消化器を休ませることができる、などの効果がある。
基本的にこれしかやっていない。

最初のほうは RFA やったりもしていたんだけど髪が長すぎて無理だったので髪を切ってから再挑戦ということにして、昨日髪を切ったので今日から再開する。

先週末はあまりお腹が空いていなかったこともあり、意図せずファスティングデイのような感じになったが、日頃は少しだけカロリーを控えめにしつつ、週2日、間を空けてファスティングデイを入れると効果的に減量できるっぽい。一日二日摂取カロリー減らしたくらいでは減らないじゃろ、と思ってたんだけど、ちゃんと日頃からオーバーカロリーにならないようにしていれば、ファスティングデイの効果はてきめんに出る。ただ、ファスティングデイは運動したりせず完全に身体を休めたほうがよい。糖とタンパク質は適切に摂る。大事なのは脂質制限。

前にやったときは糖質制限とカロリー制限だったのだが、筋肉量が落ちたりしたこともあってあまりよくなかった面もあるし、同じ食生活を続けられなかったという反省があった。今回は割と好きなものを食べてはいるので、しいていえばたまにはビールが飲みてえな、くらい。ビールは目標達成後にたまに飲むくらいにするつもりでいる。

あと、前回もそうだったけど、毎日体重を計ると意識が働くのでよい、いわゆるレコーディングダイエットとか呼ばれているやつもそうだけど(厳密には今やっているのはレコーディングダイエットではない)、記録をつけるだけで人間の意識に影響がある、というのがいい。頭で考えてやることよりも、感情や感覚でやることのほうが継続しやすい。習慣化したものが途絶えるのはなんとなくいやだな、のなんとなくを励起するのが重要。

基本的に自分は飽き性なので来年の今頃まで続いてるかどうかが問題。日記はもうすぐ二ヶ月続く。日記が続くなら続けられるかもしれない。

こちらからは以上です。

Nosh という宅食サービスに加入してみた

Nosh という栄養バランスに考慮したメニューの冷凍のおかずをお届けしてくれる宅食サービスがある。プロモーションでなんども目にしていたので「ふーん、まあまあよさそう」という気持ちでは見ていたのだが、なんとなく決定にまでは至らなかったのが、「なんかおかず一品とベースブレッド一個くらいがちょうどいいきがする」という気付きを経て、Nosh はじめてみるか、となった。

きょう届いたので食べてみたのだが、

  • 味がちょうどよい。塩分控えめだが素材の味が生きている。出汁が効いているし野菜は野菜のうまみがある。
  • 量は成人男性にはちょっと物足りないかもしれないが、夕食をこれと一膳のご飯、一杯の汁物という感じでカロリーをコントロールするといいかもしれない。
  • 一食5~600円くらい。おかずのみなのでコンビニの弁当よりもちょっと割高だが、外食よりは安いという価格帯。
  • メニューは選べる。前見たときより種類が増えていているので、これなら飽きないかもしれない。

という感想。

規則正しい時間に食事を取るようにしてから体調は安定しているように思う。ただ今週は忙しかったからから週末に反動のように疲れが出ており、まあ仕事が落ち着いたらもうちょっとマシになるか、と思うので、こんな感じで今後もやっていきたい。

Ci-enはじめました

ci-en.dlsite.com

fanbox を廃墟してしまって申しわけないという気持ちがありつつ、サークルとしての情報発信場所がほしいと思いながら tumblr もブログサービスもなんかいまいちサークルの活動報告向きじゃないんだよな、となって、じゃあ fanbox かというと fanbox は pixiv アカウントと結びついててこれだとサークルというまとまりでは使いにくいんだよな、となった。

Ci-en も Ci-en でユーザーと紐付いてはいるんだけど、さいわいまだ dlsite でゲームを出したりはしていないので、これを機にサークルアカウントを作り、そのアカウントで Ci-en を開設した。

そういうわけで、この Ci-en はわたしとゆえっちが二人でゲームを作っているところをそれぞれが記事を起こしてやっていくと思う。今はわたしの企画とゆえっちの企画がパラレルで動いているので、それぞれがそれぞれの企画の記事を書くと思うけど、そのうちに大きめのをやるときは分担してそれぞれの作業内容について書くみたいな感じになったりするんじゃないかなあと思う。

そのへんは手探りですね。

で、ゲームの制作の近況とかどこで書くのがいいのかいまいちわからなかったんだけど、今後は Ci-en を使うと思います。ここはより雑談になっていくと思う。それはそれとしてブログも引っ越したい。たいした理由ではないんですが、個人サーバに静的ファイルで上げられる方が好ましいなあということをたびたび思っています。

ところで、日記を書くようになったのとは別で、最近体重と食事を記録するようになったのがあり、今は食事時間だけは規則正しい生活になっている。体重はなんかちょっとずつ減ってはいる。微減という感じだけど、まあ何もしなくても体重はかって食事に気をつけるだけで微減はするので、一年後にはもうちょい軽くなってるんじゃないでしょうか、と思う。ちょっと重たくなっちゃったからね。

主に Ci-en はじめたよ報告でした。こちらからは以上です。

日記を書き始めて変わったこと

昔は公開しない日記を書くことがどれくらい精神衛生に有効なのか全くわからなかったが、毎日日記を書いて自分の内面を省みることをするだけでブログで八つ当たりをしたいという気持ちはほとんどなくなったように思う。
Twitter を見ている時間もかなり減った。Twitter を見なければ Twitter 経由の負の感情が発生しないので、これも多分に影響していると思う。

Twitter で情報を発信することにはもはやあまり意味はないと感じている。情報発信ツールとしてはほとんど壊れていて、別の方法を考えたほうがいいんじゃないかと思うくらい。身内のコミュニケーションは別にどこでもできて、Slack や discord があれば別に Twitter じゃなくていいかなあという感じ。だから逆に Twitter は知らない人をリストに放り込んで RSS フィード代わりに使うほうがまだ使えるかなと思うんだけど、トピック単位じゃないからこれもあんまり意味がない。トピックをフォローするとかいう機能は全く信用していない。結局プロモーションのための機能だと思う。

口コミ効果が有効な時代も終わりつつあると思っている。第三者の評価もその第三者自身が自分の承認欲求を満たすなり広告収益をあげるために誇張や虚飾を施すようになってきていて、たとえば YouTube のレビュー動画とかはだいたいタイトルがギリギリ嘘にならないアオリ文で興味を引くやり方をしているところが目立つし、Twitter にしても大差ない。こんな環境の口コミにホントに意味ある?って疑ってる。実際にはまだ効果があるからそういう手法が成立しているんだけど、自身が望む情報にアクセスするのが難しくなる一方だから、いつまでもは続かないだろうというか続いてほしくない。

個々人がリテラシーを身に着けて自分の基準で価値判断をする人が増えれば環境が変わっていくと思っているが、それはもう四半世紀前から言われていることではあり、まだまだ人類が情報社会で生きていくには困難が避けられない。というか、情報の新陳代謝の速度が異常に早くて、これが困難さに拍車をかけているから、もうちょっとゆっくり情報を吟味するようにしてもいいんじゃないかと思う。

新刊は出て一週間以内に売れないと続きが、みたいな話とかも、読み手に情報を吟味させる時間を奪うから悪だと思ってるし、最近はもうそういうの考えずに、自分がいいと思ったものをいいと思ったタイミングでマイペースに受け取っていくのがいいと思っている。

そのへんの振り返りをするのに誰もいない個人の discord サーバは理にかなっている。1ヶ月くらい運用してみて悪くないなと思っているから、今後も飽きずに続いたらいいなと思う。

特別に扱うことの功罪

フィクションにおいて、特定の属性を持ったキャラクターが犯罪行為にかかわる描写があったとして、特定の属性を持つ実在の人物がそのような犯罪を起こしやすいという偏見がある、とは言えないんじゃないかと思っているんだけど、このへんを特に言明していないにもかかわらずそのように想起させうるからといって表現を訂正させる行為、かえって特定の属性に対する偏見を助長しないか?ということを常々思っている。

このような訂正がまかりとおった後に何が起こるかというと、特定の属性を腫れ物扱いするようになる。フィクションにそのような属性の人物を描くこと自体が憚れるようになる。フィクションには定型的な人間だけが描かれるようになる。これはこれで差別だとして、価値観のアップデートが必要とかなんとか昨今言われてるわけだけど、非定型な人間がごく自然な人間として描かれるのであれば、非定型な人間による犯罪もごく自然に描かれるべきだろう。特定の属性だけが犯罪行為を引き起こしているわけではないのだから、非定型な人間にも定形的な人間と同様に犯罪者になる懸念がある。現実がそうなっているだろうが、という話である。

それはそれとして、ルックバックにおいて特定の人物を想起させる描写がよかったかどうかという点については、ちょっと難しい。なんらか犯罪をおこなったとして、それを裁くことができるのは法だけであり、我々市民ではない。が、ともすれば、ルックバックの例の描写は社会的制裁に結びつきかねなかったろうとも思う。スティグマとして残っていく。残っていって然るべきと個人的に思う。思うがそれがいいのかどうかはぼくにはちょっと判断がつかない。放火殺人はおおよそ死刑になるだろうから、被告自身の更生や社会復帰は困難で、そんなこと考えなくてもいいと言われればそうかもしれない。守られるべき名誉もないのかもしれない。被告の関係者に負わせるには重すぎる気もする。

そのあたりを抜きにしたところで、事件の記憶として、表現されたものは残されるべきだろう。事件に対する感情的な反応をなかったことにするべきではない。それがどういう影響をもたらすかによらず。ゆえに訂正は、表現の是非を問わず、ただ残念に思っている。

ウルトラヴァイオレットの不思議

紫外線を意味する UV は ultraviolet の略なんだけど、この単語よくよく考えるとけっこう面白い。

ultra はラテン語由来、violet もラテン語の viola が由来ということで、ラテン語由来の言葉同士を組み合わせた複合語になっている。

さて、ラテン語にはもともと u という文字はなく、母音 /u/ と 半母音 /w/ を区別するために v を u と v に分離したという経緯があり、もともとは /u/ の音をあらわすために v を使っていた。

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CAESAR AVGVSTVS と刻印されたコイン(左)と DIVVS IVLIV と刻印されたコイン(右)

現在でもたとえばイタリアの高級ブランドのブルガリはこれにならって BVLGARI を正式な表記としているし、様々なところで使われている。

ultraviolet も昔のラテン文字で表記するなら、vltraviolet になり、略語も UV でなく VV ということになって、ちょっと面白い。

ちなみに W は UU または VV のいずれかに由来すると考えられているが、現在のところどちらであるかははっきりわかっていない。

ところで右のコインを見ると IVLIV と書かれているが、これは何かというと Julius のことである。J も中世以降に成立した文字で、もともとは I を使っていたのが、半母音 /j/ をあらわすために I から J が分離した、という経緯がある。

普段は英語のアルファベットを見ることが多いのであまり考えないが、同じ文字でも言語であわらす発音が違っていて、それがこういう形で可視化されたりする。それが面白いね、というだけの話。

こちらからは以上です。