SNSで話題になっている話をSNSで話題にするのはやめよう

という話。

あるトピックについて賛成でも反対でもいいんだけど、トピックについての議論が過熱すると賛成反対について、ついつい自分の意見をやや過激気味に書き殴りがちなんだけど、タイムラインには自分とは異なる意見を持っている人間がいることを忘れてはならず、その人に向けて発信しているわけではないのに知らず知らずのうちにその人に対して攻撃的なメッセージを発しているのと同義の状態になることがある。

喧嘩するために SNS を使っているわけではないので、こういうトピックについては基本的に言及しないほうがいいなと改めて思う。自分の意見を誰かにわからせるために SNS を使っているわけではないので、わかってもらえなくてもいいし、相手の意見と食い違ってもいい。自分の意見とは違っても、それがいかに過激で攻撃的な表現だったとしても、単に意見が違うと思って読み飛ばしたほうがいい。そういうものを消化する必要はない。

意見が違うことは普通のことで、その意見が自分に納得がいくこともあるし納得いかないこともある。でも別に消化しなくていい。何にでも結論を出そうとしなくていい。もちろん困る話には困ったということくらいは言いたくなる。言ってもいいんだけど、それとは異なる意見を目にしても、自分が言われていると思わなくていい。

ということを自分に言い聞かせている。でも実際困ると思うよ、物理健康保険証なくなると。住民票の写しやマイナンバーカードの発行には写真つき証明書類なら一点、そうでない身分証明書類は二点が必要で、たいていは健康保険証と年金手帳で間に合うんだけど、ここから健康保険証が落ちるとだいぶ困ると思う。マイナンバーカード、自分はそこそこ高い確率で期限を切らすと思っていて、なんせ電子のほうは5年で期限切れるので5年後に更新手続きがある、ということ自体を忘れる。なんか通知届いてたけど期限切れてたわ、ってなるのが今からわかる。実際住基カードのときに期限切れになった。

スマホに一本化できるとして、スマホに通知が来てそのままスマホから更新手続きが滞りなく完了できるんだったら、とは思う。そういうあらゆる不測の事態を見越してうっかりやらかしてしまう人間にやさしい仕組みが提供されてはじめて同意できる話だと思っていて、そういうものが保障されていないなら、ちょっと同意できない。

同意できないつってる人間がいるのに、なくても困らないからなくそうぜ、っていうのは、なんか、我々の存在を無視されているような気持ちにはなる。なるが、自分に向けられたメッセージではない、と思うので(だとして直接言ってくれ)、気にしないようにしようと思う。

もちろん現状の手続きが煩雑なので電子化できると業務が楽だから移行したいとかはめっちゃわかるし、それは改善したほうがいいと思う。自分も仕事で DX に携わってるしわかる。ただそれはそれとして、なんかあったときのフォールバックの手段は用意しておいてほしいなあと思う。そういうのができるんだったら文句はないんだけど、そのへんちゃんと考えられてるのかなあ、とかは疑問がある。こういうのパブリックコメントとかでちゃんと意見しようぜって話だと思うので、SNS で愚痴ってもしゃーないのはそう。

話は変わるんだけど、HTML の ruby の rp 要素もうブラウザがサポートしてないことなんてないから無駄じゃんなくそうぜ、みたいな提案を見かけて、こういう「無駄だからなくそう」みたいなのよくわかんないんだよな、ブラウザがサポートしてるものわざわざ仕様から消す意味あるか……? あると邪魔だからなくそうって話はわかるけど、セマンティクス上も有用であって困らないものわざわざなくす意味がわからない。

無駄をなくすことは合理的ではあるんだけど、ある程度冗長な方が生きやすいこともあると思ってる。少なくとも、不測の事態への備えはあってほしい。

けっきょくブログに書いちゃったけど、まあブログならいいでしょう。

こちらからは以上です。

双方向ウェブは人類には早すぎた

なろうの感想欄とか Ci-en のコメント欄とか見てると本当にそう思う。いや、ぼくとて作品の感想を書くときには相応に悪口を書いている。悪口になるなと思っているからこういう個人ブログとかそんなにフォロワーの多くない Twitter でやっている。Twitter はブログより検索されて見つけられやすいのでもうちょっと慎重に使ったほうがいいと思うんだけど、とまれ、できるだけ作者に直接は届かないようにしている。エゴサして見つけちゃったのはもうしょうがない。エゴサってそういう良い意見と悪い意見の両方が引っかかるもんなので、割り切ってやってねと思う。そうではなくて、作者に直接感想を伝えるときは、もうちょっと言葉を選びましょうよ、と思う。コミュニケーション取るの下手か? こんなこと言われたらどう思うか考えたことあるか? 作者はお前の相手だけじゃなくて不特定多数の人間相手にしてるってわかってるか? などなどの言葉が思わず漏れてしまうような、そんなコメントをここ数日でめっちゃたくさん目にした。遊んだゲームが不親切だったというのはわかる、ぼくもやったからわかる、が、ちょっと不親切な部分のあるゲームを作った人がそれだけのことでなんでここまで言われないといけない?ってなるような、「わたしはこんな不親切なゲームを遊ばされた被害者なので謝罪してください」とでも言わんばかりの態度で接するユーザがめちゃくちゃたくさんいる。AppStore のレビューとか Amazon のレビューで知ってたけど。ところで DLsite はネガティブレビューは掲載しないというポリシーを取っていて、これは割と理にかなっていると思う。なんせすごいから。建設的な批判的レビューは存在しうる? そんなことは知ってますよ。Steam は割とちゃんとそういうの載ってるとこだからよく見るよ。そのうえで言うけど、批判と中傷の区別がつかない人が自分の意見を建設的な批判だと思い込んで中傷を書き連ねることは普通にある。ありすぎるくらいある。だから一律ネガティブレビューは蹴るというポリシーは一貫性がある。建設的かどうかという軸にするとこれは判断がむずかしくなる。まあ実際にはあんまり褒めてないレビューもある。褒め方が下手で悪いところ引き合いに出さないといいところを挙げられないレビューとかもまあ見かける。でも褒めようとしてるのはわかるから、そういうレビューが蹴られないのは納得する。

ぼく自身もなろうで「御高説たまわり甚く感謝」としか言いようがない感想をもらったことがある。10年前の作品について作者の技術不足を指摘してどうすんの?と返そうとも思ったが、喧嘩したくてなろうで書いてるわけじゃなかったのでどうもありがとうございますの一言を返して、感想の受付を停止した。で、ついこないだもう忘れてるだろうと思ったので当該の感想を削除した。二度と見なくて済むが、記憶を消すには至らない。

まあそういうことがあったのでげんなりすることが多く、もういっそ個人サイトの時代じゃないか、ということを半年くらいずっと思っている。思っているが、個人サイトのメンテをする時間が取れてないので何もしていない。これじゃ個人サイトなんて運用できねえわ、はは。

言いたいことは何かって言うと、何かしら作品の受け手として作品に物申したいことがあったら、作者のフィールドじゃなくて自分のフィールドでやりな。作者の感想欄は作者の部屋くらいに思ったほうがいい。作者の部屋に上がり込んで作品にケチつけるの普通にやばいでしょ。自分ちでやりな。

寝不足で荒ぶってるが、こちらからは以上です。

かつて作家になりたかった20代の自分へ

今わたしは場末のプログラマとして、売れない作家よりはいい程度の稼ぎをもらってそれなりに不自由しない程度の暮らしを送ることができている。

16年前にシステムエンジニアになって、それから3年間、作家になることを志しながら設計書を書いてプログラムに書き起こすということをやっていたけれども、原作を担当したマンガがコンペ落ちというのがその三年間の限界で、まあでも今振り返ってみるとそのときにはたくさんチャンスがあったと思うんだけど、そのチャンスを活かすには本業で心身ともに疲弊しすぎていて余力がなかったから、結局それが限界だったろうと思っている。

一方で一次創作の同人小説を三桁部売ったというのは一次創作の文章書きとしてはまあまあ?そこそこ?という感じで、この部数に届かない商業作家も少なからずいることを今は知っているので、作家になりさえすれば自分の書いた作品を世の本好きに届けられるみたいな幻想を抱くには現実を知りすぎてしまっている。

いや当時は言ってもイージーモードで、コミケの一般参加者の熱量が高くてサークルチェックを積極的にやってくれていた時期だった。個人ウェブサイトを巡回してリスト作ったりしてた。もうみんな今はツイッターで「貴サークル」で検索してるでしょ。そんな便利なものなかったから人力作業をがんばってたの。それが当たり前だった。小説は当日手にとってもらって買ってもらうハードルがめちゃ高いから、事前に告知してサンプルを自分のサイトに載せてそれを読んでもらうというのがめちゃくちゃ重要で、それをやらずに当日だけでなんとかしようとするとかなり苦しい。苦しいが、逆に言うとサンプル載せてたら興味ある人は読んでくれて、それで当日買いに来てくれていた時期だった。じゃなきゃ委託販売込みといっても素人の書いた創作小説が三桁部も売れるわけないんだよな。

今はけっこう厳しくて、なんならなろうで無料でいくらでも読めるので、わざわざ同人小説を買いに行って読もうという感じにはならない。買ったけど読んでないみたいなのもたくさんあると思う。それよかなろうのほうが読まれる。読者数でいえば神立地のほうがExFよりもずっと多かったと思う。神立地の手応えからいってもこれ作家になるよりなろうで書いてる方が読まれるじゃんという気持ちがあった。まあ神立地も本業が忙しくなったらずっとは書いてられないなってなってそのうちに続き何書こうとしてたか忘れちゃったからもう続き書くのは厳しいんだけど。

そのなろうも神立地の頃はイージーモードで、今はもうちょっと厳しい。研究が進んだ結果最適化した動きをしないとなかなか読まれない。カクヨムとなろうだったら今どっちが読まれるかっていうと多分なろうのほうが読まれるチャンスはあると思う。これは単純に読者数の差かなと思う。なろうよりカクヨムのほうがランキングには載りやすいと思うけど、カクヨムはランキング載ってもあんまりブーストない気がする。なろうでランキング載るのは厳しいと思うけど、ランキングのブーストは強い。

いずれにしても、たくさんの人に読まれるために何にもしなくていいってことはなくて、そのための労力を払う必要がある。作品だけ書けばいいわけじゃなくて、企画を立てて、戦略を練って、広報を打って、そして何より、折れずに続けないといけない。

なろうやカクヨムで書籍化までいった作品って結局のところ書き手が折れなかったっていうのが一番デカいと思う。普通の人は十万字とか二十万字とか続けて書けない。ましてや100万字とか200万字とかね。

おかしな転生とか、神立地の更新止まったくらいから始まった作品だったと思うけど、今アニメ化に到達したのって、今の今までずっと作品が続いてるからだと思ってる。書籍もずっと続けて出てるけど、コミカライズは割と最近で、そのへんから人気が伸びたかな。これよりもっと長寿作品でもアニメ化まではいかないってのはたくさんある、なんせ異世界ハーレムが今年のアニメ化作品だもんな。理想のヒモもまだアニメ化してない。このへんのかつての累計一位勢ですらこうなので、月なみだけどやっぱ継続は力だと思う。

もはや紙の本も所有欲を満たすためのツールでしかなくて、読みたいんだったら電子で読んだほうがと思うようにさえなった。こうなってくると、書店に並ぶこととかは単なる名誉欲にすぎなくて、それくらいだったら紙の同人誌のときに実績クリアしてるんだよな。もちろん一般書店に並ぶこととの差は理解しているんだけど、もうAmazonなんか見てると自費出版も商業出版も一緒くたの売り場に陳列されてるようなもんだから、こうなってくると商業だからなんなのだという思いが強い。

先日感想を書いた怪獣姫はSteamで12万本売れたんだったか、これもう下手なコンシューマーゲームより本数では凌駕してる。もちろん単価は違うけど、だとして、普通のコンシューマータイトルで5000円のが3万本売れるよりも低予算で作った2000円のゲームが12万本売れてるほうがやっぱ売れてるじゃんというか、もうそういう時代なんだよなと思ってる。

そういう時代。商業で売るっていうのも、お膳立てしてもらって勝手に売れるなんて時代ではもはやない。作る側は売れるものを考えて作らないと売れない、売り方も考えないといけない。商業ルートに乗りさえすれば売るための努力はしなくてもいい、なんていう無邪気な信仰はもはや、という時代。

まーでも結局お金を得る、仕事にするということは、大なり小なりそうだろうと思う。よっぽどサラリーマンのほうがそのへんのこと考えずに済むよ。

20代当時の自分は本業で稼いで小説を趣味でやるんじゃなくて小説で食っていきたいと思っていた。思っていたが、小説を書くことと、小説を売る人と仕事をすることを両立するのと、小説を書くことと、プログラムを書いて仕事をすることを両立するの、絶対後者のほうが楽。だって小説を書くことと仕事が切り離されてんだから、小説のほうは完全に自分の自由にできる。仕事を理由に自分の創作に口出されるのは、やっぱ無理だなと今では思う。書きたくて書いてんだもん。

さいわいプログラムにはそこまでの思い入れはない。趣味ではぜったいにやらないことも仕事ならやるかという気持ちでやっている。これがゲーム製作だったりするとエゴが出てしまうから、ゲームを仕事にしたりすんのも難しいんだろうなと思っている。

まあ当時の自分からすると現実に負けたみたいな感じの現状ではあるけれど、当時とは時代が変わって、もはや商業にそこまでの権威はないし、やりたいことして飯を食うより、ほどほどの仕事で飯食ってやりたいことできるならそっちのほうがイージーってのは、当時の自分も納得すると思う。当時の自分には自分が社会人として仕事をやっていくヴィジョンがなかったんだよな。わかる。コミュニケーションに難……は今でもあるけど、散々家族からお前には向いてないといわれたけど、ちゃんとプログラマをやれている。なんなら家族でいちばん適性があったよな。設計技師だった父親の遺伝子には感謝してる。おかげでそこそこには生きていられている。

まあ運とめぐり合わせで今まで生きてきたとも思ってるから、これが自分の実力よ、とかは思っちゃいないんだけど。

べつに商業作家にならなくても自分の作品を世に出して人々に届けることはこれからでもぜんぜんできる。自己満足で終わりたくないって思ってた当時の自分の気持ちは今でもわかる。わかるが、個人で活動してても数百人くらいの人には自分の作品を読んでもらったりできるらしい。だったらがんばったら1000人くらい届くんじゃないとかも思う。DLsiteのえっちゲームは1万本売れたら大ヒット。それくらいの目標はそこまで非現実的でもないなと思ってる。

大転換があったわけでもなくシームレスに今の境地にたどり着いたけど、当時の自分とは若干の隔たりを覚える。一回倒れて起き上がったんだから当然ってくらいの隔たりでもある。が、それで折れたかっていうと折れてはなくて、開き直れてよかったね、と思う。もうちょっと早く開き直れてたら楽だったかもしんない。でも今の自分はそこから地続きだから、あるようにしかあらざるだろうとも思う。

まあぼちぼちやっていきましょう。こちらからは以上です。

輪淫のスピンドル、クリア

これプレイしました。総じて面白かったです。

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怠け怪獣姫は働きたくない、クリアまで

Steam で爆売れしているらしい怠け怪獣姫は働きたくない、を、クリアまで遊んだ。

どういうゲームかというと、怪獣姫ことガオのお世話をしながら街を侵略してマイナスパワーを集めてノルマ達成を目指すというSLG。侵略パート自体は割とあっさりというか、どこを殴ったら一番効率がいいのかを考えるくらいのゲーム性はありつつも、侵略行為のリスクは特になく、ガオの世話の進捗が遅れる以外にプレイヤーにデメリットがない。ゲームのメインはあくまでガオのお世話という感じ。ちなみに侵略ノルマ達成できなくてもマイナスパワーそのままで三日前に戻るだけなのでゲームオーバーで最初からやり直し、とかにはならない。絶対にクリアできる安心設計(というのをクリアしてから気付いた)。

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ビートリフレかるくプレイ

今のところはとにかくテンポが悪いゲームだなあという印象。

キャラによっていろんな曲用意したかったというのはわかるんだけどなんとなく声と曲がミスマッチな感じというか、たとえ似たような曲ばっかりになったとしても声が活きるような選曲にすべきだったと思う。たとえば音ゲーじゃないけどHuniePopのデートシーンは声と曲が調和してて雰囲気よかったんだよね。おしゃれな音ゲーにしたかったのかムフフなお触りゲーにしたかったのかどっちつかずになっちゃってるなーという感じ。

音ゲーパートも毎回セリフ挟まるのが煩わしいというかこれやり直すたびに同じセリフ聞かされるのかえって没入感を削ぐと思う。というかたいていの音ゲーってイントロからすぐプレイアブルなんだけど、このゲームはちょいちょいダウンタイム入る、女の子をマッサージする位置の切り替わりで画面スクロールしないといけない都合はわかりつつも、どうもそのへんがもっさりしてるというか、もっとキビキビ次のシークエンスに移れるようなゲームにできんかったのかな。感覚としては同じ曲で音ゲーパート3回プレイするみたいなぶつ切りの体験になってるのよね。

譜面の出来は結構いいと思う。運指が素直というかちゃんと気持ちいい感じ。イージーでもちゃんと面白いのもえらい。ただ、ノーツの表示はわかりにくい。↓ボタンが右から流れてくるの全然直感的じゃない、これに慣れたいと思っても音ゲーパートのリプレイ性が低くて何回もやり直したくないという感じ。

ゲーム的な不満はこんな感じ。女の子はかわいいし声の演技もいい、表の声優さんにこんな声出させて……!となるけどよく考えると近頃は表の声優さんもASMRとかでけっこうきわどいやつあったりするもんね。そのへんだけでも価値があるゲームだなあと思うけど、これをSwitchで売るっていうのはけっこう挑戦的、これがいけるんだったらDLsiteのえっちRPGでも規制版だったらSwitchでワンチャン売れるじゃん(売れない)

テンポの改善はけっこう根本的なところからなのでどうしようもない気はするが、そのへんを耐えられる人にはおすすめ。