よさは定量化できない

3億年ぶりにブログ書く。

Amazon レビューとか見てて思うんだけど星の基準というのは人によって違う。絶対に星5つけない人というのもいるし、絶対に星1つけない人というのもいる。その人たちにとってたとえば星4が事実上の最高点だったり、星2が最低点だったりということはありえる。

小説家になろう、検索で使うのはポイントの合計であって平均ではない。なので最低点評価だろうと1点は1点、つまり5段階で1段階目の評価という意味ではなく、1いいねから5いいねまでつけられる仕組みで、1点というのは1いいねつけました、というふうに機能している。たとえ評価者が5段階の1のつもりで1点入れても、その1点は検索システム上ひとりが1いいねしましたというふうに計算される。

5段階評価というのはどうしたって相対評価になりやすい。5はつけにくいし1もつけにくい。そうするとみんな2~4をつけがちになって、事実上の三段階評価になる。1や5は感情が上乗せされたときにつきやすく、指標として役に立たないことが多い。そういう人もいる程度にしかならない。

システム上で1点から価値があることを示していようが、「ふつう」を3点で表現しがちである。


思ったんだけどよさの表現というのはその人がよいと感じたことの表明にすぎず、なんらかの指標に使うべきものではないような気がする。

「いいね」した人間が多いコンテンツというのは単にほかより露出しただけということもある。パクツイのほうがオリジナルよりも RT が伸びるのは見ている人間がそっちのほうが多いから。


ランキングや検索のソート条件に使わない前提で「よさ」というステータスをもうけるなら、無限に「いいね」できる仕組みでいいのではないかと思う。無限にというのはいいすぎかもしれない。でも256いいねとか666いいねとか53万いいねとか自由につけられてもいい気がする。

その数字に数字としての意味はない。 とにかくたくさんあるということを表現したいだけのことはある。 たくさんあるということを大げさに表現したいだけということはままある。