黄色い四角い箱

愛知や岐阜のほうでは「横着である様」をさして「横着い」という。もちろん「横着な」が正しかろうとは思うのだが、では「黄色い」とか「四角い」はどうだろう。

「黄色い」も「四角い」も辞書を引けば載っている。「黄色な」とか「四角な」とかはかえって言わない。 「緑色い」とか「三角い」とかは言わないので、言いやすさが尺度としてあるのだろうと想像できるし、「緋色い」とか「五角い」とも言わないので、語としての需要も関係ありそうだとわかる。使わない語は言いやすさにかかわらずそのようには言わない。

「ショボい」「デブい」のようにオノマトペも形容詞化する。最近だと「チャラい」とかもある。

「酷い」はもともと「非道い」である。

面倒であることを「めんどい」と言うようになってきた。

とするとそのうち「丈夫い」とか「贅沢い」みたいなのも市民権を得るのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

いまはもう言わないが「ナウい」というのがあった。これもあんまり使わなくなりつつあるが、「まぶい」も「まぶ」が形容詞化したものである。

「エロい」や「グロい」はもはや市民権を得た。 外来語の日本語化についてはもうちょっと事情が違うところもあるのでこの辺にしておくが、その概念を提示する機会が充分にあって、日本語として声に出しやすいものはそのような形になっていく、ような傾向がある、くらいのことは言えそうである。