インスタ映え

にかぎったことではないのですが、便利な言葉が出てくると、便利な言葉を使いがちになる。

インスタ映えの話だと、たとえば凝った見た目の盛り付けをした食べ物は、確かにインスタ映えするのだけど、インスタ映えという言葉がない頃には、食べ物をおいしそうに見せるための工夫だったり、遊び心だったり、さまざまな意図でそのような盛り付けをしていたし、それは今でもそうだろうと思います。

SNS ウケを意識して見た目を凝りすぎること行き過ぎではないかという話はわかる。わかるけど、じゃあって言ってなんでもかんでもインスタ映えとか言うのもそれはそれでどうなんだ。

カフェオレを二層にすること、どうせ混ぜて飲むじゃんっていう話、それはそうなんだけど、そうするとたとえばラテアートにしたって飲んだらどんなに凝った絵でもいずれ壊れてしまうわけだし、飲み物を多層にする話だとカクテルなんかは特にそのようにして見た目で客を楽しませるドリンクがいくつもあるんだけど、それは飲食本来の楽しみからそんなに外れていることなんだろうか。

混ぜてしまえば一緒という話なら、カレーライスをカレーとライスとをわけて盛り付けること、そんなに意味がないことだろうか。まあこれはもちろんカレーソースとライスの配分をコントロールする意味があるからちょっと話は変わってくると思うのだけど。

重ねて書くけれども、行き過ぎた盛り付けがあるのは事実なんだけども、なんでもかんでもインスタ映えとか言ってしまうと、行き過ぎた盛り付けと、見た目で食を味わう行為すべて一緒くたにされてしまうんじゃないですか。どこまでが行き過ぎでどこからが食の楽しみなのかって、そんな線引きはできないと思うけど、安易に線引きできないからこそどのような言葉を使うべきか考える必要があって、わかりやすい言葉に頼らないように気をつけていきたいですねという話。