ツイッターを使うのはけっきょくみんながツイッターを使ってるから離れられないよねという話があり、それはめちゃくちゃわかるしそうだよなー、でもマストドンに統一される世界なんて来ないよなーと思ってた。
これは自分が間違っていた。来なくてよかったんだ、そんな世界は。
ツイッターはたくさん人がいる。ツイートを読む人がたくさんいるということでもあるし、ツイートをする人がたくさんいるということでもある。
ツイートをする人がたくさんいても、結局のところ目につくツイートだけがフィルタリングされていく。流れてくる文章全部拾って脳に入れてるなんてことはなくて、目につきやすいものが読まれやすい。そういうツイッターに最適化されたツイートがよりRTされやすくなるので、同じツイートが複数人の手を経て繰り返しRTされてくる。
こういうキャッチーなツイートには功罪あり、たとえばセンセーショナルな書き口で細部の考証が雑だったりして、考証が雑……!みたいな気持ちを抑えながら繰り返し見る羽目になり、疲れる。実際のところ多人数の目に留まるには雑なほうがよく、ツッコミどころがあるくらいのほうが目立つ。結果なにが起きるかというとそういうある種の引っかかりのあるツイートが流れてきやすい。これ疲れるんだよね。
マストドンみたいなユーザが少ないところ、良くも悪くも内輪ノリの文化で、ツイッターのユーザが少なかった頃の空気に近い。他人を出し抜いて目立とうとできなくはないんだけど、衆目を集めることを目的にするユーザはマストドンのようなユーザの少ないところには集まってこない。え、平和やんけ!
ユーザが少ないほうがよかったということがわかる。
もちろんユーザが増えたらツイッターと同じようなことが起きるかもしれないんだけど、前述のとおり、マストドンに統一される世界なんて絶対に来ないので安心していい。マストドンの強みはここにこそある。
個人的にはツイッターはもはやコミュニケーションのプラットフォームではなくなったので、別の用途で使うほうがよいなという感じになってきてる。
ぼくは friends.nico が気に入ってたんだけどなくなるということだったので中の人が個人で立ち上げた best-firends.chat にいます。そんなにアクティブじゃないと思うけど気軽に絡んでくれるとうれしい。