フィクションの死と読み手のグリーフケア

ねとらぼさんに拙著「フィクションのための名前の作り方」のレビュー記事を書いていただいて、同人誌レビューノートという同人誌のレビュー記事のコーナーの存在を知ったんですが、そちらの前回の記事がこれ。

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推しの死との向き合い方について書いた本。

この記事を読んだときは、なるほどなー、ということを思った。フィクションであっても死の喪失感はある。個人的な体験としては推しの死がそこまで後を引くことっていうのはなかったんだけど、推しに限らなければ、フィクションのキャラクターの死に感情を持っていかれて情緒が乱れた経験というのはある。そういう情緒を乱そうとする意地の悪い意図の作品があったりする。DDLCっていうんですけど。

で、フィクションの死に直面した読み手のグリーフケアってもしかしてすげー大事なんじゃないのか、ということを、ふと思ったわけなんですよね。

何がっていうわけじゃないんですけど、ワニ。100日目にメディアミックスの情報がどっと押し寄せてきて、余韻に浸らせてくれよ、って感じた人が少なからずいる。ワニにそこまで思い入れがなくても、情緒がないよね、という感じがある。

思うに、100日目をゴールに設定してそこで全部やったのってやっぱり悪手だったんじゃないのかという感じがする。事後諸葛亮になることを承知で言わせてもらうなら、後日談もWEBでやればよかったじゃん。ワニが死んだ世界を数日間に渡って公開して、作中のキャラクターのグリーフケアをちゃんとしたほうがいい。感情移入した読み手に時間を作ってあげることと、死との向き合い方、死んだ後の気持ちの整理の仕方を描いてあげること、そのへん丁寧にやったほうがコンテンツの強度高いと思うんスよね。なんなら別にここ無料じゃなくてもよくて、配信サイトとかで課金で買えるようにしてもいいんですけど、後日談込みの最終回の後でメディアミックスを打つなら、たぶん期間限定なりなんなりで無料公開しておくのがベターっぽい気はする。

後日談より100日目のほうが盛り上がりは強く、そのタイミングが一番広く遠くまでリーチする、これはたぶんそうだと思います。でも言っちゃ悪いですけど、終わり方にしか興味がない層はメディアミックスしてもどうせ買わない。単行本にも映画にも興味ない。グッズも。バズに価値なんかない。せっかく100日かけて読者を育てたのに。こういうのもっと大事にしたほうがいいですよ。信頼トークンをゲームから除外して一時的に利益を得るやり方、長期的には損なんですけど、なんでまだこんなこと続けてんのかなって感じ。

仮に書き手にとっては単なるキャラクターの死だったとしても*1、書き手がそこで読み手に強いメッセージを届けようとしてるんだったら、読み手が強い喪失感を抱く可能性はあり、そうなるだろうということはちゃんと意識したほうがよかろと思います、という話。

こちらからは以上です。

*1:今作のワニは交通事故で亡くなった作者の友人がモデルという話があるので自身にとっても他人事ではないはずなんですけど