フルボイス化の功罪

Twitter ではなんか書き散らしてしまったんだけど、自分の考えとしてはフルボイス化したことが「エロゲー、特にノベルゲームの衰退を招いた大きな原因」っていうことには同意できなくて、なんでかというと、確実に売上に寄与した面もあろう、と思っているからなんですよね。少なくとも「大きな原因」ではないだろうとも思う。プラスの面があるから、離脱するユーザがいたとして、収支がどれくらいだったのか、ということになるんだけど、そのデータは誰も持っていない。だからこれはこの人の個人的な感想に過ぎませんよね、という感じですし、ぼくが書くことも個人的な感想に過ぎません。ただ、両者の意見が拮抗するなら、それは功罪あったという話で、衰退を招いた原因だけとは言えないんじゃないですか、と思っています。


これで話は終わりなんですが、もうちょっとまとまってないことを書いていきます。

売上が前年に比べて大きく減ったのは2006年で、これも別に何か大きな理由があって売上減になったわけではないと思うんですが、「ユーザの興味が別に移っていった」というのが主要因で、その副要因はユーザによってさまざまあり、後から考えるとたとえばアニメ見るほうが楽しくなったとか、ラノベ読むほうが楽しくなったとか、ゲームとか、SNSとかスマートフォンとか、時代が下るにつれていろんな別メディアが出てくる中で、ユーザの可処分時間をエロゲに割けなくなっていった、というのは実際そのとおりなんですが、とはいえ、2006年時点で、エロゲに割いていた時間の100%をアニメに割きましたか?というとそうでもない。ラノベやゲームにしてもそうなので、どれか一つが大きな原因たりえないと思っています。むしろ、エロゲは「ちょっとでも時間を割けなくなったら1秒もプレイしなくなる」ような媒体だったことが原因ぽく、もうちょっと言い換えると「ゲームの体験のためにかける時間が長すぎる」のがプレイヤーのモチベーションにとって枷になっていた感じはあります。

これはゲームが大作化したことによって起きたことで、フルボイス化はゲームの大作化を招いたものなので、フルボイス化は遠因としてあると思うんですが、フルボイスになったことでゲームのプレイフィールを損ねた、というのはたぶんその人がそう思った以上のことはないなという感じです。そう思ってる人も少なからずいるとは思うんですが、とはいえ、それだけが理由でやめたわけじゃないでしょう、と思ってしまう。本当にそれだけが理由だったら、それくらいの理由で離脱する程度に魅力のないコンテンツということなので、それ以外の理由も少なからず影響している。だから「大きな原因」じゃないでしょう、と言っているわけです。

一方ゲームを作る側は、プレイフィールの向上をおろそかにしていたかというと、実はそんなことなくて、たとえば千桃は演出の切り替えがとても軽快で、プレイヤーを待たせずにどんどん読ませることができるようになっています。一メッセージのテキストもかなり考慮されていて、自然に読み進められるようになっている。とにかくテンポがよく、相当量のテキストを読んでるはずなんですが、気付いたらゲームが進んでいて終わってしまった、というくらいには体感で軽いゲームでした。体感で軽いゲームだったことについてボリューム不足であるという指摘をしているユーザが結構おり、でも本質的にはそうではない気もする。ちょっと言語化できてない。

穢翼のユースティアは主人公の行動に大きく制約をかけていることがゲームの緊張感を生んでいて、これが物語の重さにも繋がっていたし、終盤のカタルシスに繋がっていったと思うんですが、一方で読むのに力を使うゲームでもありました。千桃はそのへんが軽快だったがゆえに、読みやすくはなっているものの、適度な緊張感はやっぱり必要なんじゃないかという感じもあり、ただ、千桃の物語にとってはこれでよかったろう、というのが個人的な気持ちなので、これで合わない人は合わないですね、とも思う。


なんかノベルゲームっていう表現がもはや行き着くところまで行ってしまって袋小路にいるみたいな印象もあるんですけど個人的には研究する人がいなくなったので行き詰まっているという感じ、でもぜんぜん研究の余地ありますし、いろんなところでノベルゲーム風の会話シーン出てくるんだから、まだまだやる価値ありますよねと思う。


既存プレイヤーはなんだかんだ大作をプレイしたい感じがありましたし、離脱したプレイヤーも、歴史に名前を残すようなゲームならプレイしたいと思っていたかもしれませんが、実際のところ、離脱したプレイヤーのどれくらいがシュタゲをやったのか、穢翼のユースティアをやったのか、ととのをやったのか。売上からは、一度離脱したプレイヤーが復帰することはあまりないんだろうな、と思わざるを得ません。「コンテンツに問題があったからプレイしなくなった」という話をぼくが肯定できないのはそのへんの理由もあります。だって、質がよくてもやらなかったじゃん、と。まあ好みの問題もあると思いますけど、作る側がコンテンツの質を高めるための工夫をなんにもしないでいたかのような言説には抵抗があります。結果論はしんどいですよね。コンテンツの質を高めても売上にはあんまり寄与しなかったように見える。そもそもコンテンツの質の話をすると、質というのはプレイした人間にしかわからないことなので、誰かをプレイさせるためのものにはならない。訴求するためのものはそれではない。どれだけテンポよく快適に遊べるようになったとて、「でも全部読むのに20時間とかかかるんでしょう? じゃあいいや」ってなる。そういいながらSteamで無限に工場作ったりするので、プレイしたいしたくないという話は、あんまり合理的な理由付けとかなくて、もっと言語化されざる欲求にもとづいているでしょう。エロゲはそのレイヤでの訴求力があんまり強くない、強くなくなったということです。エロゲがブームになる前には、アダルトコンテンツであるだけで訴求力があったんですけど、これも2000年代中頃には「エロのためにエロゲをやる」ということが、特定のジャンルを除いて主目的たりえなくなってしまった。

コンテンツが上位のレイヤに訴求するようになっていくとユーザは離脱することがわかっていて、理解するのにコンテキストを要求するようになるし、そもそもよりプリミティブなレイヤほどの訴求力がない。映画やアニメは絵や音楽を使ってそこに訴求することをずっと研究してやってきている一方で、たとえば小説はそのへん結構苦しい。小説は漫画に比べて読者人口が少ない、これは事実なんですよね。ノベルゲームも本質的にはテキストを読むことなんで、やっぱり枷になっている。


最近なろうみたいなウェブ形式の小説が結構読まれてきているんですけど、行間段落間のスペースをがっつりとって読み手のテンポ感をコントロールすることは文章より下位のレイヤに働きかけることのようにも思っていて、昔は否定的だったんですけど今はそうでもないです。


あとノベルゲームのほうがアニメに比べると単位時間あたりの情報量多いと思うんですけどこのへんもどうなんでしょうね、って思ってます。エロゲ、アニメ化すると厳しいんですけど、なんで厳しいかというと、尺がきつすぎる。大胆に構成を変える必要がある。アニメ1クールはおおよそ5時間ですけど、ノベルゲームのキャラ一本5時間ではクリアできない上、地の文読んでる時間をたとえばアニメでキャラクターのモノローグにしようとしたりすると無理になる。どうなんでしょうね、っていうのは、本当にエロゲと同じボリュームのコンテンツをアニメでやろうとすると、エロゲをプレイする以上の時間を確実に要求されるし、コストもエロゲ一本作るより確実に悪い。フルボイス化が悪いって言ってるけど、比較するにあたってフェアじゃないように思える。むしろ逆に、コンテンツがコンパクトであることのほうが重要、コンパクトであることが受け入れられるメディアであることが重要なんじゃないかっていう感じはあり、エロゲはコンパクトなコンテンツをユーザーが求めてこなかったので苦しい、というのが所感です。ロープライスゲームが売れてないので厳しいですね。春ポコみたいなミドルプライスのゲームがもっとたくさんあってよかったんですけどね。尺もちょうどよくて遊びやすかったし、読後感も充分によかった。


こちらからは以上です。