鍵つきアカウントの運用を限定してから気付いたことの踏み込んだ話

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だけで終わっても仕方がないので、もうちょっと踏み込んだ話をする。

当たり前のことなんだけど、不特定多数に見られている可能性を意識しないといけない状況と、特定少数にだけ見られていることがわかっている状況は異なる。

なので、前者の空間は誰か他人に向けたメッセージが発せられることが多いし、後者の空間は、個人的な気持ちの話か、身内向けの私信が多くなる。

後者の空間であっても身内向けの私信については明らかにメッセージなので読まれることを意識してるんだけど、個人的な気持ちの話はむしろ人に読まれないことを前提にして書いている。読まれても別に構わない話か、読まれてもリアクションをもらうつもりのない話。身内からのリアクションは、まああっても困らないけど、なくても困らない、どちらでもいい、というような。

いちおう鍵つきアカウントは持っていて、主に私信をカジュアルに使うためだけに運用しているんだけど、基本的にはほとんど使っていない。使わなくなって、「表」は明らかに他人に読まれることを意識したアカウントの使い方になった。最初は窮屈さを感じていたけど、よくよく考えると、公開アカウントが発したツイートというのはインターネットに向けて発信されるユーザージェネレーテッドコンテンツなのだから、ノンレギュレーションで自由にやってよい空間でないのが当たり前だった。

もちろんノンレギュレーションで自由にやって許される人もいるんだけど、それはもうその人自身がそういうコンテンツとしての地位を確立しているからというだけで、基本的に公開された空間にあるものは、大なり小なりコンテンツ性を持っている。持ってしまう。

Twitter はコミュニケーションツールとか言われるんだけど、もともとこれはミニブログマイクロブログであって、チャットツールではない。リプライはコメントだし引用リツイートトラックバック、フォローはRSSサブスクリプションである。少なくとも機能上は。

Twitter がブログである以上は、ツイートはブログのサブスクライバーに向けて発せられる。別にどうでもいいことを書けばいいんだけど、というよりはむしろ逆で、どうでもよくないことを書くことにはそれなりに配慮が必要で、負の価値を生じさせないようにしていくことになる。そう、負の価値だ。正の価値を生むことまでは別に必要ではない。負の価値を生じさせないことが大事なんだ、ということに気付いてきた。

どうでもよくないことは、どうでもよくないことをしっかり書くために、ミニブログマイクロブログでない、もともとのブログ、つまりここに書くようにしている。こうするようになって3年くらいになる。書くことをコントロールできるようになったと思う。

鍵アカウントはどうでもよくないことをだらっと書けてしまうがゆえに、配慮にかけた発信をすることがあるし、実際たくさんあった。この3年間でいわゆるソーシャル疲れを感じる機会は、以前と比べてもぐっと減った。一方で Twitter に書くこともそんなに多くないな、となってきた。ミニブログマイクロブログは本質的に些末なことを取り扱うツールだから、別に書いても書かなくても何かが変わったりはしない。

どうでもよくないことはブログに書く。これからもそうしてやっていく。