苦言を呈すということ

「その人のためを思えばこそ厳しいことを言う」というのがめちゃくちゃ難しいんだよな。

人間の脳にとって「他人に厳しいことを言う」のは結構な快楽要素になる。で、人間の脳は快楽に対して脆弱性があるので、快楽の再現のために「他人に厳しいことを言う」ようになっていく。

「自分の快楽のために他人に厳しいことを言う」ようになるとこれはもうかなり苦しい状態で、こうなってしまうとこの快楽を断ち切るのは難しい。自覚できればいくぶん快復の余地がある。無自覚なままこの状態に陥ると、どうやって助かるのかぼくにはわからない。

自分自身、結構この快楽に弱い気がする。いや、厳しいことに限らず、他人にアドバイスをするのが相当に気持ちがいい。この快楽にあらがうのは困難がある。

このへんの欲求を昇華するために、たとえば技術ブログを書いたりするという行為がある。不特定の第三者に向けて知見の共有するというのは、アドバイス行為を間接的にする 。ただこれも承認欲求を満たすために技術ブログを書き始めるみたいなサイクルが形成されはじめると苦しい。

ブログを書いてもツイッターでその旨を発信しないようになったのは、承認欲求と切り離すため、というのがある。

さておいて、真に他人のためのアドバイスなんかできようもないので、ぼくはそういうのはできないと思っているし、それは責任を取れないからとかっていうよりは、結局自分の快楽のために他人をだしにするのが自分にとってよくないという、いたって自分本意な理由からで、まあどっちに転んでも自分本位なら、せめて他人は巻き込むまい、という考えからである。こうやって人との付き合いがどんどんと疎になっていく。

仕事だとああしたほうがいいこうしたほうがいいみたいなのはつい言ってしまう。自分が気持ちよくなりたいからというのももちろんあるが、ある種の八つ当たりの側面もあろうと思っていて、いつも反省するんだけど、まだまだぜんぜん未熟なのでつい言ってしまう。せめてそういう感情とフラットに物を言えるようになりたいが、こういうのは自分の性質にかかわることだから、長い目で付き合っていくしかないだろう。

やっていきましょう。こちらからは以上です。