父が死んだ話

父が死んだ。父が死んだという事実と、父が死んだことに対する感情について、記録しておきたいと思ったので、書く。

ごく私的なことなので Web にこうやって書くかどうかちょっと考えたものの、自分の内心のことについて、自分以外の誰かに知られたくない、という類のものでもないので、書いて差し障りがあることでもないし、それよりは、自分がもし明日事故や病気によって自分の内心について一切表現できなくなったときに、誰もそれを知るすべがない、という状態のほうが避けるべきものだろう、と思ったので書いておくことにする。

父は、単身赴任でほとんど家におらず、顔も年に数回見るだけで、十歳になる前にほぼ絶縁状態になっていたし、十歳のときに離婚してからは、その後数回会ったことはあるものの、自分にとってほとんど関わりもなければ思い出もない、他人のおじさん、という感じの人であった。

母に聞くと大阪花博に一緒に行ったの覚えてない?と言うのだが、花博のことは覚えているものの、とにかく大阪は暑かった、ということくらいしか覚えてない。と思って今思い出したのだけど、レストランか何かでぐずったような気もする。暑かったし、機嫌もよくなかったのだろう。たぶん。

プラモデルを勝手に組み立てられてたいそう泣き喚いた、ということが確かあったと思う。プラモデルは組み立てるところからが楽しいのだから、勝手に組み立てられたら、その楽しみを奪われることなのだから、当時のぼくの怒りももっともなものだろうと思う。

まあそういうわけであまりいい記憶を思い出すことができない。ひとつかふたつくらいは何かあったんじゃないかと思うんだけど、特にない。ということは、なかったのだろう。

子供の頃は、父親のせいで貧しい暮らしを強いられていた、という気持ちは少なからずあったけれども、社会に出てみればそれはそれほどたいしたことではなく、まあ生きてこられたのでよかったね、と思うし、今の父に対する感情というのは、だいたい無に近い。

なので、死んだと知らされたときには、死んだのか、と思った。

老いて死ぬだろうと思っていたから、早いとも遅いとも思わなかった。歳も知らなかったが、七十二だと聞いた。腰を悪くしていたと聞いていたから、寝たきりにならずに死ねてよかったんじゃないかと思う。寝たきりで衰弱していく父を見ないで済んだのも、よかった気がする。

死んだ父の顔は、祖母によく似ていた。

何か感情が湧くかと思っていたけれど、特に変わった気持ちは何もなく、何もないという事実にだけ、心が沈んだ気がする。

印象に残っている、「何もない」話がひとつある。

社会人になって、自分の給料で、まあ一回くらいは父親に恩返しのようなものをしておこう、父がいなければ自分はこの世にいないのだし、酒も飲める歳になったのだから、ビールが好きだったな、ドイツビールのうまい店に連れて行こう、と思って、名古屋にあるドイツビールの店を予約して、姉と兄と父と自分の四人で行く予定を立てたが、その日に限って残業で、自分だけ店に行けない、ということがあった。父は喜んでいたらしいが、喜んでいるところを見ることができなかった。その後も機会を設けようとは思わなかったから、結局それっきりなにもないまま、祖母の葬式で顔をあわせたのが最後になった。機会を設けようともしなかった立場で言うのもなんではあるものの、たぶん縁がなかったのだろうなと思っている。