42歳になった。
「もう42歳だ」とは思わない。だって私がゼロの使い魔を読んでいた頃、ヤマグチノボル氏にはもっと長く生きて続きを書いてもらいたいと願っていたのだから。ゼロの使い魔だけじゃない。他の作品だってまだまだ読みたかった。
私がそう願った年齢を追い越して、自身の老いを嘆いたり焦ったりしたくないと思ったが、そもそも生来のんびりしている、しすぎているので、もう少し焦ったほうがいいのかもしれない。でも嘆く暇があったら今作っているものを作りたいと思う。
昨年作っていたロストアンファウンドは、ゆえっちの尽力で無事に完成した。
ゲームとしてはまだまだいろいろやりたいこと、できることがあったと思うけれど、そこをちゃんと諦められたのはよかったと思う。諦めたくなかったことが次のエンジンになる。
このゲームをもっとちゃんとPRしたいという気持ちはあるのだけど、とてもむずかしい。このゲームのいいところは、しんどくないところだ。「作業ゲー」から「作業感」を取り除きたかった。しかしその「作業感」のなさは実際に遊んでもらわないとわからない。遊べば手触りのよさが伝わると思うのだけど、それを伝えるのがとてもむずかしい。自分たちがどれだけ手触りがいいことをアピールしても、第三者の耳にはなかなか届かない。「面白そうさ」の演出がちゃんとできていないのが課題だと思う。
この「面白そうさ」を伝えるために、ロストアンファウンドの次回作、スローライフシリーズの二作目では、もうちょっと画面的にわかりやすいギミックをアピールするつもりでいる。「こういうことができる」は「こういう遊び方ができる」になる。手触りが見えやすい。
ところで、私は本業はプログラマで、最近はインフラエンジニアでもある。アーキテクトというには少し責任を負えない、やや中途半端なモチベーションのまま、ずるずると何でもやっている気がする。だからこそ、ここで一度自分が「デザイナー」であることを自覚し、看板を背負おうと思った。つまり自分は○○であると名乗ることが、その責任を引き受けるということなんだと思う。
自分が真似事でなくちゃんとデザインをはじめたのは、『フィクションのための名前の作り方』を書いたとき。ロゴも、表紙も、裏表紙も、本文も、全部自分デザインした。それ以前からウェブサイトを組んだりはしてきたけど、あくまで真似事の意識だった。でも『フィクションのための名前の作り方』は自分がデザインしたとちゃんと言える。もっとも、ロゴのデザインは当時なりにやりきったと思っているけど、今見ると拙さはある。
続けて『辺涯のガストロノーツ』のロゴを作ったり、半文庫のサイトをデザインしたり、『ロストアンファウンド』のUIをデザインしたり、ということをやって、自分が思いの外、デザインという作業に真摯に向き合いたいと思っていることに最近気付いた。
気付いた経緯は後日あらためて記事を起こすつもりだけど、そういうわけでデザイナーをちゃんと名乗ってやっていく、そういう決意表明を、あらためて今ここでしたい。あおたく、デザインをやります。やっていく。
体調は季節の変わり目で悪いがちなりに、やれることをやっていこうと思うし、やりたいと思うことは、やっぱりやっていきたい。
こちらからは以上です。また一年無事であるように。
















