特別に扱うことの功罪

フィクションにおいて、特定の属性を持ったキャラクターが犯罪行為にかかわる描写があったとして、特定の属性を持つ実在の人物がそのような犯罪を起こしやすいという偏見がある、とは言えないんじゃないかと思っているんだけど、このへんを特に言明していないにもかかわらずそのように想起させうるからといって表現を訂正させる行為、かえって特定の属性に対する偏見を助長しないか?ということを常々思っている。

このような訂正がまかりとおった後に何が起こるかというと、特定の属性を腫れ物扱いするようになる。フィクションにそのような属性の人物を描くこと自体が憚れるようになる。フィクションには定型的な人間だけが描かれるようになる。これはこれで差別だとして、価値観のアップデートが必要とかなんとか昨今言われてるわけだけど、非定型な人間がごく自然な人間として描かれるのであれば、非定型な人間による犯罪もごく自然に描かれるべきだろう。特定の属性だけが犯罪行為を引き起こしているわけではないのだから、非定型な人間にも定形的な人間と同様に犯罪者になる懸念がある。現実がそうなっているだろうが、という話である。

それはそれとして、ルックバックにおいて特定の人物を想起させる描写がよかったかどうかという点については、ちょっと難しい。なんらか犯罪をおこなったとして、それを裁くことができるのは法だけであり、我々市民ではない。が、ともすれば、ルックバックの例の描写は社会的制裁に結びつきかねなかったろうとも思う。スティグマとして残っていく。残っていって然るべきと個人的に思う。思うがそれがいいのかどうかはぼくにはちょっと判断がつかない。放火殺人はおおよそ死刑になるだろうから、被告自身の更生や社会復帰は困難で、そんなこと考えなくてもいいと言われればそうかもしれない。守られるべき名誉もないのかもしれない。被告の関係者に負わせるには重すぎる気もする。

そのあたりを抜きにしたところで、事件の記憶として、表現されたものは残されるべきだろう。事件に対する感情的な反応をなかったことにするべきではない。それがどういう影響をもたらすかによらず。ゆえに訂正は、表現の是非を問わず、ただ残念に思っている。