「いいから黙って手を動かせ」なんて大きなお世話すぎる

何も言わずに実践した人間は偉いかもしれないが、何も実践せずに何かを言うことは偉くはなくとも悪いことでもない。

めんどくさい話題について考察することが時間の無駄だとは思わない。いつだってまずいのは自分の出した結論を正しいものとして他者に押し付けてしまうことで、自分の意見を表明するくらいのことは別に許されていいだろう。

こういうめんどくさい話題について考察してるのを見るだけでめんどくさいいいから黙って手を動かせっていう人の気持ちはわからないでもないんだけど、他人の思考や行動について指図する権利なんて誰にもないですね。

無知の知という思考停止

もちろんよくわかってないことをわかったつもりでいることはとても危険なのは言うまでもないのだけど、わかってないことを自覚できないことについてわかったような気になってしまうことを回避するのはとても難しい。

けれども、それが難しいからといって、「わからないほうに倒しておけばよい」という結論もまた危険だと思っている。それって、わからないことをわからないままにすることと何が違うんだろうか。

わからないことがあったとして、自分の中でどこまでわかってどこからわからないのか自覚することは重要で、自分が今なにがわかっていなくてその先の理解が及ばないのか理解することが無知の知なんじゃないかと思っている。

知らない方に倒しておくほうが賢いと思っているのならそれは無知の愚なんじゃないのって思うのだ。

じゃあ実際みんなどうしたら購買意欲をそそられるんだ

もう旬の話題ではないし蒸し返すのもどうなんだという感じではあるんだけど、作家自身がコンテンツ力を高めなければこの先のプロモーションはうまくいかないだろう的なことをフリーランスの編集者がツイートして物議を醸した件についてなんだけど、一読者からすれば「信頼性のない作家がおもしろコンテンツになっても信頼性がうまれるわけではない」というのが正直なところです。
そして「おもしろコンテンツが必ずしもおもしろ作品を生み出すわけではない」ということをわれわれ読者はよく知っています。

ずっとこのことについて的確な言葉があるような気がしてたんですけど、「ウィンザー効果」だった。
ひらたくいうと「人は本人よりも第三者の意見をより信頼する」という説で、まあ往々にしてそうだと思います。ネット時代の口コミ戦略みたいなのも数年前にはわりと議論されていたと思います。数年前はっていうのは、これネットではうまくいかなかったってことですね。ステマ、要はサクラが横行してしまったので、信頼性がなくなってしまったので。

じゃあステマじゃなくてダイマならいいのかっていうと、ダイマはけっきょく第三者の意見ではないじゃないですか。だからこれも同じように信頼性が乏しいわけです。キュレーションメディアがうまくいかなかったのも同じ理由だし、ファミ通が通り過ぎた後ですよ。

結局 Amazon レビューみたいな第三者による否定的(場合によっては攻撃的)なネガティブレビューばかりが機能して、売上を損ねる方向にだけ信頼されるみたいなことになってるんじゃないですか。
Amazon にかぎらないですけどキャズム越えないと否定的なレビューが肯定的なレビューを上回ることほとんどないですし、数少ない肯定的なレビューはステマの可能性を否定できないので、結局ユーザはそれを信頼することができない。

トラストレスがそこのブレイクスルーになってほしいとは思うものの、トラストレスが銀の弾丸足りえることもないだろうなということは感じていて、しかも現状そういうものがすでにあるわけじゃないから、今なにかどうにかなってほしいということについての助けにはまったくならない。

今目下なにがどうなってほしいかというと、まず無差別RTをやめろ。義理RTとか祝儀RTとかもうやめろ。露出を増やせば購買機会が増える。これは正しいけれども、露出を増やしたことによってスパム化してしまうと機能しなくなる。賢いユーザほど離脱する。

一言二言でいいから機械的ではなく人間が意味あってその情報を人に届けようとしていることを示せ。意味を伝えろ。意味を伝える価値があることを伝えろ。情報を厳選しろ。環境に特化しろ。

っていうことを思うんだけど、ぼくがこれを意識してなにかしたところでほとんどリーチした試しがない。
面白そうな作品を面白そうに伝える芸人が必要なんだけど、それがキュレーターであり、キュレーターがちゃんと機能したら今はもうちょっとよかったのかな……とか思うんだけど、でもまあそもそも十年前とかだともうちょっと口コミ機能してたよねとも思う。

いまもう本当にあたらしいコンテンツを開拓しようっていうユーザ減ったと思う。すでに価値があるコンテンツを受け取る方向になってると思う。いまあたらしいものが売れないのはそれに尽きると感じている。

ラノゲツクールMVを無料体験してみた感想

ラノゲツクールMVが週末限定で無料でお試しできるということだったので試した。

ざっくり使ってみた印象としては、UIが整理されていなくてあまり使いやすくはなかったものの、シーンのプレビューが即時にできるなどのアイデアは悪くないし、機能も充実している。使い勝手が改善されればというところだけど、現時点ではビジュアルノベルを作りたい人にはティラノビルダーを使うことをオススメする。

f:id:aoitaku:20180317174604p:plain

2ペイン、左上がシーン管理、左下がコマンドパレット、右上がシーンプレビュー、右下がシナリオエディターという感じになっている。

シーン管理は使ってみてないのでわからない。

コマンドパレットは、見てのとおりアイコンがたくさん並んでるんだけどただ並んでるだけという感じで、整理して配置されているティラノビルダーに比べて視認性が低い。
また、シーンとムービーのアイコンがどっちもムービーとも受け取れるような感じになっているし、ピクチャーと画面も似たようなアイコンになってしまっている。メッセージとテキストが分離しているのはやや戸惑うところがあるが、テキストは画面に文字を配置するためのコマンドなので、メッセージとは目的が違っている。違っているのだが、このあたりってひょっとしてピクチャとひっくるめて画面にオブジェクトを配置する命令としてまとめたほうがよかったんじゃないのか……?

並び順も妥当ではない気がする。
おそらく一番良く使うのはキャラクターとメッセージなのだが、これらを真っ先に配置したほうがよい。

個別のコマンドの並び順もいまいちわかりにくい。
たとえばキャラクターの中を見ると表示系が最下部にいる。シーンに登場させたり表情を変えたりすることのほうがよく使うのだから、これらを上に表示したほうがよい。
メッセージの表示に至ってはコマンド中央に埋没してしまっている。一番良く使うコマンドをこんなところに置くべきではない。

シーンプレビューは、実際に画面を見て確認しながら編集できて便利だと思うが、メッセージ入力中にリアルタイムにメッセージを拾ってくれるわけではないし、シナリオエディタで項目をクリック(すでに選択中の場合はダブルクリック)して再生し直す必要がある。
再生のたびに画面を表示し直していてとてもちらつく。画像系は変更がない限り再描画しなくていいんじゃないのか。このちらつきがかなり気になるので厳しさがある。

いちばんの曲者はシナリオエディター自体で、まずメッセージ入力に注力しづらい。ビジュアルノベルはとにかくメッセージを入力してキャラクターの表情をコロコロ変えて効果音や画面効果で演出をしてという感じのことをやるのがメインになると思うが、それらに集中しにくい。すべてのコマンドが複雑な入力フォームでパラメータを設定する感じになっている。パラメータ自体もとても多い。

パラメータは細かく設定できるに越したことはないが、毎回毎回細かく設定することはない。基本的には同じようなパラメータを使い回すことになるので、これらはプリセットを定義しておいて読み込むようになっているほうが使い勝手がよい。メンテナンス性も高い。後からパラメータを設定し直すのは地獄でしかない。
いちおう既定というコマンドがあってデフォルト値は設定できるのだが、複数のデフォルト値を交互に切り替えたりするのはできない。そのために変数とかを使うんだろうと思うのだが、変数を細かく設定するのは割と骨が折れる。

f:id:aoitaku:20180317181532p:plain

画像の座標をプレビューを見ながらドラッグで決定できるのはよいように思う。ただ同じパラメータはたぶんよく使うので、そうして決めた数値をプリセットにしたい。

背景色がコマンドの種類ごとに分かれているが、色わけはヘッダーだけで充分に思う。ヘッダーと詳細が分離したデザインになっていないのでむずかしいと思うが……そのあたりのティラノビルダーのUIを見るとよく出来ていることがわかる。

後発のGENEを引き合いに出すのもフェアではない気がするが、タイムラインエディターであるGENEのほうがグラフィカルエディタとしては一歩先にいる気がしてならない。ウェイト/続行の概念とかはコマンドリスト型だと把握しづらい。RPGツクールがそうなっているからRPGツクールでイベントコマンドを入力していると慣れるんだが、ビジュアルノベルは演出が並列して実行されることが多いので、どのコマンドが並列なのか見た目で把握できる作りになっている方が望ましく、その点でGENEのタイムラインエディターは理にかなっている。
とはいえ、GENEとRPGツクールMVでビジュアルノベルを作るのがいいかというと、一度作ったシーンをツクール上で編集してしまうとGENEで再編集しづらいことを考えると厳しさがある。今後ツクールのプリセットコマンドの対応が増えるとそのへんは改善するかもしれないが……。

ただ、ラノゲツクールMVはかなり多機能で、パスに沿って画像を動かしたり、UIパーツを画面に配置したりということが自由にできる。シミュレーションを作ったりするときには実際に画面を見ながら作れるのは大いに利点になると思うし、ちょっとしたシミュレーションを作るのにUnityを引っ張り出すよりはラノゲツクールのほうが小回りが利くだろう。

結論としては、ビジュアルノベルを作るなら現状ではティラノビルダーを使ったほうがよい。無料版には制限も多いが、PRO版はラノゲツクールよりずっと安い。ラノゲツクールはビジュアルノベルでなく恋愛シミュレーション向きなのかもしれない。

カクヨムの作品をフォローしたり応援したりレビューしたりすることについて

カクヨムの話。最初は近況記事に書こうと思ったんですけど、やめました。

どういう意図で行われたにせよ、作品をフォローしていただいたり星をつけていただけることは嬉しいと思っていますし、ありがとうございますと思っています。
まず読んでくれるだけでもありがたいことなので、PV が 1 でも増えていればそれだけでも嬉しいです。これはおためごかしでもなんでもなく真実そう思う。

読んでいて「ああこれは望むものとは違っていたな」という気持ちでフォローを外すこともあるでしょうし、つけた星を取り下げることもあると思います。作品のとの出会いってそういうものですよね。

いつも読んでいただきありがとうございます。

さて、カクヨムの近況記事を作成するページには、右側に注意書きがあります。

「不適切な記載はしないで下さい」

という見出しの下、

「相互評価の打診など、読者へ不当な評価を要望する内容」

ということが書いてあります。
ぼくはこれ、逆に「不当な評価をしないでください」っていうことを書きたいんですよね。
今いただいている評価はよきにつけあしきにつけ正当な評価だと思います。ありがたいことです。
実はあまり妥当でない評価もありました。いまはもうありません。
というよりは、評価が取り下げられたことで「ああやっぱり妥当でない評価だったんだな」と思ったというか、でもやっぱりあれは妥当でない評価だったと思うので、取り下げてもらって感謝しています。

しっかり読んでくれる読者のほうが多いんですよね。
いつも読んでくれる人、応援してくれる人、本当にありがたく思っていますし、励みになっています。
でもぼくも人間なので、ちゃんと読まない人の妥当でない評価の雰囲気を感じ取ったら、気にしたりはします。

ぼく自身は、自身の作品を読んでもらうために作品をフォローしたり星をつけたりすることはありません。フォロー機能は作品を読むためのものだと思うし、実際読むつもりがない作品をフォローするとフォロー中の作品一覧に未読ばかりが並ぶことになりますよね。不便じゃないですか? ぼくは不便だと思うのでやりません。
読んでない作品に星をつけたり応援したりすることもしません。読んだから必ずしも星をつけるというわけではないのですが、星をつけたり応援するのは読んだときだけです。
星の付け方はまだ自分の中でどうするのがいいかわかってなくて、書き手の人に誤ったメッセージを届けないようにということを考えています。

ぼくがこうしているからといって、他の人にカクヨムの機能はこう使ったほうがいいとか、そんなことを言うつもりはないですし、自由に使ったらいいと思います。道具をどう使うかは使う人次第なので。ぼく自身が他人の使い方に対してどう思うとかは、それとは別にぼく個人の気持ちとして表明したいし、こうやって表明したけれど、それだって何の強制力もない、個人の意見にすぎません。

ただ、道具を使う先に他の誰かがいることは、忘れないでいたいなということを、個人的には思ったりしています。

トラベリングオーガスト2017行ってきたので千桃について振り返ってみるという記事を2017年中に公開しておかないといけなかったのでする

ナビゲーターとして仙台さんがサプライズ出演されていて、合間合間に宮国朱璃の独白という形でナレーションがあるのですがこれが本当に素晴らしかった。今回は(前回ユースティア未プレイでユースティアの演奏を聞いたのとは違って)千桃をプレイ済みだったので、もう千桃の物語を通して朱璃というキャラクターの内面を知っているわけで、その上で、朱璃と一緒にオーガストの過去作をめぐる旅をする、しかも仙台さんのやさしいナレーションつきでですよ。なんていうかなんていったらいいのかぼくはもう語彙が消失してしまっているので完全にダメ。

あたらしく作品が出てくることによって過去作の割合が減ってしまうのはやや寂しい気持ちもありますが、FORTUNE ARTERIAL は前回わりとたっぷりやってますし、逆に前回なかったけよりな以前の作品の BGM をやってくれたのはよかったと思っています。個人的には大図書館の BGM やってほしいなーと思ったりもするんですが、あれはオーケストラよりバンドアンサンブルのほうが相性いいかもしれないなーということを思ったりします。そういえばきょねんのオーガストライブ2016で各作品のBGMのメドレーがあったんですけど、大図書館は特にゴキゲンな感じでよかったです。


千桃はなんかレビューみると割と期待にそぐわなかったという声を見かけます。ぼくはめちゃくちゃ好きですし、2016年の中では傑出した作品の一つだと思っています。 ほかのヒロインの扱いに対する不満に関してはなんとなくわかる気もして、これは朱璃のための物語なんだろうと思います。


ちょっと古い作品を引き合いに出すと、たとえばS.M.Lのカーニバルは、完全に学と理紗の物語で、詠美が報復されるのはともかくとしても、ほかのサブヒロインに関してはシーンに必然性とかなくて、商業上の理由でそうなっているだけでしかない。そうすると、分岐のこと忘れてメインのルートだけ考えたときにシナリオの完成度どうかっていったら、枝分かれした別になくてもいいサブヒロインのシーンの存在によってまったく損なわれることないですよね、と思っています。カーニバルはちょっと極端な例だとは思いますが、ぼくは各ヒロインがメインのルートにおける役割考えると誰も不要なキャラはいなくてそれぞれがそれぞれの役割を発揮し、個性を表現して、みんな魅力的に描かれてたと思うんですよね。


ぼくはたとえば FORTUNE ARTERIAL は総じて好きなゲームなんですが、悠木姉妹ルートについては別に物語上の必然性はあんまりないなということを思っていて、にもかかわらずそこを経由しないとトゥルールートが解禁されないことについてはやや不満を感じています。悠木姉妹がヒロインとして魅力的でないかというとそれはそんなことなくてちゃんとかわいいし、メインルートにおいての存在感もちゃんとしっかりありますが、どうしても個別ルートについてはそんなに重要な感じではない。主人公の過去の話に噛んでたりはするのでまったく重要でないことはないんですけど。ひょっとすると FORTUNE ARTERIAL はユースティアみたいにメインルートから枝分かれする形式のほうが馴染んだのかもしれないなーということを思っています。


で、千桃は朱璃のための物語だという話なんですが、それはもうめちゃくちゃ贅沢な話です。グラフィックも演出もBGMも抜群によく、シナリオのボリュームも充分にあって、しかもプレイしてみるとテンポよく物語が進んでいくので、いい意味でもう終わってしまうんだなあ寂しいなあという気持ちにさえなる。でも他のヒロインのルートはたぶんですけどどこまでいってもおまけ以上にはなりえないと思っています。確かにこれだけ贅沢な作品の中で、各ヒロイン個別ルートの中で各ヒロイン特有の問題を用意してそれを解決する、パラレルなルート分岐をするいわゆるふつうのエロゲと同じことやっていいのかどうかというと、それって FORTUNE ARTERIAL のときにぼくが悠木姉妹ルートに感じたのと同じようなこと回避できないんじゃないのか、と思ってしまう。

たとえばユースティアもトゥルーエンドを見た後の個別ルートというのはちょっと薄ら寒いところあるんですよね。この一見幸福に見える結末って本当に幸福な結末なのか? もちろんぼくはそれ込みでトゥルールートの価値を感じているんですが。


好みの話だけをいうと、ユースティアの息が詰まるような空気感とか緊張感とか、個別ルートに入らなかったその後のヒロインたちの強かさとか、ああいうのはぼくが特に好きなものなので、ユースティアに比べると千桃は全体的に爽やかな話ですね、という印象で、ユースティアほど強い衝撃は受けなかったんですが、たとえば主人公とメインヒロインのやり取りに関しては千桃のほうが好きだったりしますし、それぞれの作品にそれぞれの作品固有のよさがあって、それを抜きにして比較してもしょうがないことだなあということも思います。

完全に期待を除外してまっさらな気持ちで作品にのぞむということはとてもむずかしいことだとは思うんですが、作品によって目指すものが違う以上は、他の作品がどうだったということは思考の埒外におくようにしたほうが作品を楽しみやすいよね、というのがぼくの考えで、作品を楽しむために受け手側の工夫が必須とまでは言わずとも、いらないってこともないだろう、と思っています。