結論から言うと、日本語版 Wikipedia の蘇のページに書かれている内容は、引用元の論文の結論を無視したものになっていて信頼性が乏しいので、参考文献欄から引用元の論文自体の本文に目を通したほうがいいですよ、という話。
問題だと考える記述を以下に引用する。
製造方法 現在に残る当時の文献が少ないが、製造方法は『延喜式』や『政事要略』に記され、「蘇を作る方法は、乳を一斗煎じて、一升の蘇が得られる」程度の記載であり、このまま濃縮牛乳を作っただけでは、日本の気候風土から腐敗してしまうので、なんらかの処理がなされていたとも言われている。
とあるうちの「このまま濃縮牛乳を作っただけでは、日本の気候風土から腐敗してしまうので、なんらかの処理がなされていたとも言われている」の部分だ。根拠となる参考文献として「日本古代における乳製品「蘇」に関する文献的考察」が挙げられているのでそれを見てみよう。
該当の文はこのあたりだろう。
次の問題はわが国の高温多湿の風土の中で, その貢納が冬の11月(元嘉暦,儀鳳暦等の太陰暦)までとされているが蘇が製造されてから宮中へ貢納されるまで1カ月間くらいの行程日数が必要なところもあり, 加熱濃縮以外に何の処理もほどこされていないとすれば, かなり乾燥したものでなければカビ等が生じたり, 腐敗したりする危険性が少なくない (後日詳細は報告するが, われわれが蘇の復元実験として牛乳を重量比で14%まで加熱濃縮してみた結果常温で放置しても1年以上カビが生えないし成分変化もほとんどない. 16%濃縮では2週間ほどでカビの発生がみられた). したがってこれを避けるため『斉民要術』,『本草綱目』等でいう酢の製法とは異なる風土的条件を加味し工夫されたわが国独特の製法による乳製品が造られなければならなかったはずである.
ここだけを読むと、「ただ加熱濃縮しただけでは日本の気候風土ではカビの発生あるいは腐敗などの危険が少なからずあるので何らかの処理が施されていたのではないか」と読めなくもない。が、ちゃんと読むと、「わが国独特の製法」がかかっているのは「酥の製法」に対してであり、「蘇は酥と異なる我が国独特の製法で作られた」と読むべきところであろう。実際、この節の結論にはこうある。
したがって蘇は相当乾燥したものであったと考えられる. その製法にみられるように全量をおよそ1/10に加熱濃縮した全粉乳のようなものであったと推定され, 酥油といったバターのような酥とは異なるものである点がとくに重要である.
このように参考文献では「蘇は1/10に加熱濃縮した全粉乳のようなもの」と推定している。確かにちょっと誤解しやすい表現だが、よくよく読めば「かなり乾燥したものでなければ」腐敗やカビの危険があるということは、逆に「かなり乾燥したもので」あれば加熱濃縮だけでも日本の気候風土においてもカビや腐敗を生じさせず長期間保存できただろう、と言っているわけだ。
なお、ホルスタインの乳のうち水分はおよそ88%で、14%に濃縮するということはかぎりなく水分を飛ばした状態ということになる。当時正確に計量することはむずかしかったろうし、実際鍋にこびりついた分ロスが発生することが考えられるので、1リットルの牛乳から作られた蘇はやはり100グラム程度だったのではないかと思う。論文にあるように、かぎりなく水分を飛ばしさえすれば、よほどカビにとって好ましい雰囲気下でないかぎり常温でも保存できただろうと思う。逆に醗酵させれば大丈夫という話もまったくなくて、チーズだって適切な環境下でなければ腐敗もするし好ましくないカビも生える。冷蔵庫の中のシュレッドチーズにアオカビが生えてるのを見たことがある人も少なからずいると思う。
参考文献はちゃんと読んで書きましょう。Wikipediaの記述は鵜呑みにしないようにしましょう。
こちらからは以上です。