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最後までクリアできたゲームのこと面白くなかったっていうのやめろ

やや強気なタイトルではありますが、最後までクリアできたゲームのことを面白くなかったと評するのは妥当ではないなということを随分前から思っています。前から思っていたのはゲームではなく小説の話なんですけど。最後まで読める小説はその時点で一定以上面白いと思っています。面白くない小説を最後まで読むな。これに尽きるのですが、ゲームもそうであり、面白くなかったところでやめてしまったほうがよろしい。

でも実際には面白くないという感情を抱いたまま最後までプレイできるゲームというのもあります。なんなんでしょうね。面白くないことはないと思うんですが。面白くないのに最後までプレイさせることができる要素、プレイのモチベーションを維持させるもの、まあたとえばエンディングが見たいとかがそうかもしれません、この後面白くなるのではないかという期待感とかもそうかもしれません。 でもそれはその時点で面白くないと感じても、実は多少なりとも楽しめてはいるわけです。少なくとも先を気にさせること自体は退屈ではないとぼくは考える。そうすると、期待してゲームを続けた結果が期待を超えられなかったことをさして面白くなかった、ということになる。 これって妥当ですか?ということを思っています。いやだって苦痛だったり退屈だったりしたらもうそこでやめてしまったほうがよいですよ。

たとえば10時間でクリアできるゲームがあったとして、10時間プレイしてクリアしたけど、面白くなかった、となるのがめちゃくちゃ不思議。少なくとも10時間は遊んでますよね。10時間ってとんでもない時間だと思うんですよね。 10時間あったら、文庫本3〜4冊読めるし、アニメ2クール分見られるし、映画なら4〜5本みられるわけですよ。漫画だったらものにもよりますけど10〜20冊くらい読めるじゃないですか。つまんないゲームなんかやめましょう。本読もう。アニメとか映画見よう。ってなるじゃないですか。まあでもそうではなくて、欲している体験がゲームである以上、他の娯楽では補うことはできないし、結局ゲームするしかない。

つまり、10時間分の体験を指して面白くなかったと呼ぶのはやや乱暴なのではなかろうか、ということになります。どっかに何か10時間分遊ばせるものがあったわけでしょ。

とはいえ、別に感想とか好きに言えばいいとは思うんだけど、これがレビューの体とかだったら、もうレビューするのやめろ、と言いたい気持ちになったりはします。もうその人の期待度との齟齬だけでしょ、そのレビューに書かれてる面白くないは。その人当人だけの感情の話になってしまって、もはや何の役にも立たない情報だし、なんなら目の毒まである。

ああ、でも、レビューでボロクソに書きたいという気持ちだけで最後までやったけどやっぱり面白くなかったよ、みたいな話は、わりとというか、けっこう見かける……もうね……そういうモチベーションでゲームするのやめよう……時間がもったいないし、誰も得しないですよ……。


で、こんなタイトルつけておいてなんですが、この記事は後ほど自分でカウンター記事を書く予定です。