上半期を終えて

上半期は月に平均5記事ずつ、まあクラシック前半戦があったりで馬の話メインにしてたというのもあり、書いてたは書いてたんだけど、と思うものの、別に継続的に書くこと自体が目的ではないし、書きたいことを書いた結果がそう、というだけなので、内容がどうこうという話でもないし、それはそれとして結果的には継続的に書けているので、あらゆる文章の出力が無、という状態は避けられており、それ自体は好ましいことと思う。

私事ながら、勤め先の事業が人手不足で回らなくなりつつあり、採用を拡大して人員を補強することになり、新人のメンターを担当することになった。来月から。 急に決まったわけではなくてちょい前くらいからそういう話を進めており、ようやく、という感じ。自分の担当している業務もなんとか落ち着いてきた。

勤め先は小さな会社で、それなりに大きな会社の小さなプロジェクトに関わらせてもらっている。取引先が大きめの会社の場合、プロジェクトを水平展開しようという話が出てきたときに、わたしが分身しなければならない事態が生じる。そうでなくとも、並行で複数のプロジェクトが沸くとやはり分身が必要になる。無理なので人を入れてくれという話を2~3月くらいからしていた。

人事というものにかかわったことがほぼないのだが、自分が人を選ぶ側にいるというのがゾッとしてしまうなと思う。あんなにも選ばれる側であることに抵抗していたのに……。

しかしながら慈善事業でやっているわけではないので、お祈りはするし、ただ、自分がかつて面接の場や人事の面談で受けたようなことだけは彼らにすまい、と思って臨んでいる。

下半期も無事にやっていきましょう。

クイズで遊んでいる

最近クイズをやっています。

クイズとはなにか

一般的に、出題者が既知の事実に関する質問を行い、解答者がその質問に対する正解を答える遊び。

クイズの形式

  • 早押し
    もっとも早くボタンを押した解答者一名が解答権を得る形式。不正解の場合、その時点で問題が終了となるシングルチャンスと、問題を終了せず、正答が出るか、誰も解答できなくなるまで問題を継続するエンドレスチャンスや、ボタンを押した順に解答権が移っていく形式などがある。

  • ボードクイズ
    ボードで回答するクイズ。解答者全員に解答権が与えられる場合が多い。早押しボタンを押して解答権を決定する早押しボードのように、他の形式と複合することもある。

  • 一問一答
    一つの問題に対して一つの解答を行うクイズ。一般的にクイズはこの形式であることが多い。

  • 択一クイズ
    複数の選択肢から一つを選んで解答する形式。三択や四択が多い。○×クイズはこの形式の中で特に二択の選択肢が○と×であるものを言う。

  • 多答クイズ(一問多答
    問題に対して複数の答えを解答する形式。「黄道十二星座を5つ答えよ」のように、正解のうちのいくつかを答えればよい問題もあれば、「日本三名泉をすべて答えよ」のように想定される正解をすべて解答する必要があるような問題もある。
    また、一人の解答者が複数解答したり、あるいは一つずつ解答するなど複数の解答方式がある。
    対義語は一問一答

  • m○n×
    m問正解で勝ち抜け、n問誤答で失格となるクイズの形式。漫画「ナナマルサンバツ」のタイトルは、この7○3×から来ている。

  • 誤答ペナルティ
    問題に対して誤った回答を行った場合に課せられるペナルティのこと。その問題の解答権を失う(シングルチャンス以外の場合)、以後n問の解答権を失う、得点を失う、n回誤答で失格となる、などがある。
    たとえばアタック25では、誤答の場合以後2問の解答権を失う。

  • 画像クイズ / 映像クイズ 画像を見てそれが何であるかを答えるクイズ。不鮮明な画像が徐々に鮮明になっていったり、動画を見てその動画が示す内容を答えるなど、映像を見て答える問題もある。

  • 音楽クイズ 音楽を聞いて、曲名や作曲者などを答えるクイズ。前奏部分のみを聞いて解答するイントロクイズなどがある。

このほか、解答者が出題者にだけ伝わるように解答し、正解であれば勝ち抜け、といった形式もある。


クイズは突き詰めると「クイズの確定ポイントとその正解の組み合わせを覚えたもの同士が反射神経を競う」遊びになるのではないか、と思ったりする。現実的にはこの世のすべての事象についての知識を覚えることはできないが、クイズになりそうな問題には一定の傾向がある。そのときどきの流行もある。というわけで、対策が可能なのでその手の対策が得意で、かつ耳がよくて反射神経がよい、みたいな人が優れた早押しプレイヤーになる。それはそういう競技だとは思うが、競技かるたと競技クイズは似て非なるものだと個人的には思っている。

競技クイズは競技かるたではないから、もっと自由でいい。そういう気付きがあったのは以前に紹介したカプリティオチャンネルのクイズ動画を見てからだが、特に衝撃的だったのがかんたんクイズだった。

かんたんクイズは「問題を最後まで聞けばおおよその人が正解できる」という難易度の問題だが、早押しの確定ポイントがいわゆるベタ問などとズレていたりして、早押しが得意なプレイヤーが有利になりすぎない工夫がされている。あまりクイズに出ないような問題もある。それでいてしっかり知識を問う問題にもなっていて、正しくクイズになっている。一見なぞなぞのように思えつつも、ちゃんとしたクイズであるところが極めて面白い。

ここ最近になって実際に自分でクイズに参加してみて思ったが、知識を問う早押し問題だけの環境は早晩荒廃する(勝者が固定化されやすい)し、自分が出題者に回るときに他の人が作るような問題と同じような問題を作っても仕方がない、出題者によって傾向が違うほうが面白いはずなので。

自分でやるならかんたんクイズがいいんじゃないか? かんたんクイズを作って出題してみたい。そんな思いが募ったので、勢いのまま作問して、先日出題してきた。

概ね好評でよく受け入れられたと思う。

が、思うに、これはちゃんとした王道の早押し一問一答クイズをやっているから、こういう変わり種が受け入れられたんじゃないだろうか。世の中がかんたんクイズだけになれば当然その対策が進んで、かんたんクイズに特化した早押しプレイヤーが有利になっていく。人間が作るものには一定の傾向が出てしまうので仕方なく、それは避けられない。

自分でかんたんクイズを作りたいといって出しておいてなんだけど、基本はやはり王道の知識問だと思う。クイズはあくまで知識を問う遊びであって、かんたんクイズはその傍系、が、そういうものがあったほうが王道が生きるし、王道があるから傍系のクイズが生きると思っている。

いずれふつうのクイズも出してみたいと思う。ただ、ぼくが作問すると本当にふつうのクイズと言えるかどうかは少し自信がない。が、これでも人並みにはクイズの問題を見聞きしてきているし、「クイズってこういう構造でできているよね」という分析にはそれなりに自身がある。ナナマルサンバツとQm@s、QuizKnock、カプリティオチャンネルと数多のクイズ番組のおかげだけど、それらが血肉となって今のぼくがいる。作問者としても出題者としても生まれたての赤ちゃんだけど、赤ちゃんなので許してねとは言わず、矜持を持ってやっていきたい。

はたしてぼくは一体何を目指してるんだろうな。

こちらからは以上です。

無力さ

Twitterでそれなりに仲がよく、とはいえ、Twitterくらいでしかやりとりをしたことはなかったものの、個人的には好ましく感じていた人がかつていたんだけど、かつて、というのは今はもういない。

その事実を知ったのはいなくなってからいくらか経ってからだったし、ぼくは何もすることはできなかった。静かにいなくなってしまった。が、仮に知ることができたとして、ぼくは何を伝えることができただろうか。

彼が残したものは、ゲームのキャラクターのセリフをつぶやくbotで、そのbotはいまも稼働し続けている。botのつぶやくセリフを見るたびに、彼のいないタイムラインを思う。彼がいたころのタイムラインはもう思い出すこともできない。自分の無力さを思う。

今生きている人には、生きていることを願う。無責任な願いだから、直接伝えることはぼくにはできない。ただ生きていてほしい。ここを見てくれたら、生きてほしいということだけ伝わってくれたらいい。

広告に踊らされている

DLsiteにはがるまにという女性向けの売り場があり、ここには乙女向け/TLとBLのふたつのカテゴリがある。乙女向けとBLはまあなんとなく理解してもらえると思うしTLも分かる人は分かると思うのだが、わからない人向けにTLとはなんぞやというのを説明する。TLというのはティーンズラブの略で、ティーンの女の子向けの恋愛マンガ……かつ、ちょっとえっちまたは完全にえっちな描写のあるものを指す。このへんは専門的に読んでいるわけではないのでわからないところもあるが、世の中に少女漫画とえっちありの少女漫画というものがあるとしたら、TLというのはえっちありの少女漫画と成年コミックの間、というあたりのジャンルになる。だいたいあってるんじゃないかと思う。

ちょっと面倒なのだが、成年コミックにカテゴライズされる作品でもTL寄りのものはある。女性作家が描く成年コミックとTL同人誌を並べたときに、その間に線を引くのはたぶん極めてむずかしい。女性作家が自身の作家性で描いて結果的に男性向けと同傾向の作品になっていることがあるかもしれないし、男性向けにチューニングされた作品が出ていることもあろうと思うし、逆に自身の作家性で描いて男性作家とは違う雰囲気の作品が男性向けの中に混じっていることも往々にしてある、ぼく自身そういう作品の独特な雰囲気がけっこう好きで、そういう作品も好んで読むのだが、最近気付いたのは、そういう雰囲気の作品は実はTL売り場にいくとある。

教えてくれたのは広告だった。

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3歳ダート路線について

どうもみなさんこんにちは。 日本ダービーが終わり、安田記念も終わって毎週のようにGIを開催していた春競馬も残すところ月末の宝塚記念だけになりました。ダービーが終わり新馬戦が始まり次のクラシックへの戦いが始まっていたりはするんですが、ともあれダービーで一区切りという見方ができたりするとは思います。

JRAではダービーまでは3歳ダート重賞を開催しない方針をとっていて、5月いっぱいまではリステッド競争やオープン特別競走だけが開催されます。オープン特別競走が重賞でないからといって軽視できないことは、忘れな草賞を勝ったラヴズオンリーユー、エルフィンステークスを勝ったデアリングタクトを考えれば納得できるかと思います。特に3歳ダート路線はダービーまで重賞が開催されないのだから、当然これらのオープン特別競走に有力馬が集まってくるというわけです。
ヒヤシンスステークスを勝ったカフェファラオはその後フェブラリーステークスを勝ってGI馬になりましたし、昇竜ステークスからクリソライト伏竜ステークスからコパノリッキーといったGI馬が出ています。

今月20日に開催されるユニコーンステークスはそんな3歳ダート馬にとって初の重賞で、ここを制した馬が世代の最有力候補に名乗りを挙げることになります。実際、2015年ノンコノユメ、2016年ゴールドドリーム、2017年サンライズノヴァ、2018年ルヴァンスレーヴ、2019年ワイドファラオ、2020年カフェファラオ、と過去6年で毎年G1*1馬を輩出している最重要レースです。東京のダート1600mなのでフェブラリーステークスに結びつきやすく、過去6年でノンコノユメゴールドドリーム、カフェファラオの3頭のフェブラリーステークス勝ち馬が出ていますし、サンライズノヴァとルヴァンスレーヴはマイルチャンピオンシップ南部杯、ワイドファラオはかしわ記念と、全頭がダートのマイルG1を勝っています。3歳王者決定戦であるジャパンダートダービー大井の2000m、秋のダート王を決めるチャンピオンズカップは中京1800mと、また異なる適性が要求されると思いますが、ノンコノユメ、ルヴァンスレーヴがジャパンダートダービーを、ゴールドドリーム、ルヴァンスレーヴがチャンピオンズカップを制しています。そんなわけで、ユニコーンステークスは今後のダート路線を占う上で最重要の一戦、ということになります。

一方、地方競馬ではユニコーンステークスに先駆け、5月に園田で交流重賞兵庫チャンピオンシップが開催されています。一昨年はクリソベリルがここを勝ってジャパンダートダービーに挑み、無敗のままチャンピオンズカップを勝ってダートG1の王者となりました。2013年のコパノリッキー、2016年にケイティブレイブといったG1馬を出しており、こちらも重要レース。

交流重賞以外に、地方8場でダービーを開催するダービーシリーズもあります。各地のダービー馬は交流G1を勝ち負けするところまではなかなかいかないですが、東京ダービーアジュディミツオーなどを輩出したレースで、近年はヒカリオーソが川崎記念で2着に入るなど、現在でも重要レースではあると思います。

そんな感じで、現在の3歳ダート路線の有力馬を紹介していきますか。

3歳ダートのオープン特別競走と、前述した兵庫チャンピオンシップ東京ダービーの勝ち馬を並べるとこんな感じ。

レース コース 1着馬(2着馬)
ヒヤシンスステークス(L) 東京 1600m ラペルーズ(プロバーティオ)
昇竜ステークス(OP) 中京 1400m カレンロマチェンコ(デュアリスト)
伏竜ステークス(OP) 中山 1800m ゴッドセレクション(メイショウムラクモ)
端午ステークス(OP) 阪神 1400m ルーチェドーロ(レディバグ)
兵庫チャンピオンシップJpnII 園田 1870m リプレーザ(ゴッドセレクション)
青竜ステークス(OP) 東京 1600m ゲンパチフォルツァレディバグ)
鳳雛ステークス(L) 中京 1800m ウェルドーン(タケルペガサス)
東京ダービー(SI) 大井 2000m アランバローズ(ギャルダル)

有力候補はやはり兵庫チャンピオンシップを制したリプレーザ、2歳王者で東京ダービー馬アランバローズになりますか。伏竜ステークスの勝ち馬で兵庫チャンピオンシップ2着のゴッドセレクションも、1800mで結果を残しているので大井の2000mでも戦えるんじゃないかと思います。

他に注目すべきは2つのレースで2着に入っているレディバグ。勝ちには一歩届かないですが、ユニコーンステークスの有力候補と見てよいでしょう。

今年のヒヤシンスステークス組はレベルが高そうで、3着にレディバグ、4着にタケルペガサス、5着にゲンパチフォルツァと、後のレースを勝ったり好走したりしている馬が多く出ています。であれば、前走では惨敗したラペルーズも能力はあると見てよく、状態次第では巻き返しも考えられるでしょう。

というわけで、3歳ダート路線もなかなか楽しみな馬が揃っており、芝もいいけどダートもね!という感じです。 こちらからは以上です。

*1:ここではJpnIとGIをひっくるめてG1と表記しています

最近考えていること

ブログの流行、SNSの登場によってインターネットは変わる、Web2.0の時代になる……という話は今からもう15年も前のことだが、それが真に果たされたのはスマートフォンの普及によってで、当時のfacebookと、スマートフォン普及後のfacebookは地続きでも遠くの世界だと個人的に感じている。それはtwitterにしてもそうで、とにかくスマートフォンの普及以前と以後で景色がガワっと変わってしまった。

Web2.0以前のインターネットでは、自身の情報発信空間を持つには条件があったりコストがかかったりしており、ある種特権的なものだった。メモ帳ひとつあればISPホスティングサービスで「ホームページ」を作れる……というのはごく一部の人に限られていて、インターネットに加入していても、ISPホスティングサービスにたどり着けない人が大半(そのISPがサービスを提供しているかしていないかにかかわらず)、メモ帳にHTMLを書くという行為も、メモ帳にソースコードを書いてFTPでアップするという初歩的なエンジニアリング作業で、一般人が気軽に行えるかというとそういうものではない。なぜかあの時代のインターネット人はPerlを読み書きし、Windows PCを使っているのにLinuxサーバのパーミッションの概念を理解し、掲示板のスクリプトをアップロードして実行権限を付与するという行為を行ったりできていたが、よく考えなくても異常だった。

ブログの普及によってFTPでファイルをアップロードするという行為を行わなくても誰でも気軽にインターネットに情報を発信できるようになり、著名人がブログをはじめたりしたが、思ってみればこの段階であってもまだぜんぜん趣味人の嗜みの領域で、情報を発信する側よりも受け取る側のほうが多かった。もちろんコメント欄でのやり取りくらいのコミュニケーションはあったが、これだって掲示板やチャットの頃から存在するもので、誰もが発信者という時代ではぜんぜんなかった。

誰もがインターネットで情報を発信するようになったという実感を得たのは、スマートフォンが普及して、誰もがTwitterをやるようになってから、だった。スマートフォンが普及する以前に、たしか2008年だったと思うが、当時の社の勉強会のようなものでTwitterの紹介をしたことがある。まったく薄い反応だった。それなんのためにやるの?という感じだった。「サッカーワールドカップを見ながら知らない人と一緒にリアルタイムに感想を言い合えるんですよ!」ということを説明したがまったくピンとこなかった。知らない人と一緒にリアルタイムに感想を言い合えるということの異常性が伝わらなかった。いや、異常だということは伝わったが、異常なので理解されなかった。そのときのインターネットは、まだ異常なものだった。

ゲームをプレイした感想を「ホームページ」にアップしてあれがよかったこれがよかったという話、たとえば1年2年経ってもできていた。2004年や2005年にCROSS†CHANNELのレビュー記事が個人のサイトやブログにアップされることは普通に起こっていた。SNSは情報の新陳代謝が異様に早く、その瞬間のコンテンツについての話をする。クリアするのに20時間かかるゲームより、5秒で内容がわかるゲームが話題になるようになっていく。それは異常なことだったが、そもそもインターネットで感想を共有するという行為自体が異常だったので、異常なものが次の異常なものに変わったことは、まったく理解されなかった。理解される環境もあったと思うが、当時ぼくがいた社はそういう世界だった。そしてそういう世界のほうが広かった時代だったと思う。

東日本大震災以後、SNSは社会インフラになった。誰もがSNSでコミュニケーションを取るようになった。誰もがインターネットに対して開かれた存在になった。Web2.0がやってきた。そうして思ったのだが、情報発信の機会が平等に与えられるようになっても、情報を行き渡らせることの特権性は変わっていなくて、技術マターだったのが情報発信マターになるという特権の移譲が行われただけ、だったんじゃないかと思う。

インターネットは機会を地理的・時間制約から解き放って、誰もに開いたが、その結果、たとえば地理的優位性によってかろうじて確保できていたものを、他者が金や人的資源で収奪できるようになった。転売はその最たる例だが、転売がここまで拡大したのはインターネット通販の普及によってではなく、インターネット個人売買の普及によって、である。店舗が転売対策のために店舗で販売を行って地理的制約をかけたところで、これは人海戦術によって突破される。そして売り口はインターネットに開かれている! 転売屋の販売経路を遮断しないかぎり、いくら地理的優位性を一般消費者が取り戻したところで、転売屋が優位な状況は変化しないと思っている。

最近ちらっと目にした話題だが、地域ローカルにおいてある分野によく通じていた人間が、インターネット時代には全世界にいる分野のトップレベルの人間と対峙させられることになり、厳しい、というのがあり、これも同様の話に思う。

確かに機会は平等になったが、機会が誰にでもどこにでも開かれているなら、単純に上から順に席が埋まっていき、むしろ階層化が進むんじゃないか、と思う。いや、階層上位にいることができた人間が、下位に降りてくることで、下位の人間が増え、全体的には均一になる、かもしれない。それはおおよその人は普通の人にしかなれない世界で、ぼくは別に普通の人でいいじゃんと思ったりもするが、戦うには厳しい、という感じになっている。

なんでこんなことになっているんだろうな、民主主義ってぼくは20代くらいまでは結局多数決の論理だ、などと思っていたのだが、最近はぜんぜんそうではなく、民主主義って超個人主義なんじゃないかと思うようになってきている。民主主義は別に社会の最大幸福の仕組みでもなんでもなく、強い個人の主権が拡張され続けていく仕組みで、弱い個人は淘汰されて全体化していく。全体化された個人の群れをわれわれはよく目にしている。目にしているよな。学校でも社会でもそこら中にいる。

民主主義で声高に自分の権利を主張する自称マイノリティを見るたび、彼らは特権的階級にいるよなと感じる。多数派が負っている苦しみは多数派にとって当たり前のものなので、多数派の誰かひとりが苦しみの声をあげても、みんな我慢しているんだ!となる。みんなも我慢なんかしなくていいと思うが、最大幸福のために我慢しなければならない場面はある。しかしこれが本当に最大幸福のためか……?という疑問はつくづくある。満員電車に乗らなくても社会が回ることをぼくはもう知っている、みんな朝が辛くても我慢してちゃんと起きてぎゅうぎゅうづめの満員電車に乗って通勤しているんだ、甘えるな、と言われたことについて、やはり納得はできていない。

普通の個人が普通に生きられるようになればいいなと思うが、困難すぎて実現はできない。個人が努力して権利を拡張し、利益を得られる世の中にいて、自分自身も少なからずその恩恵にあずかっているし、今の立ち位置を放棄して社会に奉仕するということもできない。そういう人がほとんどだと思う。

SNSで目にする民主主義的な「活動」の大半は「われわれの苦しみを知れ」で、これの行き着く先は結局超個人主義だと思っているから、うーん、平等ってなんなんだろうな。自由とは……。

特に結論とかはない。

一日遅れで今年もまた一年の無事を祝う

昨日は一日仕事をしたりなんだりでブログを更新するのを完全に忘れていたが、毎月4記事ずつくらい書くようになってから思ったのは、毎日3000字ボリュームの内容があるわけでもなく、数日前に記事を書いていればひねり出さないかぎり書くことがない、という気付きで、日記を続けるのなら400字程度で続けるのがよかろう。紙の日記帳に書くならそれでもまだ多いのではないかとも思う。

昨年からの一年の振り返りとしてはそれなり書くことがある。
幻葬再演を完結させ、サークルとしては明確に終わりのあるゲームをはじめて世に出すことが出来た。サークルを作ってからずいぶんかかってしまったが、よかった。まだ小さいものを出せそうなので夏には出したいと思っている。進捗がないまま5月も終わろうとしているが、まあなんとかやっていきたい。

競馬は一昨年の菊花賞以来継続的に見ている。昨年の2歳秋の重賞の頃から応援しているソダシやユーバーレーベンが今活躍しているのを見るのは嬉しいし、今年もこれから新馬がはじまって、来年のクラシック候補が出てくるかもしれない。楽しみが多い。

コロナ禍で外出機会が減って運動不足気味で、体力は確実に落ちているし、それに起因する体調不良も増えた。真面目に運動するようにしないと来年無事を祝えるかどうか、という危機感はあるが、きょうもこうして雨が降っており、外に出るのは億劫だなあとなる。散歩くらいは続けたい。

ツクールMZのプラグインを作るにあたってTypeScriptの型定義を自分で用意しようとかいろいろやろうとしたが、途中で面倒になって投げ出して10ヶ月、他の人が型定義を用意してくれてたりしてて、それ使えばいいかなと思わなくもないが、importしないと使えなかったりで、これだとあまり便利ではないよなと思ったりするし、厳密でもない。ツクールのプリセットのクラスなどはグローバルに暴露されているので、importしようがしまいが型が存在する。しかしimportして使うとなると、importしていないがツクールにはすでに存在する型とプラグイン内であらたに定義した型が衝突していても、エディタはなんのエラーも返さない。これが望むものだとは思えないから、d.tsファイルとして用意して読み込んだらグローバルに定義されるほうが正しい。

ツクールのプラグイン開発ってJSは使っているもののフロントエンドの知見がそのまま適用できる世界ではないと思っていて、とはいえフロントエンドの知見で改善すべき点も多いなとも思う。ツクールMVのプラグインを書くときは自前のビルドシステムを使っているのだが、それを先日再構築した。Lerna+TypeScriptという構成から、Yarn Workspace+rollup.jsという構成に変えた。rollup.jsはIIFE形式の出力に対応していて、ツクールのプラグインに最適な形だと思う。ESNextの時代だからなんでもかんでもESNextスタイルでやればいいというのは違うと思っている。

ティラノスクリプトプラグインも基本的にはこれと同じ考え方でよいと思う。KAGというオブジェクト内に閉じてはいるが、KAG自体はグローバルに定義されている。プラグインはIIFE形式で書いて、IIFE内に処理を記述して、IIFE内でKAGオブジェクトのプロパティにセットするというのを基本にしたほうがいい。

ティラノスクリプトプラグインもTypeScriptで書けたいが、ティラノスクリプトの型定義は今のところないと思うので、やるとなると自分でやらないといけなくてちょっと気が重い。

JSが書けるとティラノスクリプトもツクールもSRPGスタジオも全部JSでいけると思いきや、ティラノスクリプトの描画はDOM、ツクールはWebGLSRPGスタジオはJSエンジンが違う、というのもあって、JSだから何でもOKという感じはない。ないが、ビルドシステムの考え方は基本的にTypeScriptやESNextで書いてIIFEで吐き出すという流れになるので、ビルドシステムの上では同じように開発できると思う。いまのところSRPGスタジオはあんまり考えていないが、そういうこともできるなと。

作る側の話をしてきたが、遊ぶ側の話も少し触れておきたい。
死神教団は買ってない。死神娼館よりはコンセプトは明確そうだが、体験版をやったかぎりでは、SLGパートは領地貴族をやるほうがたぶん面白いと思う。ガワはキャラっぽさを意識してるんだけどなんかいつもズレてる感じがする。
領地貴族今やってもけっこう面白く、これでもうちょっと作り込みに深みがあればと思うが、開発期間をいたずらに伸ばしてもとも思うし、難しいところがある。
ソフトハウスキャラはもう解散してしまったが、メインプログラマの方はゲーム開発は続けていく、チームを作ってやっていくということとのことで、今後の活動を楽しみにしている。ソフトハウスキャラ以外の形であってもイズムが続いていくことはうれしい。

7センチのぞんびっ娘アイランドは南国ドミニオンっぽい雰囲気のゲームだったが、これはけっこうキャラっぽいイズムを感じていて、エッセンスを理解して作ってるなと思った。夏に出る予定の私を育てなさい!はウィザクラっぽく、体験版を触った感じはけっこうよかったので楽しみにしている。

同人ゲーム界隈でキャラっぽいエッセンスを感じられるゲームが出てくるのはうれしいが、それは俺も作りたいと思っていたし、作っていきたいと思う。

星詠みの神託も楽しみ。

と、ひねり出せば書けることはあるなというくらいのボリュームになったところで今日の話は終わり。

また一年無事に過ごせるようにやっていきたい。