2ch の凋落と、かつての 2ch 民の Twitter に対するバカッターなる揶揄を思い返すに、結果論にすぎないけれど、いまにしてみればなかなかに示唆的だったように思う。
「インターネットは八つ当たりの場所ではありません」
そう思っているし、そうであってほしいと思っているけれど、実態として、2ch 以前からインターネットは八つ当たりの場所としても使われており、これからもそうだろうと思っている。
2chが八つ当たりの場所だった頃はまだよかったと思うものの、よく考えるまでもなく個人の掲示板やチャットルームが八つ当たりの場所になる時代でもあったので、2ch が何か機能していたかというと別にしていない。個人サイトが個人ブログに移行してコメントフォームが八つ当たりの場所になり、レビューサイトや SNS が八つ当たりの場所になり、やがて Twitter が巨大なインフラじみたサービスへと成長すると、八つ当たりは Twitter に集約されるようになった。依然として Amazon や AppStore や Google Play Store のレビューは八つ当たり場所であるし、そうでない多くのレビューサイトもだいたいずっと八つ当たり場所のままである。
人口が減った場所ほど治安がよい。八つ当たりしたい人間は自身の感情のぶつけ先として、人の目につくところを選ぶ。このブログもまた読まれることを意識しているし、情報を発信する行為は、おおよそ見られることに自覚的である。
逆説的に、インターネット上の八つ当たりは、人に見られない場所ではあまり行われない。
人のいない掲示板を荒らしてもしょうがない。人が見ているからこそ荒らす意味がある。
Twitter に集約されていくのも自然な流れで、そうなると Twitter という場所がひどく居心地の悪い空間になっていく。
べつにわたしは他人に八つ当たりされたくてインターネットをやっているわけではないのだけど……?
という、愚痴を書き残しておく。これは見られることに自覚的な愚痴であるので、お目汚しになることも承知の上なんだけど、人に見られるところでなければすっきりしないものがあるのも事実で、だから Twitter が愚痴集約プラットフォームとして成長したんだよなという強い納得がある。
特にオチはない。