dlsite に通行審査官になって身体審査するゲームがあるらしい

これやりました。Steam でヒットした関所番になって通行証や各種書類の日付とか写真とか名前とか正規に発行されたものかどうかチェックして通行を許可したり不許可したりするゲームのオマージュ作品で、身体検査で通行志願者の体を撫で回したり武器所持確認で服脱がしたりできます。相手の性別にかかわらず。身体検査なんだから当たり前だよなあ?

関所番アクションの出来はよく、とはいえおさわりゲームでもあるのでおさわりしたいというときに邪魔にならない程度にはやさしめになっていると思います。ノーマルモードでも真面目に働いて給料でアイテム買えばスムーズにクリアできるくらいの難易度。それでも難しいっていう人はイージーモードがあります。

よかったところ

関所番の仕事はステージを追うごとに複雑になっていきますが、ここの学習カーブはわりと緩やかで、真面目に働いていれば「関所番完全に理解した」という状態で次のステージに進めるようになっています。逆に言うともうこのステージはわかったから先に行かせてほしいと思ってもノルマを達成するまで次のステージには行けないので、残ノルマはやや作業じみてしまうところがあり、ここの加減は難しくはあります。
とはいえストーリーがちゃんと面白いのでゲームを進行させるモチベーションがしっかりあるのと、多少の作業感は通行志願者のケツを叩いたりしていれば紛れる感じ。

一枚絵を使ったイベントシーンは少ないですが、この手のゲームって一枚絵を使ったイベントシーンよりむしろ立ち絵をなでまわすほうがえっちなのでイベントの少なさがボリューム不足を感じさせたりは全然ないですね。各シーンそれ自体のボリュームは充分あり、しっかりキャラクターを掘り下げてくれるので、これはこれでえっちでよかったです。イベントシーンの前後でおさわりにたいするリアクションの意味が変わってしまうのめちゃくちゃいいですね。よくできてる。

よくなかったところ

前述のノルマ達成するまでだれてしまうところ以外の不満はあまりないんですが、欲をいうと身体検査に対するフィードバックがもうちょっと厚いと嬉しい。具体的には通行許可・不許可時のリアクションがもうちょっと審査の内容に絡んでてほしい。 v1.08 のアップデートで書類に不備があるときに通行許可を頼み込んでくるようになり、身体検査のストレスが緩和されたり、頼み込み後の許可・不許可のリアクションに変化がつくようになったんですが、これもうちょっと踏み込んでほしいと思ってて、身体検査で好き放題した後のリアクションが「……」固定なのが不満で、さんざん身体検査したあげく通行を不許可にされた志願者の最高のリアクションってやつを見たいんだ俺は、ってなる、なった。
書類に不備のある志願者が通行許可を頼み込んでくるようになったのはめちゃくちゃいいアップデートだと思うので、この調子で、通行審査に対するフィードバックをより一層厚くしてほしい。
あとは贅沢なのぞみだとわかってるんですが行為に対するリアクションのエスカレーションがもうちょっとあってほしい。キャラクターがランダムなので一期一会になってしまうというゲームシステムなのでどうしてもあっさりしてしまう、そこをなんとかできたら今1億点なんですけど5000兆点のゲームになると思ってます。

あと関係ない話ですが Papers, Please がサマーセールで安くなってるのでまだやったことない人はこれを機に買いましょう。

store.steampowered.com

こちらからは以上です。

RPGのシナリオはご都合主義でよい

RPGは近年ストーリーにも重点が置かれるようになって久しいけれど、そうなってくるとストーリーの良し悪しに軸を置いた批評が増えるのも道理で、批判点として話がご都合主義的であるというのもまま目にする。

ご都合主義が指す範囲はとても広いので一概には言えないものの、RPGのストーリーがプレイヤーにとって都合の良い展開であることはある種必然ではある。

なぜか。

プレイヤーの努力に反してプレイヤーの都合の悪い展開になると、ゲームの体験に反するから。

しかしこれは微妙な話ではある。たとえば、局所的な戦術的勝利が戦略的勝利につながるとはかぎらないけれど、ゲームは基本的には英雄の局所的な戦術的勝利の積み重ねによって描かれる。ので、それだけを描いて大団円エンドになるのは確かに都合がよすぎるという話にはなる。しかしとはいえ戦略的勝利をどう導くかという話になるとそれはもうRPGの範疇を超えてしまう。別の視点を以て説明的描写を差し込む以上の方法はない。そしてこの説明でさえ、ご都合主義的と言われてしまう。だからといって、じゃあうまくいかない話にすればいいか?というと、それではなんのためにプレイヤーが戦術的勝利のために努力をするのか?という話になるだろう。プレイヤーの行いにかかわらずゲームの結末が悪いものに固定されているのだとしたら、もはやRPGである必要はない。ノベルゲームでもなんでもいい。

まで勢いで書いて飽きたんだけど特にこの後の展開考えてないので凪いだ水面に一石投じた気持ちに浸ったままいつもの一言で終わります。

こちらからは以上です。

Northgard 感想

プレイ時間は現時点で50時間くらい。ストーリーモードはノーマルで全チャプター隠し目標込みでクリア、シングルは全クランで一応1回ずつは勝利、くらいの感じ。NPC4人以上ではまだ勝ったことない。

いいところ

ストーリーモードがよくできてるのでまずはストーリーモードをやってほしい。 チャプターが進むにつれてゲームのメカニクスが少しずつ解放されていくので、ノーマルモードは実質チュートリアルとして機能している。最初の2章までは敵対クランがいないので内政しながら中立敵倒して拡大再生産するのを覚えられる。 以降は操作するクランが変わったり選べるようになったりするので、ストーリーモードを終える頃には各クランの使い勝手がだいたいわかっているという状態になる。
章ごとにクリア条件も異なっていて、クリア条件にあわせてあたらしいクランが登場したりする。たとえば5章は初登場の Wolf クランを操作して、建築禁止で期間内に敵拠点を制圧するというものになっている。Goat クランのときは食糧生産者として使えた羊ユニットは、この章では緊急時用の食糧として使うことになる。羊ユニットの使い方がクランや戦術・戦略によって変わるという気付きが得られるようになっている。
各章のクリア条件やギミックそれ自体が単体のゲームとしてちゃんと面白くできているので、最後までだれることなくプレイできた。

一方シングルモードだが、クランの種類が多く登場し勝利条件も多様で、クラン毎に異なる戦術・戦略が求められるので、リプレイ性は高い。マップがランダムであるだけでなく、クランが複数いる、勝利条件が複数ある、ということがちゃんと効いていると思う。
シングルではストーリーモードにない要素として軍事技能があって、敵を撃破したときに軍事経験値を得られる。500貯めると戦術家、守護者、征服者から一つ軍事系統を選んで、その系統の技能を獲得することができる。
また、シングルモードでは鍛冶場でレリックが作れるようになっている。クランごとに固有のレリックが一種用意されているので、これもクランの個性を出すのに一役買っている。
ストーリーモードにはなかった軍事ユニットの Skirmisher が使える。中立エリアを通過できる安めの攻撃ユニットで、Warrior と同じ攻撃力で市民と同じ防御力とちょっとやわらかい。中立エリアを通過できることを活かして序盤の拡張が充分でない時期に相手の食糧生産地を襲撃したりということができて面白いかもしれない。 という感じでストーリーモードとはプレイ感覚が変わる。1プレイ1~2時間くらいなので気軽に遊べるのもよい。

よくないところ

クランのパワーバランスが偏りすぎでは?という印象。CPU が使ってきて「○ね」と悪態をつきがちなのが Wolf と Raven で、しいてあげるならあとひとつは Boar クラン。他のクランに対しては特に何も感情が起きない。これはスキルが内政向きだからだとは思うが、Fame 稼ぎに強い Stag の Fame を驚異と感じることはあまりないし、Goat も Commercial Influence が Raven と競ってるところを見たことない気がする。Boar クランはレリックが発動したときに「Boar おったんかワレ」と思い出す程度で、これもあんまり存在感がない。Lore の貯まりが早かった気はするが……。
Wolf と Raven が強いというよりはクラン固有のスキルがプレイヤーに向かってきたときに目に付きやすいだけだとは思うんだけど、実際のところ CPU に先に勝利条件を達成されたパターンが Raven による Commercial Influence 2000到達での負けで、これが一番どうしようもない。
Domination 勝利は Wolf じゃないとほぼ無理だと思うし、勝利条件は複数あるけどこのクラン専用の勝利条件、みたいな感じになってる気はする。これはでもそういうものだとは思う。一応マップごとの勝利条件があるので、そっちの達成を競い合う感じになると楽しい。CPU 戦ではヘルヘイム制圧以外にそういう状況になったことがほとんどないので、CPU はもっとマップ固有の勝利条件目指して頑張ってほしい。特に Stag とかそのへんのクラン。

ストーリーモード、概ねよいんだけど、隠しミッションの達成のために同じマップをもう一回やらないといけない。これがわりとだるい。資源が貯まるのを見てる時間が長い。ストーリーモードはマップ固定なので一回やるとギミックもわかってしまうしプレイの幅がない。後半の章はクランを選べるのでクランごとに遊び方が変わる……かというとそんなことはあんまりない。まあ隠しミッション埋めたらもうやらなくていいかなという感じ。Extreme モードは手応えがあるようなので挑戦してみてもよいかなとは思うんだけど、最終章を Extreme でやるのはだるそうだなあみたいなのがやる前からぼんやりわかるので気が進まない。
実績があると実績埋めのためにプレイしそうになるけど、実績埋めるのが目標のプレイはゲームの根本的なモチベーションを壊すので実績のことはあんまり考えないほうがよい。

これは私見だけど、理想的なゲームの実績システムは、自分がどれくらいそのゲームを遊んできたのかがマイルストーンとしてわかるもの、だと思っている。このゲームの実績は、実績が埋まったからプレイヤーがそのゲームにそれだけ習熟した、ということを示すものには、あんまりなってるようには見えない。
実績システムは別にあってもなくてもいいものなので、実績の出来が優れていないことがこのゲームのよくないところだとは思わない。実績に追われるようなプレイをすると本末転倒なので気にしないほうがいいくらいの出来の実績システムという感じ。

判断できないところ

クランのパワーバランス、実はチーム戦で評価変わるのでは?と思っている。Raven と Wolf が組んだら「○ね」とかいう汚い言葉が口をついて出るかもしれないが、他のクランと協力して Raven と Wolf の連合を下せたらめっちゃ気持ちいいと思う。まだマルチやってないので、もしかするとマルチ前提のクランのデザインだったりするのかもしれないなあということを思う。
シングル向きのゲームはマルチ向きの面白さを両立できないがちだし、その逆もしかりなんだけど、このゲームがマルチ向きの面白さを目指してるんだったら、シングルでの不満はだいたいしょうがないものかもなあという感じで、逆に言えばマルチ向きに作った上でストーリーモードがちゃんと遊べるものになってるっていうのは評価できる点だと思う。

個人的にはストーリーモードだけでも3000円分遊べたと思っているので、セールで半額なら、RTS ファンは特に迷うことなく買えるゲームだと思います。ストーリーモードの丁寧な作りは RTS 初心者でも楽しめると思うので、これで入門してもいいかも。

こちらからは以上です。

盾の勇者の成り上がり

Web 版既読、書籍版未読、アニメは次が最終回かな。そういうタイミングなので、アニメを踏まえた感想を書き残しておく。

書籍化にあたって Web 版からけっこう加筆されていて、Web 版では名前しか出てきてないキャラなんかも書籍版ではシーンごと追加、あわせて展開も変わってるらしい。読んでないのでわからないんだけど、アニメ版はここまで見た感じ書籍版ベースっぽく、Web 版から構成が結構変わっているようだった。個人的にはアニメ版はよくまとまっていると思っていて、たぶん書籍からもさらにアニメ化しやすいように構成が変わってるんじゃないかと思う。特に終盤。

三勇教のあたりは制作スケジュールの都合もたぶんにあったんじゃないかと思うけど、ちょっと引き伸ばし気味で、戦闘シーンも前半1クールと比べてテンポがよくなかった。不満はそのへんくらいで全体的によくまとまっていたし大事なシーンを丁寧に描いてくれてたし、この出来で二期といわず完結までアニメやってほしいなーと思うんだけど、MFはリゼロの二期、八男、無職転生とアニメ化の企画がたくさんあるので大変そう。がんばってほしい。八男はともかく無職転生の完結までアニメ化とか言い出したら10年はかかるんじゃないのか。まあでもがんばってくれよな。

盾の勇者の成り上がりでいいなと思ったのは Web 版と書籍版とアニメ版でそれぞれ展開に違いがあったとして、どれが正史かどうかということを気にしなくていいようになっている。
Web 版を最後まで読んだらわかるし、勘のいい人は槍の勇者のやり直しの存在でなんとなく察せると思うんだけど、物語がパラレルに展開することが許容される話の作りになってるので、槍の勇者のやり直しみたいな話が生きるし、メディアによって展開が変わっても「アニメ版はそういう話を辿るのね」と納得できる。
これ、メディアミックスによって各メディアに適した形に構成を変えたほうがいい、あるいは変えざるをえない状況で出せるひとつの正解なんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。
もちろんあらゆる作品に通じるやり方ではないんだけど、原作至上主義に対するひとつの回答として、こういうメディアミックスが成立する原作のあり方っていうがのあるよ、とは言えるかもしれない。

そんなことを思ったよ、という話。 こちらからは以上です。

アプリケーションフレームワークは何をしてくれるものなのか

あらためてアプリケーションフレームワークのことを考えている。フレームワークてふんわりした言葉で、まあでもだいたいあれとかそれとかのことをフレームワークって呼ぶ。

ぼくがはじめてフレームワークをがっつり触ったのは携帯電話の組み込みアプリケーションを開発する仕事をしていた時期で、携帯電話の組み込みアプリケーション用の UI フレームワークを使ったりしていた。Symbian OS という携帯電話向けの OS だったので OS 提供のフレームワークだったわけなんだけど、これはどこまでが OS 提供の機構でどこからがアプリケーションフレームワークなのか曖昧だった。
たとえば VC++ でも MFCフレームワークだけどクラスライブラリでもあり、文字列や可変長配列みたいな基本的なデータ構造のためのクラスも MFC が提供する。.NET Framework は名前からしフレームワークという名前だけど、これだって C#VM 込みのもので、じゃあフレームワークってなんやねん、となる。

Ruby on Railsウェブアプリケーションフレームワークの代表だけど、その内訳はけっこう込み入っている。
Rails 以降ウェブアプリケーションフレームワークっていう言葉が Rails みたいなものみたいな感じになってしまったけど、Rails を触っていると Symbian OS のどこからが OS 提供の機構でどこからがアプリケーションフレームワークなのかわからない、というのを思い出す。
Active Support は Ruby のコア機能を拡張するので Rails から入った Ruby プログラマはある機能が Active Support 提供なのか Ruby の標準添付ライブラリのものなのか判然としないという話も聞く。

別にウェブアプリケーションフレームワークは ORM を備えていなくてもいいし、テンプレート機構を備えていなくてもいいし、ルーティング機構を備えていなくてもいいし、HTTP サーバ機能を備えていなくてもいいし、クラスライブラリを備えていなくてもいい。それらはそれぞれ別の互いに独立したライブラリをプログラマが自由に組み合わせて実現してもかまわなく、実際ウェブフロントエンドではそうなっている。React と Next.js のようにあるフレームワークをラップして別の機能と結合したフレームワークというのも存在するが、だからといって React はフレームワークとしては不足しているということにはならないし、 Next.js がフレームワークとしてのあるべき姿ということにもならない。

現実の問題において、完全に同一な対処が可能なものは存在しないと思っている。現実の問題を細分化してみるとよくあるケースとして分類できるようになるのであって、現実の問題それ自体はよくあるケースの集合体であって、その集合が同一の問題というのは存在しない、ということである。

だからよくあるケースを広くカバーするフルスタックフレームワークというのが求められるのはそうだし、実際それでカバーできてきたわけだけど、だんだんとそれも無理になってきたんじゃないの、と思っている。

よくあるケースをフレームワークがカバーしてくれるので一番解決したい本質的な問題に注力できてうれしい。本当にそうなっていますか?
よくあるケースをカバーするためにフレームワークが無理している部分に忖度して、やり方を捻じ曲げないと解決したい事象に向き合えないことが実際には起こっていて、いっそもうフレームワーク捨てたほうがいいんじゃない?みたいなことを考えて正気に戻るということを繰り返す。自分の足を撃ちたいとか言い出してしまう。

現実の問題のよくあるケース単位でマイクロサービスで解決してプログラマがそれを組み立てる、というやり方なら、その組み立てのコストはかかるけど、そのかわりにやりたいことのために鋳型から直さないといけないみたいなことは回避できる。

解決すべき現実の問題は年々多様化しているので、単一のすごいフレームワークがそれを解決してくれるようになることはおそらくもうないんじゃないかな、と思うし、Protocol Buffers だったり Web Component だったりが普及した未来においては、フレームワークがそれらを肩代わりするために独自のライブラリを使わなくなって、標準化された技術の集合になっていったりするかもしれない、と思っているし、ウェブフロントエンドでは、わりとそうなりつつあるんじゃないかと思っている。だって、ある言語の処理系自体のサポートが手厚かったら、究極、クラスライブラリなんていらんもんね。

ジェネリックなテキスト SLG エンジンがほしい

erakanon っていう Kanon の成人向け二次創作ゲームがあって、これのゲームエンジンが eramaker なんだけど、eramaker は erakanon っぽいゲームに限らずテキスト SLG を作るためのゲームエンジンとしてよくまとまってると思う。機能不足な感はあるんだけど、Emuera っていう C# 版の eramaker 互換エンジンは文法が拡張されてて自由度が上がってて、これ本当に eramaker なの?みたいなゲームも少なからずある。

テキスト SLG を作るのはプリミティブなゲームのルールを組み立てるいい練習になると思っていて、たとえばプリンセスメーカーみたいな育成 SLG のプロトタイピングをするなら、娘のグラフィックのことを考える前にまずはコマンドとパラメータから作るべきなんだけど、コマンドとパラメータを作るところからはじめられるゲームエンジンってそれ eramaker じゃんと思っている。

eramaker 出自が出自なのでおおっぴらにすることがはばかられるというか、eramaker コミュニティがおおっぴらにすることを望まない文化で、それはもっともなことだと思うのでそれでいいんだけど、それはそれとしても汎用的なテキスト SLG が作れるゲームエンジンはほしい。

DXRuby で野メイドっていうプロトタイプを作ったのはジェネリックなテキスト SLGゲームエンジンがほしかったからで、これはそこそこうまくできたけど、もうちょっとうまく作りたい、という気持ちがある。

野メイドは DXOpal に移植するのたぶんむずかしくて、Opal.js が Fiber に対応してないからなんだけど、Opal.js が Fiber に対応するのはまあ無理そうだなという感じ。野メイドは RubyDSL でゲーム部分を記述できるのがいいところなので、Ruby 以外で実装するのは多分無理で、さもなくばパーサを書いてスクリプト言語作ることになる。BASIC くらいのパーサは書けるんだけど、パースして AST 組んでそのあとインタプリタ組むのは割と骨で、内部 DSL のいいところはインタプリタは本体の言語に丸投げできるところだよねって思う。

話が逸れたけど、今わりとリッチな表現を手軽に作れる環境は揃ってると思うけど、もっとプリミティブなゲームのロジックについて集中的に考えて作れるゲームエンジンっていうのはあんまりないような気がして、そういう訓練に一番向いてるのってたとえばボードゲームだったりするんだよね。ただボードゲームコンポーネントが物理的に制約されるので、クリッカーゲームみたいな無限に数字がインフレするゲームみたいなのは作れない。もっとも生の数字を扱わなければ単にレベルの表現にすぎないので掘っ立て小屋からはじまってスペースコロニー建てたり次元ポート建てたりみたいなところまでいくようなデザインにすることはでき、そのほうが抽象的なゲームデザインができるとは思う。それはそれとして数字が増えていくのを眺めるゲームはやりたくて、そうなるとやっぱりジェネリックなテキスト SLG エンジンがほしいので、ないものは……作るか!ということを思っている。思うだけでは作れないんだけど。

雑メモ

売上は初動が肝心なので最初の週にみんな買ってね、という話をよく目にするんだけど、まず、ファン目線でなるほどじゃあ応援しようってなって初週のうちに買ったり RT に協力したりっていうことをやったとして、ファンでない人間はファンのそのような行動に対してそれほど信頼性を感じられないので、ファンからの PR はファン以外にはたいてい刺さらない。
ファン以外の人間は初週に買ってくれと言われても大変そうやねとなるだけなのでやっぱり刺さらない。

これ初動に頼った販売戦略がそもそも間違ってる気がする。

忘れた頃に「そういえばこの作品よかったです」みたいな話をするほうが初動の宣伝よりもファン以外の人間にとって信頼性が高く感じられるのではないかと思っている。偶然発見したものがよかったというストーリーからは宣伝ぽさを感じないので。宣伝ぽさを感じた時点で宣伝なんだなってなってしまう。

逆に初動で宣伝ぽくない動きをすると刺さるみたいな話があって炎上商法がその類型なんだけど、焼くと燃え殻しか残らないので焼かない方向で考えると、たとえばお金のない人間が何かをほしいものがあったときに、買わない理由探しをはじめる。買わない理由が充分だったら財布の紐を締めておしまい。不幸にも買わない理由が不充分だと気付くと人間がそれがほしくてしょうがなくなるので買うことになる。批判的なレビューには功罪あって罪ばっかりではなくて、基本的にプロモーションはいいことしか言わないので批判的なレビューを見てバランスを取りに行くんだけどその批判がプロモーションの補強をしてくれるみたいなケースがある。Amazon や AppStore の中身のない低評価レビューは批判の筋が通ってないのでかえってコンテンツに対する否定的な態度をやわらげる効果がある。「そのくらいの否定的な内容だったら許容範囲だな」とか「よいと感じている人間はよいことを表明しないからな」みたいなことを勝手に考えはじめる。

中身のない批判的なレビューを自分自身で行うスパムが流行ったりすると尺度として使えなくなる。でもそんなことある? そんなことは当分は起こらないと思ってる。