普段食べている野菜は意外とあたらしい

次のうち、平安時代よりも前には日本に存在しなかった野菜はどれでしょう。

  • ヤマイモ
  • ネギ
  • カブ
  • ニンジン

正解はニンジンです。今日ふだん食べているニンジンはヨーロッパ品種で江戸時代末期に伝わったものです。意外とあたらしいですね。ちなみに京野菜で知られる金時人参は東洋品種で、こちらは16世紀に中国から伝わっています。当時はニンジンではなく「胡蘿蔔(こらふ、こらふく)」と呼んでいました。ニンジンという名前は朝鮮人参の伝来以降で、もともとは朝鮮人参のことをニンジンと呼んでいたのが、後に見た目が似ていることからニンジンを芹人参と呼ぶようになって、やがて人参といえば今日のニンジンを指すようになっていきます。

ヤマイモ、ネギ、カブはいずれも和語です。名前が和語のものは古くからあったものである可能性が高いです。和語だから必ずしも日本に古くからある、漢語だから必ずしも日本に古くからない、とは限らないのですが、一つの目安になります。

  • ダイコン
  • ショウガ
  • タマネギ
  • ナガイモ

これは逆の例です。ダイコンは別名を「すずしろ」といいますし、そもそものダイコンも「おおね」の漢語読みに由来します。ショウガは古くはサンショウとともに「はじかみ」と呼んでいました。今は漢語で呼んでいても、むかしはそうでなかったものというものもあるわけです。一方、タマネギやナガイモは、玉のようなネギだからタマネギ、長いイモだからナガイモ、ということで、日本に古来からあるものになぞらえて名前がついているにすぎず、このような複合語については和語だから昔から日本にある、と断定することはできません。イモでいえば、サトイモとヤマイモだけが古くから日本にあったものになります。

さて、複合語でない和語ならおおよそ日本に古くからあったと考えてよさそうです。どれくらいあるでしょうか。

  • いも(サトイモ、ヤマイモ)
  • ねぎ
  • かぶ / すずな
  • おおね / すずしろ
  • ショウガ / サンショウ(=はじかみ)
  • せり
  • にら
  • うり
  • ふき
  • うど
  • わさび
  • たで

「うど」や「たで」がぱっと出てきた人はなかなか食材に詳しい人です。これ以上出てくる人は相当に詳しい人です。複合語としては「みつば」「あさつき」などがあります。語源不詳ながら、「くわい」も和語と考えていいでしょう。

さて、思ったよりずいぶん少ないと思いませんか。「ふき」などは日常的によく食べるというほどのものではないです。「うり」はマクワウリのことを指します。食べたことがないという人も少なくないでしょう。ふだんよく目にするのはネギ、カブ、ダイコン、ニラ、ショウガ、サンショウ、ワサビくらいです。セリはもはや野菜というよりは野草という印象さえあります。

逆に、よく使う野菜を思い浮かべてみてください。ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、トマト、ピーマン、アスパラガス、サツマイモ、カボチャ、ホウレンソウ、キャベツ、ハクサイ、インゲン……いくらでもあげられるのでこのあたりにしておきますが、今挙げたような野菜は15世紀以降に日本に入ってきたものです。

上に挙げなかった野菜にはゴボウ、キュウリ、ナス、エンドウなどがあります。ゴボウは古代に、それ以外は平安時代までに日本に入ってきたものです。

レタスは、結球種でないものが奈良時代にチシャとして入ってきています。今日もカキヂシャとして食べているものです。結球種のレタスはもちろん江戸時代以降の伝来です。

江戸時代の初期からあるような野菜は、日本の伝統的な野菜と考えても差し支えないと思いますが、たとえばハクサイを食べるようになったのは明治時代からということなので、思ったより歴史の浅い食べ物です。まあ肉じゃがだってすき焼きだってせいぜい100年程度の歴史しかないのですから、だいたいそのようなものなんですけどね。


さて、なんでまたこういう話をしたかというと、ある時期に日本に入ってきたかきていないかだけで食べる機会のあるなしが決定されているなあ、と思ったからなんですが、たとえば、カボチャというと、ふつう皮が緑色のあのカボチャしか食べません。ところがハロウィンになると、皮がオレンジ色のカボチャを模したディスプレイを至るところで目にします。ほとんど食べる機会がないのに! ズッキーニは最近よくスーパーなどで見かけるようになりました。これだってほんの二十年前にはとてもめずらしい野菜だったわけです。

スウェーデンカブ、あるいはルタバガという種のカブがありまして、これはヨーロッパでは割と日常的に食べられているそうなのですが、日本ではほとんど見かけることがありません。日本にまったく伝わっていないかというと実は伝わってはきたのですが、受け入れられなかったので定着せず、飼料用くらいにしかならなかったようです。

思ったより食べたことないものが多いですね。

そう思ったので、日本で食べられないか、通販サイトなんかを見てみたことがあります。けっこう値段がするのと、時期を外すとまったく手に入らなくなる、という感じで、当時は諦めました。最近になって、「そういえばレストラン締まってるんだからレストラン向けの食材が市場に出回ったりする可能性あるな?」と思って、あらためて見てみると、ふつうに在庫がある!

で、先月試しにルタバガを買い、この間はゴールデンビーツ、パースニップ、根セロリフェンネル、リーキを買いました。ルタバガとゴールデンビーツ、フェンネルは試食済みで、根セロリ、パースニップ、リーキはまだ食べてないので、ぜんぶ一通り食べたら感想でも書こうと思っています。

フェンネルは葉っぱでもフェンネルシードでもなく、鱗茎の部分です。フィノッキオと呼んだりもする。

他にもいくつか買おうと思ったんですが、たとえばカーボロネロとかロマネスコは、いずれもキャベツ、ブロッコリーで味を想像しやすかったのと、わりとこのへんは手に入れやすいのでまた今度、という感じに。
アーティチョークは食べるのがめちゃくちゃ大変な上、可食部が少ないということが既知だったので、パスしました。たぶん生のアーティチョーク買うより瓶詰めとか買ったほうが楽ですね。

ということで、今なら変な野菜買えるのでみんなも買ってみてね。

こちらからは以上です。

ソフトハウスキャラのゲームの話

ソフトハウスキャラっていうメーカーはちょっと変わったゲームシステムのSLGを作っているメーカーで、毎回実験作を投入してくる。実験作なので面白いこともあれば面白くないこともあり、たとえばDAISOUNANなんかは結構大きく不満が発生したりした。

DAISOUNAN の思い出

DAISOUNANは未開惑星に不時着したおっさん二人とたくさんの美少女と主人公がなんとか惑星脱出のためにサバイバルするというSLGで、マップを移動しながら資源を集めたり女の子と話したりしながらゲームを進めていく。この女の子と話すのが曲者で、女の子がいるマスに向かって移動しようとするんだけど、女の子も同時に移動しようとする。どの方向に向かって移動しようとするのかわからないので、女の子と同じマスに入れる確率は単純計算では4分の1になる。これを繰り返して女の子との仲を深めていくことになり……正気か?となった。

パッチである程度遊べるようにはなったものの、前述の女の子の移動含め、とにかく乱数が悪さをするタイプのゲームで、SLGというよりはくじ引き、という感じになってしまっていた。もっとも、DAISOUNANは南国ドミニオンのブラッシュアップ作品なので、実験作枠に入れるのが正しいのかどうかはわからない。ただちょっと冒険した作品ではあった。

紅村かる氏をメイン原画に採用したのもけっこう冒険で、賛否両論、絵がいいというユーザもいれば違和感があるというユーザもいた。特にスレでは不評だったと記憶してるんだけど、BUNNYBLACKで再起用されて以後二枚看板として定着したことを思うと、結果論ながら先見の明があったんじゃないかという気はする。当時のエロゲ市場の流行ではなかったのは確かにそうだとは思うんだけど、ラノベの表紙なんか見てると既に「~系」というカテゴライズが難しいくらいに多様化していっていたので。かる氏は今は成年コミックを描いてるんだけど、成年コミックだとぜんぜん浮いていないというか、時代が追いついたというか、人間の体がちゃんと人間の体になってるんだけど顔はほどよくデフォルメが効いているという絵柄、割とスタンダードっぽい。

個人的にはDAISOUNANの絵もイベントシーンもめちゃくちゃ好きだった。キャラクターもなんだかんだ好きだったと思う。素材集めのしんどさ、ヒロインと鬼ごっこするしんどさなどあれど、クリアしてみればいい思い出で、まあぜんぜんよくないんだけど、これで見限るメーカーでもないよなと思っていたので、こういうゲームもあるよねという感じだった。

DAISOUNANの後、忍流が出るんだけど、実は忍流のあとにDAISOUNANをプレイしている(他の過去作も忍流のあとにプレイしたものが多かった気がする、順番は覚えてない)ので、DAISOUNANの後にプレイした新作は BUNNYBLACK だった。

BUNNYBLACK の思い出

2010年代って実は2000年代ほどにはエロゲ市場縮小してなくて、2012年からは減少傾向が緩やかになってる。パッケージは確実に売れなくなってきてるんだけど、パッケージ買っても最近のPCにはディスクドライブないし、もうダウンロード版でいいよねという感じのユーザも増えてきてるんじゃないかと思う。

そんな2010年代にソフトハウスキャラ第二期を支えたのがBBだと思っていて、BBの後がソフトハウスキャラ第三期。第三期の話は後でするとしてBB1~3の話をする。

BBはソフトハウスキャラには珍しく普通のダンジョンRPGだった。当時は世界樹のヒットもあってダンジョンRPG自体が熱い時期だったのもあったし、出来も荒削りながらもよかった。後発の雪鬼屋がBBよりもずっとソフトハウスキャラらしいゲームでしかもこれまたよく出来ていたので、BBより雪鬼屋のほうが面白かったなとは思うんだけど、それでも続編が出ると決まったときは嬉しかったんだよな。

それででてきたのがBB2で、BB1の悪いところが更に悪くなったようなゲームだった。とにかくダンジョン探索がだるく、ゲームを進めるモチベーションを保つのがきつかった。実際途中でプレイをやめてBB3が出るまで放置していたまである。クリアしてみれば話はちゃんと面白かったんだけど、ダンジョンRPGとしての作り込みをもうちょっとなんとかできなかったのか、という気持ちが強い。その点はBB3でかなり改善されたんだけど、いまにして思うとキャラってそういうやり方をするメーカーではなかったですね。毎回実験作を作ってたのが、ダブル看板にして2プロジェクトを並走させて、片方では同じゲームシステムをベースにブラッシュアップして出して、もう片方では新しいゲームデザインを試行していく、というやり方を取るようになった。

BB3ではダンジョン部分を1や2よりはぐっと遊びやすくし、これにキャラらしいSLG要素を組み合わせてきた。シナリオに関しては、完結したのでよかったですねとは思うんだけど、もうちょっと丁寧にやってほしかったという気持ちもある。騎之助氏は作品を出す毎にテキストを書くスタミナが減っていっているのが目に見えてわかる感じがあり、BB2に出た門を守るお仕事、BB3と、野菜、悪魔娘……少しずつユーザーの不満が高まっていった時期だったと思う。

悪魔娘の看板料理の思い出

悪魔娘の看板料理は新規タイトルながら、DAISOUNAN が南ドミのブラッシュアップ、門を守るお仕事が巣ドラのブラッシュアップだったように、これはブラウン通りのブラッシュアップ作品と見ていい。雪鬼屋をグリンスヴァールの後継作と見るなら、雪鬼屋、BB2、門、BB3、アウトベジタブルズ、悪魔娘と、ここまでアウトベジタブルズ以外に新規の実験タイトルがない。今にして思うとこのへんから新規タイトルの企画がしんどくなってきてたのかもしれない、と思う。

悪魔娘自体はブラウン通りをかなり現代風に遊びやすくしたゲームで、今プレイしてもそれなりに楽しい。ただボリュームはないし、リプレイ性が高いゲームでもない。底が浅い、ということはよく言われていたんだけど、そんなにボリュームが重要か?という気はする。もちろんフルプライスなので、相応のボリュームが求められるのはわかる。もうちょっとレベルカーブを丁寧にしてほしかったという気持ちもある。シナリオも……まあ以前はもっとたくさん読めたなという感じだったんだけど。

手軽に遊べていいゲームだけど、これにフルプライスはきつい。たしかにね。今だとDL版がちょくちょく割引セールされているので、割引セールで買ってプレイしてみてほしい。

その古城に勇者砲あり!の思い出

さて、悪魔娘の後に勇者砲という作品が出た。かる氏が連投しているんだけど、今度は明確に別ラインでの新作、という形になって、ブランドもチーム++と銘打たれている。これはプログラムもシナリオも外注している。既存作のブラッシュアップをするなら内製じゃなくてもいい、という割り切りをしたというわけだ。これがよかったのかどうかは、ちょっとわからない。

ごく個人的には、勇者砲は、チーム++であって従来のキャラではないな、という印象で、キャラっぽいゲームシステムでキャラっぽい世界観なんだけど、ゲームデザインがキャラっぽくないし、シナリオも騎之助節が効いてない。面白かったけど、自分の好きだったキャラのゲームとは違う、まあこのラインでもゲームが出るのは嬉しいのでいいんだけど、物足りなさは正直感じていた。ボリュームに劣る悪魔娘のほうが、個人的にはずっとキャラらしくて好きだったのだ。

しかし個人の気持ちがどうあれ、悪魔娘は一般的には不評で、勇者砲はそこそこ好評だった。うーむ。

あ、でもエッチシーンの尺が伸びたのはよかったと思ってる。そこが一番大きな不満だったんじゃないかな。でもなー、やっぱり俺様和姦レイプが見たかったんだよな……。

チーム++はこの後呪いの魔剣、大樹と二本出してて、呪いの魔剣はウィザクラのブラッシュアップ作品、大樹は勇者砲ベースで侵攻型にアレンジ、と、どちらもちゃんと遊べるゲームになっていた。ソフトハウスキャラは解散しちゃったけど、これくらいの出来でゲームがコンスタントに出てきてほしかった。

プラネットドラゴン、領地貴族はそこそこに面白く、どっちもボードゲームっぽいゲームデザインでそういうのが好きな人にはウケそうだったんだけど、そういうのが好きな人はエロゲーやらなさそうという感じもあり。 悪魔聖女はもう完全にボドゲソリティアっていう感じのゲームデザインだった。デザインが詰めきれないまま出てきてしまった気配があり、もううまいこと企画出してもゲームに昇華できるだけの体力がないのかもしれない、という予感がしていた。

巣作りカリンちゃんの思い出

あとになってから思えば、巣作りカリンちゃんを出して、これでソフトハウスキャラを畳もう、ということだったのかもしれない。巣作りカリンちゃんは、勇者砲以上に巣作りドラゴンに寄せたブラッシュアップ作品で、巣作りドラゴンぽいんだけど、巣ドラと比べるとゲームデザインは緩めというか、周回前提にして、初周攻略を突き詰められるような調整は諦めて、その代わり周回後のハイスコアチャレンジを目指せるように高難度まで作ってある。ハイスコア目指すのはそれなりに大変なのでやりがいはあるものの、ここの調整はやや甘く、時間が足りなかったようには見える。まあ延期もできなかろうし、仕方ない。時間がないなりに出来はちゃんと面白くなっており、恋姫キャラが騎之助節シナリオで読めるのもそれも味でしょうという感じがある。恋姫ファンからはあまり評判が芳しくなかったりはするものの、恋姫に忠実であるべきかというとそうも思わない。ここまでデレデレになる桂花が見られるのは巣作りカリンちゃんだけ!

ソフトハウスキャラのゲームの話

さて、ソフトハウスキャラはずっとSLG、たまにSRPGとかRPGを作って出しているメーカーだったので、読むゲームよりは遊ぶゲームのメーカーだった。それでもエロゲなので、読むゲームとしての側面も持っている。

昨今のスマートフォンゲームなんかはおおよそこの読むゲームパートつきの遊ぶゲームになっている。各メーカーが読むゲームパートを遊ぶゲームパートのテンポを崩さないように組み込むことに苦心してるんだけど、キャラのゲームは、ここのバランス感覚がよかった。とにかく読むパートが入っても邪魔にならない。というよりは、遊ぶパートと読むパートがちゃんと両輪になっていた。イベントを起こすためにSLGパートで工夫をして、イベントが起きたら次のイベントを起こすためにまたSLGパートを工夫して……というサイクルがちゃんと効くようになっていた。そのサイクルの効きのよしあしはゲームによってまちまちではあったんだけど、ソフトハウスキャラのゲームはここは外さなかったと思う。思い出補正もあるかもしれない。DAISOINANなんかは、早くイベントパートに辿り着かせてくれ、ってなるくらいだったので、調整が失敗してるゲームもあったのは確かだし。まあでも「ゲームの邪魔にならない読むパート」ではなく「ゲームを遊ばせるための読むパート」が機能しているという感じがあった。
アリスソフトもこれが上手いメーカーだと思うんだけど、アリスソフトSLGは全体的には詰将棋っぽいというか、究極的にはチャート作ってそのようにやる、という感じになりがちで、そうなると初見プレイでイベントを見てやり直して見たイベントはスキップ、みたいな、ちょっとぶつ切りのプレイフィールになってしまうゲームも少なからずあったと思う。まあちょっとソフトハウスキャラ贔屓ではあるんだけど。

エウシュリーはおおよそRPGメーカーなので、RPGのイベントシーンが入るところにイベントシーンが入ってくる、という感じで、まあプレイヤーはそういうの別に慣れてるし不満ないですね、という感じ。遊びにくいと思ったことはあんまりなく、RPGらしくよく仕上がっていた。ただ、ゲームシステム上の恩恵を受けるためにイベントを消化している、と思う場面がないでもなかった。これはイベントシーンに充分な尺があって、ゲームパートと気軽に行き来出来る感じがなかったからかなーと思っている。これは最近のスマートフォンゲームのキャラクターエピソードを読ませるタイプのやつでも同じようなことをときおり思う。読むと石もらえるから読むけど、読んでられないので結局スキップして後で詠みたくなったときに読むか、みたいな。で、読まない。そういうことがある。

ソフトハウスキャラはテキストが薄いとよく言われるんだけど、とにかくゲームを邪魔しないようにデッドウェイトを削いだデザインなんだと思う。重要でないイベントシーンは短く、テンポよく、プレイヤーがゲームパートで工夫してようやく辿り着くような重要なイベントシーンでは、比較的尺を割く、ということをやっている。これは別チームの勇者砲なんかでもちゃんとそうなっていて感心した覚えがある。勇者砲は全体的にテキストボリュームを増しているんだけど、幕間のイベントは短くテンポよく、ということは意識されてた感じがある。

最近遊んでるスマートフォンゲームだと、たとえばワールドフリッパーはそのへんの遊びやすさにはかなり気を遣っている。キャラクターエピソードもテンポよくて演出待ちが苦にならないし、これくらいなら読んでもいいか、となる。ストーリーを進めていても、ストーリー間のイベントシーンがそれほど邪魔には感じない。しいていうと、せっかくイベントシーンとゲームシーンで同じ画面デザインが使えるんだから、シームレスにゲームパートに入ってほしい、という気持ちはあるんだけど、それはちょっと贅沢かもしれない。

ともあれ、ソフトハウスキャラのゲームは、テキストを読ませるテンポ感に関しては、かなり気配りができていたと思う。

悲しいかな、ユーザーはテンポよくサクサク読めてあっという間に終わってしまうゲームのことは、短い、薄い、ボリューム不足、と評する。別の理由でボリュームが足りていないゲームもあったので、それは一面では正しいんだけど、テキストのせいだけではないですね、と思っているし、それは言っていきたい。そんでもって、テキストを水増ししてゲームのテンポを殺すくらいなら、テキスト排除してゲームに徹してくれよ、と思う。そのへん、テキストを読みたいエロゲユーザのニーズに噛み合わなくて、厳しいかもしれない。同人ゲーム市場見てるとテキストが絶対に必要とは思わないんだけどな。

まあなのでプレイヤーが快適に読めるゲームだったらプレイヤーはちゃんとゲーム買って遊んでくれるのかっていうと必ずしもそうとは言えず、快適に読ませることと、プレイヤーに充実感を与えるために多少読むのに力をかけさせること、を両立しないといけなくて、SLGだと後者をSLGパートで担える、ただソフトハウスキャラは晩年にはSLG部分の作り込みが甘くなって、プレイフィールがどんどん浅くなってしまった……と思っている。

おわり

いつくらいからかわからないんだけどCi-enをはじめたくらいから終わりの気配は感じていた。特にそれが強くなったのは、Ci-enの有料プランをなくしたとき。もうこのときに畳むことが決定されてたんだと思う。だから解散って聞いたときに、やっぱり、と思った。だから寂しくないかというと寂しいに決まってるんだけど、まあでもしょうがないよね……とも思う。

ボドゲが好きな人たちが作ってたんだろうなあとずっと思っていた。ボドゲファンかつアマチュアゲーム制作者としては、かつてのソフトハウスキャラのゲームが好きだった人に、「キャラのゲームっぽいね!」って言ってくれるような、そんな面白いゲームが作りたいなと思う。作っていく。

フルボイス化の功罪

Twitter ではなんか書き散らしてしまったんだけど、自分の考えとしてはフルボイス化したことが「エロゲー、特にノベルゲームの衰退を招いた大きな原因」っていうことには同意できなくて、なんでかというと、確実に売上に寄与した面もあろう、と思っているからなんですよね。少なくとも「大きな原因」ではないだろうとも思う。プラスの面があるから、離脱するユーザがいたとして、収支がどれくらいだったのか、ということになるんだけど、そのデータは誰も持っていない。だからこれはこの人の個人的な感想に過ぎませんよね、という感じですし、ぼくが書くことも個人的な感想に過ぎません。ただ、両者の意見が拮抗するなら、それは功罪あったという話で、衰退を招いた原因だけとは言えないんじゃないですか、と思っています。


これで話は終わりなんですが、もうちょっとまとまってないことを書いていきます。

売上が前年に比べて大きく減ったのは2006年で、これも別に何か大きな理由があって売上減になったわけではないと思うんですが、「ユーザの興味が別に移っていった」というのが主要因で、その副要因はユーザによってさまざまあり、後から考えるとたとえばアニメ見るほうが楽しくなったとか、ラノベ読むほうが楽しくなったとか、ゲームとか、SNSとかスマートフォンとか、時代が下るにつれていろんな別メディアが出てくる中で、ユーザの可処分時間をエロゲに割けなくなっていった、というのは実際そのとおりなんですが、とはいえ、2006年時点で、エロゲに割いていた時間の100%をアニメに割きましたか?というとそうでもない。ラノベやゲームにしてもそうなので、どれか一つが大きな原因たりえないと思っています。むしろ、エロゲは「ちょっとでも時間を割けなくなったら1秒もプレイしなくなる」ような媒体だったことが原因ぽく、もうちょっと言い換えると「ゲームの体験のためにかける時間が長すぎる」のがプレイヤーのモチベーションにとって枷になっていた感じはあります。

これはゲームが大作化したことによって起きたことで、フルボイス化はゲームの大作化を招いたものなので、フルボイス化は遠因としてあると思うんですが、フルボイスになったことでゲームのプレイフィールを損ねた、というのはたぶんその人がそう思った以上のことはないなという感じです。そう思ってる人も少なからずいるとは思うんですが、とはいえ、それだけが理由でやめたわけじゃないでしょう、と思ってしまう。本当にそれだけが理由だったら、それくらいの理由で離脱する程度に魅力のないコンテンツということなので、それ以外の理由も少なからず影響している。だから「大きな原因」じゃないでしょう、と言っているわけです。

一方ゲームを作る側は、プレイフィールの向上をおろそかにしていたかというと、実はそんなことなくて、たとえば千桃は演出の切り替えがとても軽快で、プレイヤーを待たせずにどんどん読ませることができるようになっています。一メッセージのテキストもかなり考慮されていて、自然に読み進められるようになっている。とにかくテンポがよく、相当量のテキストを読んでるはずなんですが、気付いたらゲームが進んでいて終わってしまった、というくらいには体感で軽いゲームでした。体感で軽いゲームだったことについてボリューム不足であるという指摘をしているユーザが結構おり、でも本質的にはそうではない気もする。ちょっと言語化できてない。

穢翼のユースティアは主人公の行動に大きく制約をかけていることがゲームの緊張感を生んでいて、これが物語の重さにも繋がっていたし、終盤のカタルシスに繋がっていったと思うんですが、一方で読むのに力を使うゲームでもありました。千桃はそのへんが軽快だったがゆえに、読みやすくはなっているものの、適度な緊張感はやっぱり必要なんじゃないかという感じもあり、ただ、千桃の物語にとってはこれでよかったろう、というのが個人的な気持ちなので、これで合わない人は合わないですね、とも思う。


なんかノベルゲームっていう表現がもはや行き着くところまで行ってしまって袋小路にいるみたいな印象もあるんですけど個人的には研究する人がいなくなったので行き詰まっているという感じ、でもぜんぜん研究の余地ありますし、いろんなところでノベルゲーム風の会話シーン出てくるんだから、まだまだやる価値ありますよねと思う。


既存プレイヤーはなんだかんだ大作をプレイしたい感じがありましたし、離脱したプレイヤーも、歴史に名前を残すようなゲームならプレイしたいと思っていたかもしれませんが、実際のところ、離脱したプレイヤーのどれくらいがシュタゲをやったのか、穢翼のユースティアをやったのか、ととのをやったのか。売上からは、一度離脱したプレイヤーが復帰することはあまりないんだろうな、と思わざるを得ません。「コンテンツに問題があったからプレイしなくなった」という話をぼくが肯定できないのはそのへんの理由もあります。だって、質がよくてもやらなかったじゃん、と。まあ好みの問題もあると思いますけど、作る側がコンテンツの質を高めるための工夫をなんにもしないでいたかのような言説には抵抗があります。結果論はしんどいですよね。コンテンツの質を高めても売上にはあんまり寄与しなかったように見える。そもそもコンテンツの質の話をすると、質というのはプレイした人間にしかわからないことなので、誰かをプレイさせるためのものにはならない。訴求するためのものはそれではない。どれだけテンポよく快適に遊べるようになったとて、「でも全部読むのに20時間とかかかるんでしょう? じゃあいいや」ってなる。そういいながらSteamで無限に工場作ったりするので、プレイしたいしたくないという話は、あんまり合理的な理由付けとかなくて、もっと言語化されざる欲求にもとづいているでしょう。エロゲはそのレイヤでの訴求力があんまり強くない、強くなくなったということです。エロゲがブームになる前には、アダルトコンテンツであるだけで訴求力があったんですけど、これも2000年代中頃には「エロのためにエロゲをやる」ということが、特定のジャンルを除いて主目的たりえなくなってしまった。

コンテンツが上位のレイヤに訴求するようになっていくとユーザは離脱することがわかっていて、理解するのにコンテキストを要求するようになるし、そもそもよりプリミティブなレイヤほどの訴求力がない。映画やアニメは絵や音楽を使ってそこに訴求することをずっと研究してやってきている一方で、たとえば小説はそのへん結構苦しい。小説は漫画に比べて読者人口が少ない、これは事実なんですよね。ノベルゲームも本質的にはテキストを読むことなんで、やっぱり枷になっている。


最近なろうみたいなウェブ形式の小説が結構読まれてきているんですけど、行間段落間のスペースをがっつりとって読み手のテンポ感をコントロールすることは文章より下位のレイヤに働きかけることのようにも思っていて、昔は否定的だったんですけど今はそうでもないです。


あとノベルゲームのほうがアニメに比べると単位時間あたりの情報量多いと思うんですけどこのへんもどうなんでしょうね、って思ってます。エロゲ、アニメ化すると厳しいんですけど、なんで厳しいかというと、尺がきつすぎる。大胆に構成を変える必要がある。アニメ1クールはおおよそ5時間ですけど、ノベルゲームのキャラ一本5時間ではクリアできない上、地の文読んでる時間をたとえばアニメでキャラクターのモノローグにしようとしたりすると無理になる。どうなんでしょうね、っていうのは、本当にエロゲと同じボリュームのコンテンツをアニメでやろうとすると、エロゲをプレイする以上の時間を確実に要求されるし、コストもエロゲ一本作るより確実に悪い。フルボイス化が悪いって言ってるけど、比較するにあたってフェアじゃないように思える。むしろ逆に、コンテンツがコンパクトであることのほうが重要、コンパクトであることが受け入れられるメディアであることが重要なんじゃないかっていう感じはあり、エロゲはコンパクトなコンテンツをユーザーが求めてこなかったので苦しい、というのが所感です。ロープライスゲームが売れてないので厳しいですね。春ポコみたいなミドルプライスのゲームがもっとたくさんあってよかったんですけどね。尺もちょうどよくて遊びやすかったし、読後感も充分によかった。


こちらからは以上です。

攻略順フリーであることとレベル制の親和性の低さをどう解決するか

幾分批判的なトーンでRPGは一本道であると言われる。これを解決する方法の一つが攻略順をフリーにすることで、巷ではフリーシナリオとか、あるいはエリア間移動をシームレスにするところまでを含めてオープンワールドと呼んだりする。エリア間移動をシームレスにすることは、言ってみればステージの垣根を視覚的に取り除く行為でもあって、適正レベルに応じてステージを区切ったときにあらわれるアトラクションテーマパークを遊ばされているという印象を拭うのに効果的でもある。今回はそっちはひとまず置いておくとして、フリーシナリオの話をしていく。

フリーシナリオでステージごとに適正レベルを設けると実質一本道になり、上手く機能しない。一本道であるほうがプレイヤーにとって望ましい場面すら出てくる。それでもフリーシナリオにはプレイヤーが自発的に選択しているという実感があるので、推奨攻略順が一本道になる場合でも、攻略方法をプレイヤー自身が見出すことで、ある種のショートカットをして早解きが可能、みたいなゲームは存在するし、それも一つの解決だろうとは思う。

しかしこれは攻略順をスキップしているだけで、攻略順を組み替えていることにはならない。

効果的に攻略順を制御しているゲームは、ほかのジャンルをみるといくつか見られる。たとえばロックマンはボス武器の相性によって攻略順をコントロールしているが、プレイヤーによって得意不得意もあり、必ずしもその順で攻略しなくてもクリアできるし、そのような攻略方法も許容される。このようなあるステージを攻略することで次のステージの難易度が下がるという方法は参考にしてよさそうだ。

一方この方法であっても、やはり推奨攻略順のようなものは生じるし、おおよそのプレイヤーはその方法で攻略するようになる。自分で考えて正しそうな攻略順を編み出す時代にはそれでよかったが、現代ではインターネットによって即座に最適攻略順が提示されてしまう。結果的に一本道になる。もっとうまい解決方法はないだろうか。

サガシリーズのいくつかの作品では戦闘回数で敵テーブルが変わるという仕組みを取り入れることで、プレイヤーがどの順で攻略してもレベルのエスカレーションが発生することを目指している。なんだけど、これ「敵との戦闘を最低限に抑えることで難度上昇を抑え、アドバンテージをキープする」のが目的になり、結果的に「敵と戦闘せずに戦力増強可能なシナリオを選択していく」ことにインセンティブを生じさせている。平たく言うと、この方法でもやっぱりおおよそ同じ順で攻略していくことになる。とはいえガチガチな攻略方法を構築しなくてもクリアできるようなゲームバランスになっているので、一本道感は薄い。ある程度は成功していると言っていい。

ところで、このようなゲームの進行度を攻略エリアではなく敵テーブルでみるとどうか。攻略エリアは自由になったが、敵テーブルは進行度と同期している。ゲームが進むにつれて出てくる敵が変わる。このゲームからエリア探索を排除し、敵との戦闘だけを行うようにすると、一本道のゲームになる! RPGは探索と戦闘の両輪で構築されている。戦闘が一本道になるということは文字通り片手落ちになってしまう。もちろんボスはエリアによって異なるのだが、これはたとえば学習度で攻撃パターンが変わるのようなギミックで制御している。ここに攻略の多様性を見出すことはできなくはないが「通常敵との戦闘を通じてボス戦の予習をする」という仕組みを組み込もうとすると、結局一本道じみてくる。

「通常敵との戦闘は稼ぎ」と割り切り、ボス戦だけでプレイヤーにゲームを学習させるというのは一つの解決である。そのような方法はロックマン方式との相性がいい。

ランスXはロックマン方式を採用しながらも、ランダムで入手したキャラクターによってステージの向き不向きが変わるというデザインを取っている。毎回同じプレイングが通用しないが、周回を重ねるとキャラが強化されたり、周回ポイントでレベルが上がりやすくなったりなんだりというデザインになっている。ステージクリアの方法で難易度の上がり方が変わるのも妙手で、早解きすると急激な難度上昇を誘発する。じっくり攻略することで自軍の戦力増強と難度のエスカレーションのバランスを取ることができるが、攻略にはタイムリミットがあり、のんびりしていると人類は破滅する! これを周回によってプレイヤーに学習させながら、周回ボーナスを与えることで、ゲームプレイを通じたレベルの上昇、プレイヤースキルの上昇を実現している。

これは今あるゲームデザインを組み合わせて出てきたものなので、それほど不思議なものではない。


これは思いつきのアイデアにすぎないものだが、敵ごとに「理解度」というステータスを設定し、同じ敵と複数回戦闘することでたとえばクリティカル率、命中率、回避率が上がったりするような仕組みを設ける。初見のエリアには初見の敵が登場するので、前エリアの攻略が通用しない、ということをパラメータでシミュレーションするわけだ。そのかわりにキャラクターのレベルは撤廃するか、きわめてマイルドにする。

この仕組みではエリアを通じたエスカレーションを導入する必要はない。エリア内でエスカレーションを閉じてよい。が、あるエリアの攻略が他のエリアの攻略を有利にするような仕組みは導入したほうがよい。相互の影響が薄いゲームは攻略順が自由なのではなく、単に別のゲームをバラバラに並べただけのものでなってしまう。たとえば同系のモンスターには「理解度」ボーナスがある程度適用されてもいいだろうし、あるエリアを攻略したときに得られるアイテムが後のエリアの攻略で有用という仕組みも有用だ。

これは言ってみればエリアごとに進捗をリセットせよ、というアイデアだ。違うことをやっているのだから、違うレベルを要求すればよい。全体を通じた進捗度を並行して上げていくことで、プレイヤーとしては攻略が進むにつれてできることが増えていく実感を得られるようにできる。というアイデアは、実のところRPG以外では普通に存在する。たとえばローグライクゲームは、毎回進捗がリセットされる。しかし攻略方法はプレイヤーに蓄積される。ここをプレイヤースキルではなくゲームシステム側でカバーするアイデアを採用したのがたとえば周回制のゲームになる。両方を組み合わせたゲームというのもある。前述のランスXもそうだが、プレイヤーが死に覚えの間にもゲームシステム的なリソースが蓄積されて攻略難度がマイルドになるというアイデアは、実にうまい方法に思う。実際のところはRPGのレベル制と同じことではあるのだが、別にそれは一つのゲームで閉じていなくてもいい、ということなのだ。


ここまでをまとめて振り返って結論を出していこう。

RPGはレベル制を導入することで、プレイヤーの学習以外の方法で難易度カーブをコントロールするという方法を生み出した。しかしこれによってステージの攻略順はある程度固定化され、ゲームの自由度が下がってしまった。ゲームの自由度を取り戻すために攻略順フリーを導入したら、今度はレベル制が壊れてしまったので、攻略順に関わらず難易度が上昇する仕組みを導入した。そうすると見かけ上攻略順を自由にすることはできたが、戦闘を切り取ってみると実は一本道になってしまっている。レベル制とフリーシナリオを両立することはむずかしい。

以下のような解決アイデアがある。

  • レベルの一元管理をやめ、エリアごとに細分化したレベルを導入したり、ゲームを横断したレベルを導入することで、難度のエスカレーションをパラレルにしたり、多段にしたりできる。
  • 次に進むべきエリアの提示をゲーム毎にランダムにすることで、多様なゲーム展開を可能にする。

こちらからは以上です。

レベルを上げて物理で殴る

RPGのゲーム性についてある種、批判的な文脈で言われるのがこの「レベルを上げて物理で殴る」なんだけど、そもそもレベルってなんのために存在するのかというと、ゲームのステージを区切るためのものである。

アクションゲームやシューティングゲームはそうなっていなくて、ステージの難易度のエスカレーションがすなわち要求されるプレイヤースキルのエスカレーションということになる。

で、実は別にRPGでそれをやってもいい。やってもいいのだけど、RPGのプレイヤーが介在する要素というのはダンジョン探索の戦略、戦闘の戦術である。突き詰めると「ボス戦までリソースを節約し、ボス戦でリソースを叩き込んで殲滅する」である。ここからレベルを除外したときに見えてくるのは、カチカチに固められたリソース管理ゲームの姿である。ここまでくるとRPGというよりは詰将棋だったりパズルゲームだったりというほうがいい。また、ここに乱数を介入させると試行回数で殴るゲームに変わる。こうなるとくじ引きと揶揄されても仕方のない姿になる。

ここでレベルの概念を導入すると「試行回数を重ねれば重ねるほど成功率が上がる」という仕組みを導入できる。おめでとう、このゲームはくじ引きから脱却できました。

次にやってくるのが、どこまでレベルを上げると成功率の期待値が現実的な値になるか、ということである。だいたいこのレベルに達する頃には平均的なプレイヤーがクリアできる難易度になっている、というものである。これが攻略推奨レベルという概念で、だいたいのレベル制のゲームはこれを前提において作っている。リソースの運用が苦手でも、ちょっとオーバー気味にレベルを上げればクリアできることもある。

レベルの概念を導入すると、プレイヤーは「この先の敵は急に強くなるので、先に進む前にちょっとレベルを上げる必要があるんだな」ということを考えたりするようになる。プレイヤーが敵の強さによってステージの難易度のエスカレーションがあることを理解できるようになる。あるいはリソースを投入すれば突破できると考えるかもしれない。そうして突破した先にある報酬に投入したリソース以上の価値があるのなら、そのようなチャレンジをする価値はあるだろう。そこまで考えるプレイヤーは実は多くないが、それを考えさせるのが真の意味のレベルデザイン(プレイヤーのモチベーションをコントロールするステージデザイン)である。

おおよそのゲームは、普通にプレイすれば攻略推奨レベルに到達してからそのステージを突破できるか、あるいは普通にプレイすると攻略推奨レベルにやや届かないくらいのレベルに留まるが、意識してレベル上げをすれば攻略推奨レベルに到達できるし、低レベルのままでも戦術をこらせば突破できる、というくらいに調整してある。

さて、後者のゲームについてなのだが、これは「レベルを上げて物理で殴るゲーム」だろうか。「有効な戦術を考えるよりもレベルを上げるほうが早い」のであれば、そうだろう。たとえば2~3回の戦闘でレベルが上がって攻略推奨レベルに到達するのなら、レベルを上げるほうが早い。しかし、2~3回の戦闘でレベルが上がらないのなら、2~3回ボスに挑んで攻略傾向を掴むほうが早い可能性がある。

ここのバランシングこそがゲームの鍵であって、「レベルを上げて物理で殴る」批判というのは、本質的には「レベルを上げて物理で殴る」ことを批判するものではなく、ゲームの戦術性・戦略性についてプレイヤーが工夫するよりも簡単にレベルが上がってしまうバランシングの難こそが根本的な問題だということになる。

理想的には、アクションゲームやシューティングゲームのように、過去ステージの攻略、特にボスとの戦闘を経てプレイヤーが戦術・戦略を学習するのが望ましい。たとえばバフ・デバフを上手く使うことを学習する場面を用意する必要があるし、状態異常対策を考える場面を作ったりする必要がある。しかし、得てしてボスが初見で回避不能な状態異常を付与してきたりするし、過去のゲーム体験からそのような理不尽さに対する警戒心が拭えず、安全マージンを取ってちょっと過剰気味にレベル上げをしてしまい、結果的に「物理で殴るゲーム」に終始しがちだったりする。

まあでもそのようなプレイスタイルは別に否定するべきものでもない。プレイヤーは自分が投資した時間に対して、適正な見返りを求めている。レベルアップによるステータス上昇と、それによって得られる戦闘の快適化は、その意味ではもっとも公平なリターンである。効率を度外視するのなら、かけた時間が無駄にならないのだから。一方プレイヤースキルの上昇というのは可視化できないので、ここに時間を投入することにはためらいがある。モンスターハンターがプレイヤースキルのエスカレーションよりも快適なプレイングと素材収集による拡大再生産に舵をきったのもわかる話である。

ねぎとろの語源

語源について調べているうちに、巷で「ねぎとろは動詞『ねぎ取る』が転訛した語」なる説に対する疑わしさが一層増してきたという実感がある。

転訛というのは多岐に渡りやすい。発話しやすさは人により、同じ言葉でも人によって発音が異なるということがある。であれば、転訛の起こり方も人に寄って異なろうものである。が、ねぎとろについて、ねぎとろ以外にねぎとるから派生しうる名前は寡聞にして知らない。ひょっとするとあるのかもしれない。いわくこれは魚河岸や寿司職人における符牒だというから、記録が残っていないのだと。記録が残っていないのでもしかしたら過去には残っていたのかもしれない。とはいえせいぜい半世紀くらいの歴史の語なので、生きた人間に当時のバリエーションを知る人間がいないのは不自然じゃない?という気持ちが強い。

どういう転訛の派生があるのかちょっと考えてみる。

「ねぎ取る」が名詞らしい形に収まるとして、語末が -o となるのは割合よく見られる。自然な転訛だろうと思う。一方で「ねぎ取る」の「 ねぎ」が「葱」と関係ないのなら、ここは別に重要ではないので、より短い形に変化してもおかしくはなかろうという感じがある。

「ぎとろ」「ぎっとろ」「ねとろ」「ねっとろ」みたいなバリエーションはなんでないのか。

また「ねぎ取る」は「根-切-取る」だという説がある。そうだとするなら、「ね-き-どる」のような形の読みがあったかもしれない。「ねきどろ」は「どろ」なので使うのを避けられたという可能性はある(どろソースやどぶ汁のような例もあるので一概に避けられうるものというふうには考えていないが)。「ねきとろ」は発話しにくいので、どこかが連濁を起こす。とすれば「ねぎとろ」はそれなりに自然ではある。

あるいは「ねぎ」でなく「ねぐとろ」でもよさそうなものではある。と思って調べてみると、近年「ねぐとろ」という呼称が使われたりはしているようだった。2012年以前には見られないので、単に typo とも言い難い。あえて「ねぎ」の語を避けようとしているのかもしれない。

「ねぐとろ」以外については使われた形跡がない。「ねぎとろ」は市場に出回ったときから「ねぎとろ」だったと考えたほうがいい。誰かが「ねぎとろ」という名前で商品にして売り始めたのでまわりが追随して定着した、と。

便乗した人間はこれをどういうつもりで使ったかというと、当然「ねぎ+とろ」のつもりで売ったわけだ。とろっぽいの脂身にねぎの風味でさっぱりさせる、なるほどおいしそうだ、と。少なくとも売る側の人間が「これはまぐろの身をねぎとったものです」といって売ることはしない。それよりも「とろっぽい脂身」を売るほうがバリューがある。ねぎとろが全国のスーパーに並んだのはたぶんバブル期のことなので、そういう背景は考えたほうがいい。もとの語源がどうだったとかは関係なくて、今使われているねぎとろはおそらくは葱の存在の影響を受けている。そこから目をそらすとかえって不自然な説に頼ることになってしまう。

そのうちにこれが民間語源であることが証明されればいいんだけど、トリビアが世間を席巻*1して以来、そういう民間語源っぽいものが支持されやすくなっていると感じる。たいそう由々しいことだなあと思う。

こちらからは以上です。

*1:激うまギャグ

雑記

あとになったらたぶん何読んだか忘れると思うので読んだ漫画とか小説の話とか書き残しておく。

漫画

kindle つい買いがちで危険なんだけどどうしたらいいんですか?

ざつ旅-That's Journey- 1 (電撃コミックスNEXT)

ざつ旅-That's Journey- 1 (電撃コミックスNEXT)

よかったです。ただ、いま読んでもふらっと旅に行ったりはできないのに、旅に行きたくて仕方なくなるので危険。2巻の後ろの方の見開きがこの漫画の本質っていう感じがして最高によかった。

HGに恋するふたり(1) (角川コミックス・エース)

HGに恋するふたり(1) (角川コミックス・エース)

あれ、まだ1巻しか出てないんだっけ、ってなったんですけど、のんびり2巻待ちます。

switch (1) (少年サンデーコミックス)

switch (1) (少年サンデーコミックス)

  • 作者:波切 敦
  • 発売日: 2018/11/16
  • メディア: コミック

1巻のラストでああいうことするのはズルでしょ……7巻まで買って一気に読んでしまった。

ネット小説書いてる男の子とそのファンなんだけど素直になれないお嬢様のラブコメ。こういうほんわかラブコメ最近多いんだけどいくらあってもいいのでどんどん増えてほしい。
うららめっちゃくちゃかわいくて1億万点。みんなが買ってくれると続きが出やすくなるのでみんな買ってくれ頼むぞ!

小説

kakuyomu.jp

不登校の女の子がイギリスから来た日本人にしか見えない自称「魔女」の青年といっしょに変な和食を作りながら、ちょっとずつ自分を見つけたり、他人との関わり方をわかっていくっていう感じのお話。10万字くらいで完結してて読みやすいし読後もさわやかでよかったです。

kakuyomu.jp

魔王の配下になるやつ。魔王の配下になるやつでヒロインがサキュバスとか吸血鬼みたいなのがひとつのアーキタイプとして定着してるなという感じがあるんですが、めちゃくちゃ好きなのでどんどん増えてほしい。120万字くらいで完結してるので気長にじっくり読むのがいいですね。自宅でのんびり過ごすときのお供に。

あとゲームいろいろやったんですがゲームの話は別途記事起こしてやります。

あとSBクリエイティブがポイント50%還元セールやってるのでゴブリンスレイヤーの最新刊までを一気買いしました。1巻だけ買って読んでちゃんと読みたいと思ってたけど知らんうちにアニメ化して巻数も5冊くらい増えてて今から追うの~みたいな感じになってしまったんだけど買えるときに買っとけばそのうち読むでしょう。

こちらからは以上です。