グノーシアクリアしました

だいたい160周、クリア時のレベルも160くらいでした。平均1周で1レベル上がるくらいの感じだったのでだいたいそれくらいの勝率はキープできてたと思います。

以下ネタバレを含む感想。

途中まではよくできた一人用の人狼ゲームだと思って遊んでいたんだけど、途中から、特に特記事項の回収がメインになりはじめたあたりから、自分がやっているのは人狼のルールを使った何かなのではないか?と気付き始める。端的にいうと、このゲームの進行においては、人狼ゲームに勝つことは手段であって目的ではない。何百回グノーシアを凍結しようが、主人公もセツも事象の繰り返しから逃れることはできない。

主人公もセツもループからの脱出を目的にしているから、あくまでもそのために行動していて、なんならセツは重要な周回中には敵味方分かれていることに関係なく自身の役割を明かしてきたりする。人狼ゲームでいえば「人狼が村人に正体を明かした上で、調べたいことがあるから付き合ってくれ」と言ってくるような状況が、このゲームではたびたび起こる。

あるいは、誰がグノーシアなのかわからないんだったら疑わしい人物を全員凍結すればいいよね、という解決もある。具体的には、留守番はグノーシアに汚染されていないのだから、留守番以外を全員凍結すれば確実に人間だけが生き残るだろう、という周回がある。実際にはそうならなかったのだが……。

ともかく、そういう特定状況下で特定の事象が発生し、プレイヤーはそういう特異な状況を探していくことが目的になっていく。そのために人狼ゲームに勝つことが必要なことはあるけれど、究極的には勝たなくてもいい。情報さえ集めることができればいいのだから。

人狼ゲームに勝ったほうが経験値の入りがいいので、自身が望む盤面を作りやすくするために能力を強化することを目的に、人狼ゲームの勝ちを重ねる、という局面はある。勝たなければ辿り着けない状況も、もちろんある。けれどもそれが全てではない。

人狼ゲームにただ勝っているだけでは、このゲームの結末を迎えることは決してない。

これこそがこのゲームの妙味だと思う。人狼ゲームとしての再現度が低いということが指摘されたりするが、それは別にあんまり重要でないと思っている。このゲームは本質的には「人狼を題材にしたループSFアドベンチャー」なのであって、ループSFアドベンチャーが主で、そのためのギミックに人狼ゲームが選ばれているにすぎない。

人狼ゲーム部分に関して気になる点が全くないでもない。たとえば守護天使はカミングアウトできない。バグがいない状況下で守護天使の護衛が成功しているから護衛対象の人間が確定したとしても、NPCにそれを伝える術がない。めっちゃかばってるのに心象が悪いせいで吊られていくこともあるし、なんならかばった自分が吊られるまである。守護天使カミングアウトさせてくれ、と思うが、グノーシアサイドに守護天使カミングアウトされると面倒だから、できないならできないでシンプルでいいなとも思う。

役職スライドとか共有者トラップとか人狼ゲームのテクニックが今作では使えない。使えないが、使わないといけないようなゲームではないから、別になくてもいいだろうと思う。役職スライドもそんなに頻繁に目にするものでもない。

繰り返しになるが、陣営を勝たせることが目的なのではなくて自分が生き残った上で勝利することが目的だから、立ち回りが本来の人狼とそもそも違う。人間サイドでも情報を落として死んで最終的に人間サイドが勝つなら役職カミングアウトすべきだが、このゲームでは潜伏したほうがグノーシアに襲われずに済むというメリットがある。このへんのプレイフィールの違いをむしろ楽しんだほうが面白いだろう。
能力の振り方によってもゲームの味わいが変わり、能力値がどうNPCに効いているのかを考えるのも面白い。ロジック高いキャラの「騙されるな」の強力さとかね。現実の人狼だったら「ああこれ響いてるやつだ」ってなるやつを味わえる。

セリフのパターンはあらかじめ用意されていて、発言内容を精査して誰が村で誰が狼っぽいかということを考えるゲームではないのだから、パラメータによって思考とそれに基づく行動が表現されるほうがゲームとしてわかりやすいし遊びやすい。
何より盤面整理ゲームとしての人狼はこれでちゃんと成立しているのだ。だから遊んでいてちゃんと人狼感がある。

不満がまったくないわけではなくて、システム周りではいくつか改善してほしいところがある。

たとえばギャラリーモード。ゲーム内で自身がバグのときに1日目の夜に夕里子に会いに行くことでそのセーブデータで見たCGを見ることができるのだが、セーブデータ単位なのはなぜ?というところ。トゥルーエンドのセツのセリフから、主人公の最後の特記事項がプレイヤー=主人公であることを示唆するもので、主人公はセーブデータをまたいで記憶を保持している存在なのに、CGはセーブデータをまたげないのは不可解というか、もともと入れる予定がなかったものを実装したせいでないよりはマシくらいのものになってしまっているなあという感じになっている。
回想やギャラリーモードはもともと入れる予定がなく、それを埋めることを目的にしないでほしいという作り手の意図があり、その上でユーザーの要望が多かったので実装したという経緯はわかるんだけど、なぜ最善を尽くさなかったのか。もっというと夕里子を便利キャラにするなという気持ちもある。それこそ銀の鍵の機能でよかったんじゃないのかなあ。

特記事項を埋めてしまうと付随するイベントがそのセーブデータでは二度と発生しないのも、特記事項を埋めるまでは途中のイベントが繰り返し発生するのに、埋め終わってからは無理、というのは一貫性に欠けるし、別にもう一回発生してくれてもよかろうもん、という気持ちがある。
エンディングを見た後はゲーム全体でロードが有効になるので、2周目にロードを駆使して見れなかったイベントを見に行くことは許されているんだけど、だったら一回見たイベントを繰り返し見ることができたっていいのになーという思いがある。回想モードがないことは別にいいとしても、条件を満たしたら同様のループが発生することは許容されてほしい。エンディングは狙えばいつでも何回でも見られるのに、個別のループはそうでない、というのも正直一貫性がない。特に、0回目のループにはゲームシナリオ上も2回行ってるんだよね。同じセーブデータで複数回同じループに飛べるということは、一度発生したイベントをもう一度発生させることにシナリオ上の問題はないはず。もっとも、このへんの要望が無粋だということも、もちろん自覚しているつもり。

そのあたりを差っ引いても複数回プレイしたくなる面白さがあるし、1プレイが短いので気軽に思い出したときに遊べるよさがある。なんだけど、だからこそそういうところが気になるんだよなという感じ。

話は変わるんだけど、ゲームを終えてふと思い出したのがこの記事。

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人狼というエンタメを考えたときに人狼サイドも吊られず村人側も噛まれずというエンディングがありえること、千日手こそがトゥルーエンドという視点はかなり興味深くて印象に残ってたんだけど、グノーシアのトゥルーエンドを見たときにまさしく「犠牲者のいない解決」だと思ったし、最上のトゥルーエンドだったよねと思う。

ここからはいくつか気になっていること。

ククルシカの中身がアレだということは、ククルシカもまた銀の鍵の所有者なのではないかと思うんだけど、作中にはそれを示唆するものは特になかった気がする。しいていうとノーマルエンディングのククルシカが全部わかったような表情でこちらを見ているところくらい。あの場で主人公だけがセツを知っている、と思ってたんだけどあのククルシカはセツのこと知っててもおかしくないんだよな。
ちなみにVita版のトロフィーではククルシカとSQのトロフィーが同じ星座になっているらしく、こんなんクリアしてからゾクゾクするやつじゃん、となった。

レムナンはククルシカとは仲良くできるけど、SQはダメで、SQの中身がアレのときじゃなくてもSQには苦手意識を持ってるのでよっぽどトラウマになってるんだろうなあと思う。ククルシカは喋らないというか、まあ喋ってるんだけど人間には知覚できないから、レムナンはそれで大丈夫なんだろうか。雰囲気とかでわかったりしないのかな。ククルシカグノーシアのときのあの顔ってだって……ほら……。

セツは汎なんだけど立ち振舞とかはけっこう女の子っぽくて、中身女の子だからこそ女の子の肉体がいらなくて汎にしたのかなーとか考えてる。軍人だしね。ラキオが男の肉体いらないから汎になりたいっていうのとはまたちょっと違ってるというか。セツが沙明が苦手なのとかもかなり女の子っぽい気がする。
一方でステラは人格上女性に設定されているだけで別に女性の肉体を持つ必要は全然ないんだけど、女性として自我を持ってしまったがゆえに女性の肉体を持っているという感じがするよね。三次元チェス……AI界では不健全な行為なんだろうか……。

水そうめんは単にイースターエッグと思えばそういうもんだよねという感じなんだけど、プレイヤーが潜伏するとNPCのロジックがバグるというのはゲーム上の都合であってシナリオ上の都合ではなくて、シナリオにそぐう形で解釈しようとすると銀の鍵がやってることっていうのはシミュレーションなんじゃなかろうか、と思う。もともとは現実で起きてる問題を解決するために状況設定を変えながらシミュレーションを試行し続けているという設定だったらしいんだけど、なんとなくそのへんの名残をちょっと感じる。イースターエッグだから特に意図はないよと言われればもちろんそれまで。ていうか水そうめんってなんなんだ。

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この記事めちゃくちゃよく出来てるのでおすすめ。リビジョン機能をそういうふうに使うんや、となった。

好きなキャラの話とか。

ラキオ、グノーシア側でもバンバン人間に白確出した挙げ句自身がグノーシア確定するというまったくグノーシア利がない行動を取ってきてロジックバカだなあとなって愛くるしかった。そんなんだからすぐに吊られるんだぞ。

しげみちは嘘をつくのが下手すぎてすぐにバレてかわいそうだったので、2周目では直感1にしてみんなの嘘に気付きにくいやさしい世界を目指している。結果騙されて最後まで残されて「わたしがグノーシアでした!」をやられ続けている。でもしげみちは最後までいないんだよな……まだ最後にしげみちグノーシアでしたっていう負け方したことないから一回くらいしげみちグノーシアのセリフ見てみたい。

コメットもジナもSQも好きだけどステラは怖い、グノじゃないときも怖い。ククルシカも最初美少女やんけとなったけどチュートリアル終わったときのセツのセリフから一気に不穏になった。でもノーマルエンディングのククルシカ見て愛おしくなっちゃったよね。

グノ化したときにアレなのは順にステラ、SQで、後はまあどっこいどっこいという感じ。オトメはグノ顔より笑ったときの顔のほうが怖い。わからんという人はククルシカに笑わされてるときのオトメの顔を見てみよう!
夕里子はグノ化しててもしてなくても一緒やんけ!という。というか夕里子としげみちはそれぞれ夕里子、しげみちという存在なんだよな。強すぎる。ジョナスもそういうところあるけどジョナスは狂気と正気が普段から入り混じってる、という感じ。吊られやすいのもしょうがない気もする。
ジナのグノ顔はちょっとエッチすぎる。だめですよ!
沙明はグノのときのほうがむしろまともで、きみ普段からそうだったらセツも……まあいいか。
ラキオはグノのときのイカれ顔もラキオらしくて好き。グノになったときに急にイキり出すレムナンかわいいね……。
ククルシカはグノよりもレムナンと留守番だったときのほうが衝撃でかかった。ヒェってなったからね。

キャラはクリアする頃にはだいたいみんな好きになっちゃってて、初っ端人のこと疑ってきて初日に即吊りされるラキオなんかも夕里子のアイアンクロー見る頃にはもう完全に好きになっちゃってたよね。ラキオは議論のときに雑殴りしてきにくいし、雑殴りしまくってくるレムナンとかシピに比べるとまあねというのもある。君らすぐ人のこと疑ってくるんだもん。SQのシャワーで「オッ」ってなって出てきたのがラキオで「ラキオかy……え、ラキオ美人すぎる」ってなってしまった。はやく汎になってくれ。でもグリーゼに裸体像を設置するのはやめろ。

長くなったけど男女の恋愛イベント見たりするくらいまではまだまだ遊ぶつもりでいるので遊ぶし、うっかりネタバレ記事を見てしまったけどまだプレイしてない人がいたらネタバレ見ても体験は無二なのでやってくれ頼む。頼むぞ。

こちらからは以上です。