異世界召喚ものが異世界移住ものになったのはいつ頃からなのか

わからんのでこれ以上なんもないんだけど、たとえば20世紀の異世界召喚ものはだいたい異世界に行って帰ってくる話になっていたと思う。

甲竜伝説ヴィルガストでは主人公は元の世界に帰り、ヒロインは異世界に残るという選択をしている。このへんの時代感だと、異世界に残るか、それとも帰るか、二択があって、どちらを選ぶのかという葛藤が描かれるのはよくあることだったような気がする。

ゼロの使い魔も、しばらくは異世界で生活を続けることになるものの、元の世界へ帰る可能性が得られたところで才人は強い郷愁の念を抱く。元に世界に帰ることが脳裏をよぎりながらも、ルイズとこの世界を放っておくこともできないよね、という葛藤が描かれる。

召喚ものは召喚であるがゆえに、異世界に残るか、それとも帰るか、ということがどうしてもつきまとう。よかれ悪しかれ。 異世界生活を死ぬまで堪能する作品があってもよかろう、そういう方向性においては異世界に残るか、帰るかの葛藤というのはわずらわしい要素になる。ので、いっそ最初から帰れない状況になってればよいのでは?というのが、転生を選ぶ動機のひとつになってたりするんじゃないかなあと思う。もちろん、そればかりとはかぎらず、たとえば転生は基本的に「人生やり直し」ものなので、第二の人生はもっとうまくやるのだというリプレイものの変種と見ることもでき、そうであるなら転生を書く動機は「人生やり直し」を書きたいからということになる。いろんなモチベーションがあるだろう。それはさておいて、帰る方法がなければ諦めもつくので異世界に定住させることを受け入れさせやすい、というのは実際便利だと思っている。

ゼロ年代異世界召喚ものだと永遠のアセリアの話を忘れてはいけなくて、これは異世界に召喚された後、元の世界に帰りもしないし異世界に定住するわけでもなく、エターナルなる永遠の存在になって、次元を渡り歩きながらエターナル同士の戦いに身を投じていくというものになっている。
エターナル・チャンピオンシリーズ未読なのでよく知らんのだけど、多元宇宙を渡りながら永遠に戦い続けるみたいなモチーフはたぶんエターナル・チャンピオンシリーズが後世の作品に影響を与えていると思っていて、マジック・ザ・ギャザリングもそうだし、なろうにもそのへんの影響を受けた作品があるわけだけど、異世界ものが多元宇宙もののサブジャンルなのでそういう展開の作品が作れるよというのはアセリアに限らずそうねという。

盾の勇者の尚文はそのうちに元の世界に帰るつもりでいるし、なろうの異世界召喚ものだと転生ものと違って元の世界に帰る選択肢がちらついてる作品も少なからずあって、このへんは召喚という題材だからかなあと思う。

転生でなく召喚ものでしかも帰る方法が失われてるわけでも別にないんだけど居心地いいから帰らないよというパターンの作品もあって、そういう割り切りができ、そういう割り切った作品が受け入れられる土壌がある、ということは好ましいと思っていて、異世界転生だからどうとか召喚だからどうとか転移だからどうとかっていうことにあんまりとらわれすぎずに自分の好むものを書いて自分の好むものを読んでということでエコシステムが形成されていくことを受け入れるとまあわりと楽しいねと思う。

特に結論とかはない。